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2010年6月22日火曜日

精神一到何事か成らざらん

人間にとって何が大切か?人生にとって何が大切か?悩みは尽きない。

苦しく悲しい人生よりも、楽で楽しい人生がいいのだろうか?そう単純なことではないだろう。苦しみから立ち上がるために努力をすることで成長するが、その状況ばかり続いたらもたないかもしれない。つまり、どちらも必要なのだと思う。

苦しみ、悲しみ、楽だ、楽しいという感覚は受け身であり、それに対して能動的な行為が求められるはずである。自分の理想や望みを成し遂げようという意志、その意志に沿った行動が求められるのだ。

精神一到何事か成らざらん

自らの意志をもって何かを成し遂げる。それが人生かもしれない。

2010年6月12日土曜日

みんなの力

一人一人の力なんて限られている。でも、皆が集まれば、大きなことができる。世界も変えられる。
そういう歌を思い出した。


一人の小さな手 何もできないけど
それでも 皆の手と手を合わせれば 
何かできる 何かできる

一人の小さな目 何も見えないけど
それでも 皆の瞳で見つめれば
何か見える 何か見える

一人の小さな声 何も言えないけど
それでも 皆の声が集まれば 
何か言える 何か言える

一人で歩く道 遠くてつらいけど
それでも 皆の足踏み響かせば
楽しくなる 楽しくなる

一人の人間は とても弱いけど
それでも 皆が皆が集まれば
強くなれる 強くなれる

2010年6月1日火曜日

変化よりも進化

変化と進化。この違いは何か? 変化とはただ変わることであり、進化とはステップアップを伴う変化である。

ダーウィンは、変化論とは言わず、進化論という。彼の理論では、それは進歩を伴う変化だったからだ。人間は、自分たちは変化してきたとは言わず、進化してきたという。文明も進化してきたという。進歩することを誇りに思っているからだ。

変化すれば、何かを捨てて、あるいは失って、代わりに何かを得る、もらうことになる。何かを得ることはいいことだが、失うのは難しい。本能的に拒んでしまう。だから、その得るものと失うものを天秤にかけて、同じ重さならば、変化しないことを選んでしまう。理由は、今あるものは確実であり、得られるというものの方が不確実だからだ。これが進歩ならば話は違う。天秤は得られるものの方が重いということを示しているからだ。

その結果、ただ変化しろと言われると、拒絶反応を示す。進歩を伴わないのに、今もっているものを捨てることはできないからだ。ただ、今持っているものの価値がなくなるということを突きつけられれば、今を捨て、自ら変化を望むだろう。自分の過去や現在を否定することは、さらに難しいのではあるが。

人間は変化が嫌いなのではない。これは、ここまで進化してこれたことからもわかる。状況の変化に適応するために、常に進化してきたのだ。今も進化の時だ。過去を捨て、新しい進歩への一歩を踏み出そう!

2010年5月26日水曜日

自己防衛しすぎない

子供のとき喧嘩して親に怒られたとき「謝りなさい!」と言われ「私は悪くないもん」とか「○○ちゃんだって謝ってない!」と言い返したことはないだろうか?そのとき、「いいから謝りなさい!」とさらに怒られなかっただろうか?あるいは「先に謝った方が勝ちよ」と言われたことはなかっただろうか?

自分は悪くないから謝らなくていいんだとか、相手が謝らないんだから謝らなくていいんだと自分の中で謝らなくていい理由を作ってしまうのは、自分を正当化しているからだろう。謝るというのは自分が悪かったということを認め許しを請う罰の悪い行為であり、それを避けるために自己正当化するのだ。これが人間の本質のような気がする。

ところが私たちが子供の頃はとにかく謝ることを教育されたような気がする。親だって理由なんてわからないから説明はできないが、そう教育されてきたから自分も子供にもそうしたんだろう。

