2009年11月25日水曜日

超能力か未来の技術か

技術の進歩は、人が超能力と考えたものに似ている。

携帯電話は遠くの人間に声が届く。数人に一気にユニキャストすることができないが。

テレビやビデオ会議や遠隔ホームセキュリティシステムは遠くのものが見えたり聞こえたりする能力だ。

3Dモーションセンサーは人間の動作に合わせてものを動かすことができる技術だ。さらに自動車業界は脳波を読み取って物を動かす技術を開発している。

人の考えを読み取ったり、空を飛んだりできるようになる日も来るのかもしれない。

そう考えてみると、超能力とドラえもんの未来の道具は似たような物なのだろう。ドラえもんの未来の道具が近未来で、超能力はさらにそのまた先の未来なのだろう。例えば、まずはタケコプターで空を飛べるようになり、その後タケコプターなしで飛べるようになるのだ。

そうだ。次元を超えて、もしもボックスと四次元ポケットも作らないと。

2009年11月14日土曜日

人の変化の認識

私は知り合いに会っても、知り合いだと認識するのがすごく難しい。数ヶ月ぶりに会うだけで、「すぐにわかるだろうか?」と少し不安になる。さすがに毎日会っていれば問題ないのだが。

加えて、他人の顔色の変化、表情の変化、痩せたとか太ったとかの微妙な変化にすぐに気づく。何かおかしい感じというか、顔色が悪かったり赤くなっていたり、落ち込んでいたり、頬の張りが違っていると違和感がするのだ。

今までは、人が認識できない程あまり覚えていない私がなんで違いに微妙なのかピンとこなかった。ところが最近はっとした。たぶん逆で、細かく覚えすぎているために、少しの違いで認識しづらいのかもしれない。

セキュリティで顔認識の研究がすすんでいるが、まさにその、どこまでを特徴として捉えるかが難しいのだ。年齢による変化、体調不良による変化、あるいは天気等の環境による違いをどう組み込んでいくかだ。

なぜこんなことを思ったのかというと、最近職場でも職場外でもストレスで激やせして表情の思い人が何人かいる。私からすると激やせなのだが、周りの人はぜんぜんわからないらしい。あんなに明らかなのにわからないとは。それが不思議でしょうがなかったからだ。

ブラックベリーの未来は?

うちの会社の場合だが、ブラックベリーは買ってもたせてくれるが、iPhoneは買ってはくれない。個人でiPhoneを買えば、会社の電話として登録して使うことはできるが。iPhoneを買って、それを会社の電話として登録して使っている人が多い。

ところが、家の固定電話は個人で契約して支払う。家からネットでPCをつないで仕事をする場合、家のネットワークを使って会社にアクセスするため、会社が支払うことはない。

いつもこの違いは何なのかと思う。たぶん固定電話は家の必需品として存在していたのに対し、携帯は新しく現れたものであり、最初、自分の携帯を持っていない人が多かったため、会社が用意する必要があったからだろう。ところが、携帯は普及したため携帯を支給する必要が薄れてきた。しかし、そこにブラックベリーというものが誕生し、エンタープライズ向け携帯がそちらに移っていき、会社の支給対象がブラックベリーになっていったのだろう。

ここでiPhone, INQ Mobileの登場が携帯電話を、電話から携帯ソーシャルネットワーキング端末へとシフトさせている。電話は、音楽を聴いたりテレビを見たりするアクセサリの一部にすぎなくなる。これにより、エンタープライズ向けだったスマートフォンというものが、コンシューマ向けのソーシャルネットワーキング端末へと広がってきり、個人でそのその端末を持つようになる。ここで重要なのは、電話でなくインターネットに月額固定でつながるため、Skypeなど使う放題なら会社が電話代を払う必要などないということだ。家の固定電話と同じになる。

つまり、1)会社支給のブラックベリーでなく、iPhoneを個人で買って使う人間が増えていること 2)ソーシャルネットワーキング端末の出現と月額固定料金でそのインターネット通話が可能になったこと により、会社が電話やスマートフォンを支給する必要がなくなってきたということだ。

エンタープライズ向けスマートフォンとして伸びてきたブラックベリーは、これからどういう方向に進むのだろう。インテルの言うMIDという少し大きめの端末を目指した方がいいかもしれない。

