インテルのいうMIDとはどんなものになるのか?
ネットブックよりも小さく、手軽にインターネットにつなぎっぱなしでいられ、インタラクティブなもの、というところだろうか。
日本で言えば、電車で携帯を握り締めている人たちが、代わりに握り締める様になり、家でもPCを立ちげることなくネットにつなげるようなものだろうか。車にはディスプレイやスピーカーのみ用意され、車に乗るときにはそのMIDをつなげればカーオーディオやカーナビになるのだろう。
インドで20ドルPCを作っているという話があったが、これこそPCでなくMIDかもしれない。それはインドのMIDとなるのだろう。それと同じものを他の国で売って売れるものでもない。
各国独自のMIDの形が出てくるだろう。その外形のみならず、中身も各国独自のカラーがでてくるに違いない。車やそのサービスと同様、いかに各国にフィットしたものを出せるかがポイントになる。
2009年4月27日月曜日
カーナビのヒューマンインターフェース
カーナビにとっては、ヒューマンインターフェースが一番大切だ。ドライバーが使うからだ。
目的地入力、ルート検索、マップ表示、どれをとってもまだまだ不便だ。
目的地、ルートに関しては、個人の家ならばICカードやSDカード、それ以外ならば携帯からSDカードに加えてIrDAやBT経由で目的地を入れられたりすれば便利かもしれない。自分のカーナビでないならば、セキュリティ機能つきUSBメモリというのもいいかもしれない。
マップ表示に関しては、カーナビこそ写真があると便利だろう。
音声入力は有効な手段だが、まだまだ課題が多いといったところなのかもしれない。
もともとユーザー層を狭める原因となっているのはヒューマンインターフェース、特に人間からの操作性の部分だ。ここが改善されると身の回りの電子化がさらに進むだろう。
目的地入力、ルート検索、マップ表示、どれをとってもまだまだ不便だ。
目的地、ルートに関しては、個人の家ならばICカードやSDカード、それ以外ならば携帯からSDカードに加えてIrDAやBT経由で目的地を入れられたりすれば便利かもしれない。自分のカーナビでないならば、セキュリティ機能つきUSBメモリというのもいいかもしれない。
マップ表示に関しては、カーナビこそ写真があると便利だろう。
音声入力は有効な手段だが、まだまだ課題が多いといったところなのかもしれない。
もともとユーザー層を狭める原因となっているのはヒューマンインターフェース、特に人間からの操作性の部分だ。ここが改善されると身の回りの電子化がさらに進むだろう。
コンテンツ視聴の需要
Huluは広告収入により、ユーザーには無料でコンテンツを配信する。同じ無料にも関わらず合法で見れるのであれば、ユーザーはこちらに流れるのではないだろうか?
今まで違法コンテンツとして削除するだけだったYoutubeと違い、逆にその需要をビジネスにつなげたわけだ。
違法コピーしてまでもコンテンツの視聴を望む中国では、こういったサービスは好まれるのではないだろうか?ユーザーが合法で無料視聴できるサービスを始めたらあっという間に獲得できるのでは?
今まで違法コンテンツとして削除するだけだったYoutubeと違い、逆にその需要をビジネスにつなげたわけだ。
違法コピーしてまでもコンテンツの視聴を望む中国では、こういったサービスは好まれるのではないだろうか?ユーザーが合法で無料視聴できるサービスを始めたらあっという間に獲得できるのでは?
2009年4月19日日曜日
聴覚のインターフェース
やはりこれからはインターフェースの時代だろう。
例えば、任天堂DS、iPhoneはヒューマンインターフェースを進化させた。
タッチパネルがマウスにとって変わるものだとすれば、キーボードにとって変わるのは文字認識や音声認識だろう。タッチパネルやスタイラスによる文字入力は、キーボードやボタン入力よりも不便だと思うからだ。
他に不便なヒューマンインターフェースといえば、電話だ。ホールドするのが面倒だし、重い上、長時間ホールドしていると聞こえる穴から耳がずれていって聞こえにくくなる。ヘッドセットを家で使わない理由はなぜだろう?
同様に、iPodは有線で音楽を聞く。線が邪魔だ。これが無線だったり、耳にかけられるくらい小さかったらどうなのだろう?
次は、聞くためのインターフェースで上記不便さをなくし、画期的なデザインを出したら、売れるのでは?ソニーがiPodに対してポータブル音楽市場で巻き返しを狙うなら、ダウンロードするコンテンツとかよりも、ユーザーインターフェースが画期的なものを出したほうがソニーらしいと株を上げるような気がする。
例えば、任天堂DS、iPhoneはヒューマンインターフェースを進化させた。
タッチパネルがマウスにとって変わるものだとすれば、キーボードにとって変わるのは文字認識や音声認識だろう。タッチパネルやスタイラスによる文字入力は、キーボードやボタン入力よりも不便だと思うからだ。
他に不便なヒューマンインターフェースといえば、電話だ。ホールドするのが面倒だし、重い上、長時間ホールドしていると聞こえる穴から耳がずれていって聞こえにくくなる。ヘッドセットを家で使わない理由はなぜだろう?