お互いが自己正当化して謝らない社会じゃ、争いが絶えず、その争いに勝つ強さを持った者が勝者となっていく。お互いが謝る社会ならば、自己正当化の必要はなく、争いを避けられる。謝るとなぜか自分が悪かったと思わされるから不思議だ。悪かったから謝るはずなのに逆の現象が起こる。でも、これはいいことだ。争った場合は両者とも悪いのであり、謝ったことで両者とも反省することが大切だからだ。お互いが自己正当化して争い続ける世界では反省しない者が出てくる。

自己正当化は自己防衛本能の結果であり、その点では自己主張と似ていると思う。自己防衛しすぎると周りとの摩擦と争いを生む。人間だけではない、国もだ。周りを信じることで自己防衛しすぎないことがうまくいくこつなのではないだろうか?

2010年5月21日金曜日

変化のエネルギー

人間は変われないわけじゃない。実は変わりたくないだけなのだと思う。

変わるのにはものすごいエネルギーがいるから。

化学変化と似ている。大量の熱エネルギーや光エネルギーを吸収することで化学変化を起こす。それだけのエネルギーを作るのがたいへんだから、今のままでいいなら、敢えて変わりたくないのだろう。

そういうときもあると思う。でも、今は、変わらなければならないときだと思うから、自分のエネルギーを精一杯つぎ込んで変わりたいと思う。

2010年5月20日木曜日

なんでもトライ

世の中が暗くなってくると、「どうせ○○しても無駄だ」ということを言う人が増える。バブルで景気がいいときには「絶対に成功する」という言っていた人たちが、世の中の景気が悪くなった途端ネガティブになってしまう。なぜだろう?

実は逆の方がいいのかもしれないと最近思う。景気がいいとき程慎重に注意してやらないと、サブプライムローンのように調子に乗ってしまうとしっぺ返しをくらうことになる。そして景気が悪いからこそ、できることは何でもやるぞという意気込みでトライすることが大事なんだと思う。

つまり、景気が良くものすごい勢いで転がっているとコントロールがきかなくなるのでぶつからないよう速度を遅くするなりしてコントロールする必要があり、景気が悪く止まってしまったときこそ前に進むためのエンジンを思いっきり吹かした方がいいのだ。

「どうせ」は禁句。やれることがなんでもトライしてみよう。

壁を取り除けばいい

なぜ人間は壁をつくるのか?

例えば「わかってもらえない」「自分とは違うから」と、まるで壁が存在するかのように言い、実は自ら壁を作っているということに気づかない。「日本はガラバゴスだ」というのも自ら壁を作っているにすぎない。

本当は「わかってほしい」し、「同じことを共感したい」し、「世界の仲間になりたい」のに、受け入れてもらえないことを恐れ、その恐怖から逃れるために自分から壁を作って隠れているんだと思う。

受け入れてもらえないときの悲しみを受け止める勇気さえ持てば、壁など作らずに飛び込んでいけるのに。なぜわざわざ傷つくかもしれないのに飛び込まなければならないのかという人もいるかもしれない。答えは簡単だ。受け入れてもらえた場合の喜びは何物にも代え難いものだからだ。

2010年5月10日月曜日

Problem Solverは楽しい!

今までの仕事の中で、自分が何を最も楽しいと思ったのか?

いろいろ話しているうちに思い出した。
誰かが、シミュレーションがフェイルする、デバイスがボード上で動かない、テストプログラムがパスしない、ソフトウェアが動かない、と困っているのを見て「こうすれば動くわよ」と解決してあげるのが快感だった。誰かが困っているのを解決して喜んでもらえるのがうれしかったし、頼りにされるのが誇らしかったのだ。「○○さんに聞けばわかるよ」と言ってもらえるのが最高の楽しみだった。

仕様書を自分で書いたとか、これだけの規模のデザインをしたとか、これだけコストをセーブしたとか、何かに貢献したとあまり感じることのできないことよりも、他人に直接感謝され、頼られることがうれしかったのだ。

なんでこんなに単純なことを考えてみなかったのだろう?

これこそ、プロブレムソルバーじゃないか!