2009年11月5日木曜日

すべてのポータブルがネットにつながる

MIDとは何か、ちょっとわかったような気がする。

昔、家の家電はすべてネットワークにつながりお互いにコミュニケーションできるようになると言われていた。そしてホストは電気を大量に使える冷蔵庫だと。冷蔵庫は置いておいて、この「ネットワークにすべて家電がつながる」がヒントだったのかもしれない。

つまりは、何でもネットにつながるのであり、それこそがMIDなのだ。特定のMIDという端末など存在しない。つながるものすべてがMIDとなる。すべてというと言い過ぎだが、ポータブルなものはすべてMIDになりうる。iPodがネットにつながればMIDになり、NintendoDSがつながればMIDなのだ。

つまり、MIDというものの形を追い求めるのでなく、それらがつながった状態でのアプリケーションを考えた方が先の市場が見えてくるかもしれない。

「人と人」より「人々と人々」のコミュニケーション

メールや電話は、返事を期待するものなので、受けた方はすぐに返事をしないと友達を失うなどの変な強迫観念が生まれる。また、出した方は返事がないとストレスを感じるという、リアクション中毒にかかってしまう。その結果、ストーカー状態になる。

こんなお互いにストレスとプレッシャーを掛け合うコミュニケーションは不健全であり、定着するものではない。ビジネス上も、返事の遅さによって客からの信頼を失うことになり、客とうまい信頼関係を築ける手段とは言いにくい。客が一人、二人と特定であれば可能だが、不特定多数相手だとすべてに即答するなど無理なのだ。

問題はどこにあるのか? 最初の問題は、相手が見えないことなのだ。見えないからイライラする。だから見えるようにする。相手が無視している訳ではなく、忙しいだけで返事をする気持ちがあるということさえわかれば、待てるものだ。次の問題は、受信者が一人であることだ。ある一人の相手に送った場合に返事がないと、人間はイライラする。ところがブログのように相手を特定せずに書いて誰からもリアクションがないとイライラでなく、不安になる。不思議なことに、皆が無視していると怒る気分にはならないのだ。人間とはおもしろい生き物だと思う。

では、どうすればいいのか? やはり、SNS,Twitterのようなゆるくて多数の人間が参加できるコミュニケーションが望ましいのだろう。他の人が返事しても構わないわけだし、その人が他のことに返事をしてももちろん構わない。それがごく普通のフェースツーフェースの会話でなされることなのだ。

結局、人間のコミュニケーションは、「人と人」というよりも「人々と人々」なんだと思う。

オンラインコミュニケーションの場

テレビでYoutubeを見るということは何を意味するのか考えてみた。

昔から考えてみれば、ブロードキャストでダウンストリームのみだったテレビというものが、双方向になってもまだブロードキャスト用の映像から好きなものを選ぶビデオオンデマンドにしかならなかったのに、インターネットとの接続によりブロードキャスト用でない個人映像を自由に見れるようになったことになる。

一方的に受け取るのみの新聞/雑誌/本が、インターネットによって自分から情報を発信できると同時に個人の意見が自由に読めるようになったのと同じだ。この変化の波が、文字から映像にまで波及したと考えられる。

その場を提供するものがYoutubeであるということだ。もうちょっと突き詰めて考えると、Youtubeは誰に見られるかわからないブロードキャストタイプの発信だが、SNSならば自分で受信者を選択できるユニキャストタイプになる。人間はどうやらこっちの方が心地がいいらしい。見知らぬ人と話すより友達や家族と話す方が楽しいのだ。だが同時に、不特定多数の人間に見てもらいたいこともある。そういうときにはYoutubeがいい。グリーンピースが訴えたり、ギターを壊したユナイテッドを避難するには、Youtubeの方がいい。ちなみに、私はYoutubeや Blog やTwitter からは、「見て見て見て!!」という声が聞こえてくるようにすら感じる。

つまり、Youtube, Blog, Twitter は誰かに見てもらうこと自体を目的としているのに対し、SNSはサークルや部活のように友達や仲間を作ることを目的としているのだろう。学生時代にサークルや部活に入ることの一番の目的は友達や仲間を作ることだったのと、まさに同じだ。部室に行くと、いつも仲間がたむろっているので誰かと話せるし、しかも必ず行かなければならないということもない上、自分が行きたいときにいけばいい。まさにゆるいコミュニケーションを可能にするものがサークルや部活だったのだ。自分が行きたいときに行くのと同様、SNSでは自分がアップしたいときに自分の言葉なり写真なりをアップすればいい。たまたま部室に来た仲間がそれを見てくれ、コメントもくれたりする。

