2009年3月20日金曜日

人の話が聞けない理由と人に意見を訊けない理由

自分の言いたいことを言うのは簡単だ。それに比べて、人の話を聴くことは難しい。
質問に対して自分の考えで答えることは簡単だ。それに比べて、人の意見を訊くことは難しい。
年をとるにつれ、特に難しくなってくる。

なぜ?

もしかして、人間の中には学習するための書き込みのできるノートのようなものがあるのかもしれない。書き込まれてくると学習したいという気持ちが薄れ、入力装置がオンしにくくなるのだろうか。その学習したいという気持ちが薄れてくるのは、学習する必要性がなくなってきたことと、学習したものを守ろうという機能が働くのかもしれない。

ニューロコンピューティングを作るとき、それはどう扱われるのだろう?
一度学習したら新しく学習することができないようなシステムだと、頑固なコンピュータと言われることになるのだろうか?
逆に常に書き換え可能だと学習しないコンピュータということになってしまう。例えば駅員がロボットだとして、「おはようございます」と元気に言われたい人もいれば、さりげなく言われたい人もいるし、あるいは挨拶されたくない人もいる。いろんな注意をそんな人たちからいろいろ言われる度に学習してしまったら、彼らは口をそろえて言うだろう。「このロボット、学習機能がないんじゃない?」と。

こんな経験がないだろうか。マネージャーが自分の提案を見て、横並びのものを縦に並べるように言った。そこで縦に変えたら、それを見てグループのエキスパートの人が横に並べるように言ってきた。好き勝手言う前に自分たちで話し合って、意見がまとまってから提案をもってきてくれと思う。たぶんロボットもそう思うだろう。心があれば。