2010年4月30日金曜日

為せば成る

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり

最近よくこの言葉を思いだす。いい言葉だと思う。

2010年4月27日火曜日

We are the world!

今日はとってもうれしいことがあった。

私は補聴器機能のついた同時翻訳機をつくりたいとずっと思っている。
今日たまたまその話を人にプレゼンしてみたら、すごくいい、やるときは投資するし、協力するからって言われた。名前を決めるように勧められた。
たった一人でも、賛同していいと言ってくれる人間のいることがなんとうれしいことか!


これがそのプレゼン。












同時翻訳機という新商品のプレゼンをするマーケティングという仮定。

これがプレゼンの流れ。
1. なぜ会話が大切なのか
2. 同時翻訳機の効果
3. 同時翻訳機の製品説明
4. 同時翻訳機が世界を作る






なぜ会話が大切なのか?






「人間であるということ」
人間は言葉、直立歩行、道具の使用によって進化してきた。その進化の歴史において、会話が紛争の和解や国際関係の改善という大切な役割を果たしてきた。
「今であるということ」
技術が距離という問題を解決した結果、直接会って話をすることになった。ところがそのことが、言葉という新たな問題を浮き彫りにした。




なぜ同時翻訳機が必要なのか?








人間は「知らない」ということに恐怖を抱き、わかっていることは安心する。未知のものを危険物とみなすのは、動物の自己防衛本能からくるものである。だからわかっているものは安全であるので、受け入れるのだ。
通りすがりの他人が言っていることがわからないと、自分の悪口を言っているという猜疑心にかられることすらある。理由もなく疑う。
相手の言っていることがわからないと不安になり、自分の言っていることを相手が理解しないとなぜわからないのかとイライラする。言葉の問題だと思ってしまうと、途端に伝えることを諦める。もういいとばかりに相手が諦めたとき、受け手はとても嫌な思いをしてしまう。本当に言葉の問題なのか?実は違う。相手に理解してもらおうという気持ちがないだけのことだ。
同時翻訳機で通りすがりの他人の話の内容を知ることが重要なわけではなく、「自分は皆の話を理解できるという認識を持つこと」が大切なのだ。知ることができないのではなく、知ろうとしないだけなのだと思えば、不安や恐怖はない。
言葉の壁による不安、猜疑心、言葉の問題のせいにしてしまう気持ち、そういったものをぬぐい去ることができれば、世界は一つになれる。






同時翻訳機について







1. 耳にかけると母国語に同時通訳する
2. 言葉には喜怒哀楽と言った感情がのるが、空中の実際の会話には影響しないため、その感情の乗った声自体も相手に聞こえる
3. 一年寿命バッテリの小さい製品
4. 好きな声や好きな翻訳スピードに調整可能



同時翻訳機で世界を作ろう!
(ここでyoutube のWe are the worldを聞く)




だから今日はずっと「We are the world」を歌っている。

2010年4月23日金曜日

問題解決のテーマ

では、どんな問題を解決しようか?

「なぜスケジュールに間に合わないんだ?」とよく言われることがあるだろう。
スケジュール自体に問題がある部分もあるだろうが、ほとんどの部分が「予期せぬ問題」により見積もりより長引いているのだ。何が予期できなかったのか?

「なぜコンペの方がパフォーマンスがいいんだ?」とよく言われることがあるだろう。システムレベルでモデリングはしていないが、各インターフェースやクロック周波数を、そこ自体が最大スピードに対応するように決めたのになぜか?例えばメモリのインターフェースのスピードは十分なはずだとか、CPUのクロックは十分なはずだ、といういうように決めたのに、なぜか?

この辺から解決してみようか。

2010年4月12日月曜日

Problem Solverになろう!