ちなみにTwitterは、流行を追うように、最新情報を常に追いたい人たちが使うものだと思う。だから若い女の子に人気があるのだろう。なぜか若い女の子は流行に敏感でありたいと思い、それを競い合うものなのだ。「知らないのぉ〜」という言葉が昔流行ったように、流行のことを知らないといけないという恐怖感にかられるのだ。残念ながら、その理由までは私にはわからない。

だんだん、Youtube, Blog, SNS, Twitterそれぞれの場の位置づけがはっきりしてきた。ここで重要なのは、これらの用途から、モバイルにとって重要なのは 1)Twitter 2)SNS であり、PCやテレビにとって重要なのは 1) Blog 2) Youtube であるということだ。

2009年10月1日木曜日

アップルは垂直統合型?水平分業型?

ITの世界は垂直統合型が水平分業型へとシフトしているが、アップルはどっちなのだろう?

Macはインテルは使ってもウィンドウズを受け入れなかった。iPodはiTunesで音楽業界とコラボレーションし、iPhoneはAT&Tを使い、アプリはアップストアでユーザーとコラボレーションするが、シンビアンやアンドロイドは使わない。
こうやってみると、中も作ってみたが結局それが最高というわけでもないので見えない内部のハードにはこだわらないし、コンテンツやアプリは用意だけするが、見えて触れるソフトとメカニカルな外形にはこだわるだけの自信があるから自前という考えなのかもしれない。

自分のこだわるポイントが明確だ。

そういえばPCといえば98だった学生のときに、Intel という会社がCPUシェア7割をもっていて、自分たちのCPUを使っているPCに自社ロゴ入りのシールを強制するという記事を読んで驚いたことを思い出した。というのも、このマックブックはインテルなのにシールがないことに今気づいたからだ。シールいらないの?

エコシステム マップ

水平分業型モデルにおいて、自分の位置と役割、自分と他社との関係、他者同士の関係等、そのビジネス全体のマップが見えると関係が築きやすいのではないだろうか?

そのビジネス全体の中で各社の位置と役割と関係が成立したもの自体がエコシステムなのだから、結局エコシステムマップがほしいということになるだろう。

そんなソフトを開発したら売れるかもしれない。

2009年9月25日金曜日

半導体のビジネスモデル

ソフトウェアはライセンス料で儲けるビジネスモデルだったのに、フリーのOS、オープンソースによりそのビジネスモデルは崩れてしまった。

半導体はチップを作って売るというビジネスモデルだったのに、徐々にファウンダリに製造部分を奪われ、IPプロバイダにコア部分の開発をとられ、そのビジネスモデルが崩れようとしている。業界全体で見れば崩れていないのかもしれないが、半導体ベンダーという視点から見れば、崩れてきていると言えよう。今後半導体ベンダーに何が残るのだろうか?垂直統合型の半導体ベンダーが10年後も存在しうるのだろうか?

2009年9月24日木曜日

携帯シェア

これからPCに替わって本流となる携帯やスマートフォンの今の状況を見てみた。戦国時代が始まるのだろうが、何がシェア拡大の牽引力になるのだろうか?

携帯
36.2% Nokia 
19.1% Samsung
9.9% LG
6.2% Motorola
5.4% Sony Ericsson

スマートフォン
41.2% Nokia
19.9% RIM
10.8% Apple
5.4% Fujitsu

2009年8月18日火曜日

「原因はストレスです」と言ったら治療費はただにしましょう

医者はとりあえずマニュアルどおりのチェックをして問題がなくて原因がわからないと、「原因はストレスです」と言う。なんて便利な言葉だろう。ストレスによって起こることは様々で範囲が広く、曖昧なため証明する必要もない。魔法の言葉だ。ストレスが根本原因なのはかまわないし、そんなことを医者に診断してもらいたいとは思わない。調子が悪い直接の原因が知りたいから医者に行くのだ。

例えば胃潰瘍が発見されていない時代で胃潰瘍を調べる方法がなかったときに、「胃が痛いんです」「ストレスですね」と言われたとする。納得いくだろうか?ストレスが根本原因だろうが、そのストレスによって胃の粘膜が弱まり、胃に穴が開いているということを医者に発見してもらいたいから行くのだ。

その症状の理由を物理的に証明できない場合に「原因はストレスです」という答えだったら、治療費はとれないということにしたらどうだろう?

実際、その医者に発見できないか、現在の医学ではまだ解析・証明できない原因なわけなのだから、医者ははっきりそう言えばいいのだ。結局のところ、医者が「わかりません」と言えない、彼らのプライドだけの問題なのだ。

サウナでサウナスーツ?