同様に、iPodは有線で音楽を聞く。線が邪魔だ。これが無線だったり、耳にかけられるくらい小さかったらどうなのだろう?
次は、聞くためのインターフェースで上記不便さをなくし、画期的なデザインを出したら、売れるのでは?ソニーがiPodに対してポータブル音楽市場で巻き返しを狙うなら、ダウンロードするコンテンツとかよりも、ユーザーインターフェースが画期的なものを出したほうがソニーらしいと株を上げるような気がする。
2009年4月8日水曜日
電子書籍の普及
ソニーはソニーリーダーで読める無料書籍の数を、50万冊に増やすらしい。
アマゾン キンドルよりも書籍数で負けていたとはいえ、無料書籍を増やすのはどうかと初め思ったが、そうでもないかもしれない。
ネットの普及でニュースが無料で見れるようになった。それでも新聞や雑誌の価値がなくなるわけではなく、無料コンテンツと有料コンテンツが両立できている。もちろん以前よりも有料コンテンツに対する要求は高くなっていると思うが、その要求を満たせば消費者はそれに対してお金を払う。
今は電子書籍というものを浸透させるフェーズだからもっといろいろ試してみるのもいいかもしれない。
例えば、自分で物語を書いてネットにのせ、お互いに読みあう人達がいる。最近の女子中高生は、読書感想文等よりも自分で創作した物語を書いてくるらしい。そういう人たちの場として電子書籍を使わせてみるのもおもしろいかもしれない。
あるいは、小説コンテストをして応募者の作品を電子書籍で公開し、そこで投票をしてもらうなど。
ネットのように、プロによるコンテンツに頼らず、一般消費者からのコンテンツを利用してみるのもおもしろいだろう。
とはいえ、以前も書いたが、普及に最も重要なのは「目の疲れない端末」だ。目が疲れないものはどういうものなのだろう?そもそもなぜ目が疲れるのだろう?
アマゾン キンドルよりも書籍数で負けていたとはいえ、無料書籍を増やすのはどうかと初め思ったが、そうでもないかもしれない。
ネットの普及でニュースが無料で見れるようになった。それでも新聞や雑誌の価値がなくなるわけではなく、無料コンテンツと有料コンテンツが両立できている。もちろん以前よりも有料コンテンツに対する要求は高くなっていると思うが、その要求を満たせば消費者はそれに対してお金を払う。
今は電子書籍というものを浸透させるフェーズだからもっといろいろ試してみるのもいいかもしれない。
例えば、自分で物語を書いてネットにのせ、お互いに読みあう人達がいる。最近の女子中高生は、読書感想文等よりも自分で創作した物語を書いてくるらしい。そういう人たちの場として電子書籍を使わせてみるのもおもしろいかもしれない。
あるいは、小説コンテストをして応募者の作品を電子書籍で公開し、そこで投票をしてもらうなど。
ネットのように、プロによるコンテンツに頼らず、一般消費者からのコンテンツを利用してみるのもおもしろいだろう。
とはいえ、以前も書いたが、普及に最も重要なのは「目の疲れない端末」だ。目が疲れないものはどういうものなのだろう?そもそもなぜ目が疲れるのだろう?
2009年3月20日金曜日
人の話が聞けない理由と人に意見を訊けない理由
自分の言いたいことを言うのは簡単だ。それに比べて、人の話を聴くことは難しい。
質問に対して自分の考えで答えることは簡単だ。それに比べて、人の意見を訊くことは難しい。
年をとるにつれ、特に難しくなってくる。
なぜ?
もしかして、人間の中には学習するための書き込みのできるノートのようなものがあるのかもしれない。書き込まれてくると学習したいという気持ちが薄れ、入力装置がオンしにくくなるのだろうか。その学習したいという気持ちが薄れてくるのは、学習する必要性がなくなってきたことと、学習したものを守ろうという機能が働くのかもしれない。
ニューロコンピューティングを作るとき、それはどう扱われるのだろう?
一度学習したら新しく学習することができないようなシステムだと、頑固なコンピュータと言われることになるのだろうか?
逆に常に書き換え可能だと学習しないコンピュータということになってしまう。例えば駅員がロボットだとして、「おはようございます」と元気に言われたい人もいれば、さりげなく言われたい人もいるし、あるいは挨拶されたくない人もいる。いろんな注意をそんな人たちからいろいろ言われる度に学習してしまったら、彼らは口をそろえて言うだろう。「このロボット、学習機能がないんじゃない?」と。
こんな経験がないだろうか。マネージャーが自分の提案を見て、横並びのものを縦に並べるように言った。そこで縦に変えたら、それを見てグループのエキスパートの人が横に並べるように言ってきた。好き勝手言う前に自分たちで話し合って、意見がまとまってから提案をもってきてくれと思う。たぶんロボットもそう思うだろう。心があれば。
質問に対して自分の考えで答えることは簡単だ。それに比べて、人の意見を訊くことは難しい。
年をとるにつれ、特に難しくなってくる。
なぜ?