コンサルタントは問題を解決するかもしれないが、解決しないかもしれない。それに対し、Problem Solverは必ず問題を解決するのだ。

今半導体の開発における問題を考えてみた。
1.大勢での開発によるコスト
2.大勢で開発するために起こるコミュニケーションの問題
3.大規模回路であるためにかかる検証期間拡大によるサイクルタイム長期化
4.大規模回路であるために問題箇所が見つけにくくサイクルタイム長期化
5.大規模回路であるためにすべてを検証しきれず、バグ修正のためのテープアウトのし直し
6.システムモデルシミュレーションで予想したパフォーマンスがハード実装後に出せない問題
7.ハードで推測検討したパフォーマンスがソフト実装後に出せない問題
8.ディープサブミクロンプロセスにおける大規模回路であるためにタイミングクロージャー期間の長期化

さて、これらの問題を解決していこう。
1. Design IP, Verification IP(VMM), Verification Environment の再利用化 ー 開発人数の削減、開発期間の短縮、不確定要素の除去によりコミュニケーション問題を低減、再利用であるための経験値の向上からくる効率化
2. Assertion, Randomization, DPI-C ー アサーションにより問題箇所を素早く抽出、テストをオートメーション化、ファンクショナルカバレッジの向上、C言語記述によるシミュレーション時間短縮
3.インターコネクトバスモデルによるアーキテクチャパフォーマンスの検討 
4.フロアプランと物理レイアウトを考慮したアーキテクチャの検討 ー レイアウトTATの短縮

まずはこの辺りから始めるめてみよう。

2010年4月11日日曜日

今求められる者

今皆が苦しい。それを見ないようにしている人もいれば、突きつけられて見ざるを得ない人もいる。逃げられない人は、苦しいから必死に考える。

自分はどうしたいのかといろいろ考えた。でも、実はその前に考えることがあった。「今必要とされる人間とはどういう人間なんだろうか?」だ。

それは実は単純なことかもしれない。世界中が苦しいから、この状況を打破できる人間なんだろう。こうすればいい、あれはだめだと言うだけの評論家でなく、実行できる人間だ。たぶん一人で素早く今の世界を救える人間なんてどこにもいない。だから、一人一人が立ち上がって必死で前進していくことが大切なのだ。必死で前進するってことは一見かっこいいことではない。でも、例え泥だらけになっても、がむしゃらに必死に前に進もうとする姿が実は一番美しいのだ。人間はそういう姿に感動するの生き物だからだ。そうして前進しようとする人間に、周囲は同調する。

苦しいと力やエネルギーが湧いてこなくなり、スローになってくる。するとますます前進できなくなる。これが悪いループ。だから、これを断ち切るために、まず、力とエネルギーを満身に込めてえいやっと前進しようとすればいい。そこから前に進めるから。

2010年4月7日水曜日

起業のモチベーション

なぜ起業をするのか?

成功によって、自分の名誉、財産、地位を得るために起業する人が多いのかもしれない。そういう場合はCEOとして周りから尊重され羨ましがられ、最終的に会社を売ってお金を得たとしても満足なのだろう。景気がよく経済が成長しているときは、そういった個人の私利私欲を満たすだけの余裕が社会にあり、各個人がその利益を得ようと競えばいい。では、景気が悪いときはどうか?社会には個人に利益を分散するような余裕はないので、個人の私欲は満たされず、満たされないことで意欲が低下し、マイナスのスパイラルへと突入してしまう。

では、景気が悪くなり経済が停滞•衰退している状況下での起業は、なにを目的とするべきなのか?社会貢献を目的としなければならない。人間が他人のために頑張れることは、個人の私利私欲のために頑張れることを遥かに凌ぐ。おそらくこれは、(1)他人に認められることが自分で自分を認めることよりも遥かにうれしいとか、(2)他人に頼られることがうれしいとか、(3)自分の評価というのは結局他人に映った自分だという、人間の性質に依存するのだと思う。

成功した起業家とは、社会のことを考えていた人たちなのかもしれない。例えば戦後の日本から這い上がろうとした人たちは、個人の成功よりも日本の再興を考えていたのではないだろうか?本人に聞いてみないとわからないが。

そういったソーシャルアントレプレナー達が活躍する時代なのかもしれない。

2010年3月20日土曜日

共感コミュニケーション

コミュニケーション能力が高いというのはどういうことか?