スポーツジムのサウナで寝っ転がっていた太目の女性がいた。よく見ると、下はスウェットだが、上は黒い長袖のサウナスーツを着て、その上からTシャツを着ていた。頭の上の方には水のボトルが置いてあった。そんなことして大丈夫なんだろうか?

やせるんだろうか?ならば私もやってみたい。

2009年7月2日木曜日

グローバリゼーション

日本にいたときは、アメリカ企業はグローバルなんだと思っていた。ところが会社にもよるだろうが、実際、アメリカ企業の中にグローバルなアメリカ人がどれだけいるのだろうか?

ほんとんどが、アメリカで生まれ、アメリカで育ち、親も親戚もアメリカ人。親が他国から来たという人はけっこういるが、本人がアメリカ生まれアメリカ育ちでは、本当の意味で母国を知りようがない。私が日本にいたときにアメリカ企業で働いていたときにも、何度も出張でアメリカに来てアメリカ人と仕事をした中でアメリカを知った。その程度の知識と変わらない。その国のシステムの中で暮らしてみないとまったくといっていいほどわかるものではないのだ。

そんな中で、オバマは、歴代の大統領と違って、グローバルな大統領なのかもしれない。アフリカ人の父親をもち、幼少時に東南アジアに住んだことがある大統領が今までいたのだろうか?

2009年6月28日日曜日

中国語の標準化

以前イギリス人が、アメリカのある空港のショップでサンドイッチを買ったとき「Can you speak English?」と聞かれたと言った。これは笑い話だが、同時に私にとってはいろんなことが頭をよぎった瞬間だった。

まず、アメリカ人にとっての標準語である英語とは、アメリカンイングリッシュであるのだ。ブリティッシュイングリッシュを知らないアメリカ人が大勢いて、ブリティッシュイングリッシュを訛っていると思って適当にあしらっているのだ。どちらが訛っているのか?ブリティッシュイングリッシュから派生したアメリカンイングリッシュが、世界の標準英語になったということだ。

次に、中国人が13億で世界の20%を占める。アメリカが5%、さらに中国人には華僑がいて、そのアメリカ人の中に中国語を話す人間がかなりいるのだ。インドは人口自体は多いが、その中で英語を話す人間の割合はかなり低いため、あめり英語人口には貢献しない。つまり、世界で最もよく使われている言語が中国語なのだ。

中国語が標準語となる日も遠くないのかもしれない。誰がどうやって、標準語が何かを決めるのだろう?

おそらく、市場が中国ということで、客と中国語で話すことが必要になり、アメリカ企業でも中国語の話せる人間が重宝されていくだろう。社内でも中国語がおおっぴらに使われるようになり、それを受け入れていかねばならなくなる。

健全な企業

上司は自分の好きな人間の自分の下に置きたい。そのために自分の嫌いな人間はきってしまうと何が起こるか?

あまり能力のない人間が媚びへつらい、かわいがられてひきあげられる。能力はあるが故に上司に媚びへつらうことをしない人間は疎まれ、切られる。その結果、能力のない人間ばかりの集団ができあがる。能力のある人間は、コントラクタとしてより高い給料をもらったり、スタートアップにかけてみたり、媚びへつらうことなく結果を出す。

大企業とは一部の頭のいい人間と、それに媚びへつらう人々でできあがっているのか?そんな企業はすぐに縮小させられるだろう。それは、媚びへつらう目的が、個人の利益だからだ。企業人であるというとこは、企業の利益を考えなければならないのであり、自分個人のポジションのために媚びへつらうことは会社の利益と必ずしも結びつかない。各個人が、会社の利益とが結びつくような自分個人の利益を考え、行動することが求められる。

ところが、必ずしも全員がそれを考えられるというわけではない。だから、それを考えることができる優秀な人間が管理職となり、部下の利益を会社の利益と結びつけるように導く。だから会社側の利益を考える管理職というのが必要なのだ。

つまり、健全な企業とは、いろんな人間がいて、それぞれがそれぞれの利益を考えつつも、それが企業の利益と結びついていて、みなが同じ方向へ向かう、そういうものじゃないのだろうか?