もしかして、人間の中には学習するための書き込みのできるノートのようなものがあるのかもしれない。書き込まれてくると学習したいという気持ちが薄れ、入力装置がオンしにくくなるのだろうか。その学習したいという気持ちが薄れてくるのは、学習する必要性がなくなってきたことと、学習したものを守ろうという機能が働くのかもしれない。
ニューロコンピューティングを作るとき、それはどう扱われるのだろう?
一度学習したら新しく学習することができないようなシステムだと、頑固なコンピュータと言われることになるのだろうか?
逆に常に書き換え可能だと学習しないコンピュータということになってしまう。例えば駅員がロボットだとして、「おはようございます」と元気に言われたい人もいれば、さりげなく言われたい人もいるし、あるいは挨拶されたくない人もいる。いろんな注意をそんな人たちからいろいろ言われる度に学習してしまったら、彼らは口をそろえて言うだろう。「このロボット、学習機能がないんじゃない?」と。
こんな経験がないだろうか。マネージャーが自分の提案を見て、横並びのものを縦に並べるように言った。そこで縦に変えたら、それを見てグループのエキスパートの人が横に並べるように言ってきた。好き勝手言う前に自分たちで話し合って、意見がまとまってから提案をもってきてくれと思う。たぶんロボットもそう思うだろう。心があれば。
引き出しの奥
情報量・知識量の多さ・スピードが勝ち抜くポイントだった。
今は、独創的であること・創造できることが重要な時代になった。
とにかくアクション・レスポンスの速いことが大事であり、たくさんコネクションを作っていくことが重要だった。
では、速度を競う中で独創的な発想を持つことができるのか?革新的なものを創造することができるのか?
市場の悪化で売り上げを上げることが難しくなり、外に対して働きかけても自分じゃどうすることもできない状況になった。そこで会社側は、市場の状況が改善されたときやリバウンドに備えておこう、という安易な発想に至る。つまり、今やれることをやって準備しておこうというわけだ。そして、今のプロジェクトをしっかり遂行することが大事だと、社員にはっぱをかけだした。上が「遂行することが大事だ」と言えば、中間管理職の人たちは自分たちのポイントを稼ぐために下をプッシュする。市場の鈍化で客も購買計画がないというのに、今の自分たちができるものを最速のスケジュールで作ろうとする。本当にあきれてしまう。
必死に力技で舵をとりながら流れの急な川を流れてきた。川の流れが緩やかになったのに、次の急な流れの練習も兼ねて、まだ一生懸命舵をとっているのだ。次の急な流れに直面するまで3年くらいその状況を続けたら、その3年後には疲れきってしまうだろう。
流れが緩やかになったのなら、その緩やかな流れに身を委ね、今まで見ることの無かった周りの景色を眺め、川の音に耳を澄ませ、空を仰ぐのがいいだろう。今まで気づかなかったものに気づき、きっと今までとは違った方法が見つかる。川岸に上がってもっと丈夫な新しい船を作ってみるのもいい。川原に咲く花の匂いをかいで見るのもいい。大丈夫。必ずまた川の流れにのって前に進めるから。
今は、今までの自分たちにはできなかったことにチャレンジして、幅を広げていくいいチャンスだ。今までやろうとしてできず、引き出しの奥に眠っていたものを引っ張り出してみよう。
今は、独創的であること・創造できることが重要な時代になった。
とにかくアクション・レスポンスの速いことが大事であり、たくさんコネクションを作っていくことが重要だった。
では、速度を競う中で独創的な発想を持つことができるのか?革新的なものを創造することができるのか?
市場の悪化で売り上げを上げることが難しくなり、外に対して働きかけても自分じゃどうすることもできない状況になった。そこで会社側は、市場の状況が改善されたときやリバウンドに備えておこう、という安易な発想に至る。つまり、今やれることをやって準備しておこうというわけだ。そして、今のプロジェクトをしっかり遂行することが大事だと、社員にはっぱをかけだした。上が「遂行することが大事だ」と言えば、中間管理職の人たちは自分たちのポイントを稼ぐために下をプッシュする。市場の鈍化で客も購買計画がないというのに、今の自分たちができるものを最速のスケジュールで作ろうとする。本当にあきれてしまう。
必死に力技で舵をとりながら流れの急な川を流れてきた。川の流れが緩やかになったのに、次の急な流れの練習も兼ねて、まだ一生懸命舵をとっているのだ。次の急な流れに直面するまで3年くらいその状況を続けたら、その3年後には疲れきってしまうだろう。
流れが緩やかになったのなら、その緩やかな流れに身を委ね、今まで見ることの無かった周りの景色を眺め、川の音に耳を澄ませ、空を仰ぐのがいいだろう。今まで気づかなかったものに気づき、きっと今までとは違った方法が見つかる。川岸に上がってもっと丈夫な新しい船を作ってみるのもいい。川原に咲く花の匂いをかいで見るのもいい。大丈夫。必ずまた川の流れにのって前に進めるから。
今は、今までの自分たちにはできなかったことにチャレンジして、幅を広げていくいいチャンスだ。今までやろうとしてできず、引き出しの奥に眠っていたものを引っ張り出してみよう。
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