結論から言うと、他人と共感できる確率の高い人間のことだと思う。常に100%共感できる人が一番コミュニケーション能力が高いと言えるだろうが、そういう人間は存在しない。

共感するためのスキルとして、自分の意思を明確に相手に伝えるとか、相手の言うことを理解するとかいうことが必要となるのだ。そしてそういう人は、得てして相手のことを受け入れる包容力の大きい人が多い。

普通のコミュニケーションでは、ターゲットとなるコミュニケーションの相手というのがいる。まずその相手に心を開かせることから始まる。一番簡単な方法は相手との共通点を見つけることだ。これは人間に安心感を与える。次に相手の言っていることを理解しようとする。これによって相手はこちらの話も聞くという体制を作ってくれる。そうして相手が受け入れる体制を作り、相手がどういう人間かを理解したところで、相手の反応を見ながらこちらの意見に共感してもらえる方法を模索することになる。このプロセスは一方だけでなく両者が同時に行う必要がある。

昔のセールスはターゲットの顧客に対し、そのコミュニケーションスキルを使って売りこみをしてきたプッシュ型だ。だが、ネットマーケティングは違う。顧客を絞るのでなく、自社のブランディングをすることで不特定多数の顧客を呼び込み、自社製品に関心を持ってくれた顧客に勝ってもらうプル型だ。人間は売り込みにきたものに対しては警戒をしていきなり心を開かない傾向にあるが、自ら興味をもったものに対しては警戒をせずいきなり心を開いている傾向がある。

ネットのコミュニケーションはそのプル型だ。自己ブランディングをし、それに興味を持ったり共感してくれた人間のみを対象にするプル型なのだ。プル型の利点は、相手に心を開かせて安心させるところが必要ないことだ。最初からこちらの話を聞く体制を持っている。だから自然と共感してくれることが多い。しかし、あまり個性的な意見を言っているサイトに対しては、非常に強く反発し、攻撃さえする。理由は明らかだ。相手がどういう人間かをお互いに理解しようとしてはいないし、共感しようとさえ思っていないからだ。それも一種のコミュニケーションだろう。おそらく犬も威嚇をしたりしっぽを振ったりして自分の感情を表現する。

共感ということは、言葉という高度な道具を持った人間のみが持つ高度なコミュニケーション能力なのだと思う。言葉により、より相手を理解したり相手に理解してもらえたりするのだから。そして、相手に受け入れられることで得られる安心感という感情が、その共感を必要としているのだと思う。

2010年3月18日木曜日

自分にできることを精一杯やる

自分にできることを精一杯やる。当たり前のことのようで、最近忘れられているような気がする。

なぜか?三つ理由があると考える。一つは「××だからできないんだ」と言い訳をして通ってしまうから。次に、手を抜いた方が楽だから。そして最後の理由は自分ができることが何かをちゃんと認識していないから。

一つ目の言い訳のことだが、昔はよく「言い訳をするな」と言ったものだが最近はあまり言わなくなった。実は、その言い訳の理由に対する許容範囲が広がったからだと思う。例えば「土日や祝日、休暇中だから」「子供の行事があるから」とかそういった理由は昔は通らなかった。「忙しいから」が理由になる場合すら今はあると思う。

楽という点に関しては、生活が豊かになったせいだろう。楽しても生きられるようになってきたのだ。

最後のことが今一番重要だと思う。最近は「自分ができること」が何なのか真剣に考えない。それは、「自分ができないこと」を認識していないからだ。
実は「自分ができないこと」を認めるのは人間には難しい。自己否定の感情を伴うからだ。だから自分でなど証明しない。他人によって証明されるまでは、できるかどうかについてあまり考えようとしない。しかし、「自分ができないこと」に直面させられたとき、人間は本気で自分にできることを考え、「自分にできること」を必死に探す。

挫折した人間というのは「自分にできないこと」を認めさせられる。だから這い上がるため、自分にできることに必死になる。多分挫折を経験した人間が強い理由はそこだと思う。ぬるま湯に浸かっていると、必死になるのは難しくなる。たまにはどん底に落ちた方がいいのだ。

2010年3月17日水曜日

人とのコミュニケーションとは

人に必要とされること、人に頼りにされること。これらは人間に不思議な甘い感覚を与える。さらにその期待に応えられたりすると、満足感さえ生じる。

特に動物の本能なのだろう、男性は女性に頼られると、たいていうれしくなる。その甘美に酔いしれる人も多い。あるいは、上司は部下に、親は子供に、先生は生徒に頼られると非常に喜ぶ。性別のことも含めこれら特定の場合には、頼られる側が頼られるべきであると思っているところがポイントなのだ。つまり、頼られるべきであるということが潜在的なプレッシャーになっており、逆に頼られなかったらどうしようという不安もある。頼ってもらったことでそのプレッシャーから解放されると同時に達成感に近い安心感が生まれるのだ。

報連相という言葉があるが、上司も先生も親も、自分に忠実でよく話しかけてくる部下がかわいいものだ。そして、メールでやりとりしただけよりも電話、そして電話で話しただけよりも直接顔を合わせた方がだんぜん印象がよくなる。。私はこれがコミュニケーションなのだと思う。
ネットの発展は、人的つながりというネットワークを発展させるが、コミュニケーションは発展させないことをはっきり認識しておくべきだろう。特にアノニマスで好き勝手を言うようなサイトは、コミュニケーション能力を低下させる可能性がある。ここのように自分の好きなことを一方的に書いていることはコミュニケーションとは言わない。例えネットで顔と名前を出してもだ。人とのコミュニケーションとは、相手のことを考え、相手の気持ちになってする双方向の会話のことだ。コミュニケーション能力を上げるには、実際に人と話し、自分の言葉や表情に対する相手の反応を見て、相手のことを考えるということを学ぶしかない。

アメリカの教師は給料が非常に安い。給料が安いからいい人が教師になろうとはしない。鶏と卵だ。学校とはこのコミュケーションを学ぶ上で最も重要な場所であり、その教師の給料が安いということは問題なのではないかと思う。

2010年3月15日月曜日

努力を惜しむな

スカイプをオンにしていたら、スカイプに知らない人からチャットでパーティのお知らせが来た。広告だろうが、おもしろいことを考えると感心した。これで来る人がいるのかしらと思ったが、ダイレクトメールだってそれで買う人がいるから出すのだろう。

始めから無駄だと思ってやらなかったら何も起こらない。昔、聞いたことを思い出した。頭のいい人は先まで見えてしまうのでできないとわかりやらない。頭の悪い人はそこまで見えないのでやってみる。すると、思いがけない発見が起こったりすると。

こういう状況だと無駄だと思ってやらないことが多い。景気がいいと、うまくいけばラッキーととりあえずやってみようという気になるのに、景気が悪いと途端に皆確実なことだけやりたがる。成功する確率が減るからだろう。例えば景気がよければベンチャーに入ってIPOを期待する人がたくさんいるが、景気が悪いと安定した起業に入りたがる。IPOの確率が低いから、リスクをとらず確実に稼げる方法をとるからだろう。

そうしていると、不思議と思考回路や行動パタンが無駄だと思うことをしなくなる。もともと人間とは楽をしたいと考える生き物なのだろう。たまたまうまくいきそうなものがあればそれに対する期待と興奮で無駄なことをすることがあるだけなのだと思う。だから、その期待と興奮をもてないと、無駄なことはしない。

でも、それでは何も起こらない。今私たちに必要なのは、例え無駄だと思ってもそれをする気力。先の見える頭のいい人のふりをして「やっても無駄だ」ということではなく、頭の悪い人になって「やったら何か起こるかもしれない」と思うことだ。どんな努力も惜しんではいけない。