2009年6月22日月曜日

常識を捨てて相手を理解してみよう

グローバルな人材の定義というと、ビジネススクールにあるような授業のタイトルを並べることが多い。ちょっとうんざりする。定義よりも大事なのはその本質なのではないか。

私が日本人以外と仕事をするようになって最初にぶつかった壁は、「私にとっての常識は相手にとっては常識ではない」「自分にとっての当たり前は相手にとっては当たり前ではない」ということだ。
私たちは学校で先生から、家で親から「〇〇するのは当たり前」「XXしないのは当たり前」と言われ続けてきた。例えば「目上の人に敬語を使うのは常識」「周囲の人に合わせるのは当たり前」という風にだ。この「常識」や「当たり前」の感覚を取り払うことが最初の一歩だと思う。

あくまでも「常識」や「当たり前」を取り払うのであって、別の新しい「常識」や「当たり前」を身につけてしまったら、それもグローバルではなくなる。他の地域にローカル化されたにすぎない。まあたまにかぶれてしまって「日本って信じられない。向こうでは〇〇が当たり前なのよ」などと言い出す人もいるが、これは他の地域でローカル化されてしまった人の典型だ。

身近な例をあげよう。「ある人にとって10分前集合は当たり前」であっても「私にとっては当たり前ではない」上、私が10分遅刻したとする。その「ある人」にとっては20分遅刻であるのでそれを20分遅刻並に怒ったとする。もしもその人が10分前集合を前提としていることを知っていれば、納得はしないが、その憤りは理解はできる。知らなければ、「たかだか10分で細かい人」と思うかもしれない。

ここで大事なのは、「納得するか」でなく「理解できるか」ということなのだ。相手と同じ「当たり前」を身につければ納得できるのだが、そうすると今度はそれが当たり前でない人の感覚が納得できなくなってしまう。つまり「相手はこう考えるから、こういう反応をするのだ」ということがお互いに理解できれば、わかりあえたことになる。この「お互いを理解しあう」「わかりあう」というのがグローバル化にとって大切なのだ。

理解できれば、相手のことを「おかしい人だ」なんて思わなくなる。「おかしい人」なんて世の中にはいないのだ。もしも「あの人はおかしい」という言葉が口をついて出たら、「自分はあの人のことを理解しようとしたのか」と自問自答してみよう。理解できたら、相手のことを「おかしい」なんて言わなくなるだろう。代わりに「彼はね、〇〇なだけなんだよ。」と言うようになるだろう。

簡単なことだ。人それぞれであり、相手は違うんだということを理解する。まさにダイバーシティだ。そして、相手を理解しようとすること、相手に理解してもらうこと。これがグローバルの本質だと思う。

2009年6月3日水曜日

ストレス計

風邪を引くと熱が出て、体温計で計測することにより体調不良を物理的に認識できる。

ところがストレスがあっても物理的な認識方法がないため、治療が難しい。

物理的に実証できない病を「心の病気」として嫌ってきたから、実態のない病気は病気であるということ自体を認めることが難しいのだ。ストレスに限らず精神に関わる病は忌み嫌われてきた。

病気だと認めてもらえないことほど、病気の身にとってつらいものはない。病気じゃない以上、耐えて頑張らなければならない。熱があるのに5キロのマラソン大会に出場させられるのに近い状態になるかもしれない。熱をこじらせて最悪の状態になることだってある。つまり、軽度のストレスに耐えているうちに重度の精神疾患に発展してしまうかもしれないのだ。

ストレスも測ることによって物理的に示せると、休養できるし、周囲もいたわってくれる。そうやってお互いにいたわれれば、社会がよりよくなる気がする。

2009年5月29日金曜日

転職にとって大切なのは社交性

なぜこの田舎よりもシリコンバレーの人たちが社交的なのか、今更ながらその理由を実感する。

まず、社交的でないとすぐにクビを切られる。今働いている人間が新しく来た人間を気に入らなければ切るからだ。次に、会社を転々とする場合、お互いの悪口はお互いの状況を悪化させ、お互いに足を引っ張り合って職を失うことになるのだ。LinkedInのリコメンデーションがいい例だろう。例え嫌いな上司でも好かれるように振舞っていればリコメンデーションがもらえ、上司もいい上司だという評判があれば次も管理職を得ることができるわけだ。実際にいい上司かどうかなんてまったく関係ないのだし、数年経ったら辞めるんだから一時的に好かれるように社交的になればいいのだ。

田舎のカルチャーはもっと日本に近い。簡単にクビをきられるわけでもなく、職を転々とするわけではないから、そこまで社交的ではない。とはいえ、日本よりはレイオフが簡単なため、上司に嫌われることを非常に恐れる。上司に従うことは当たり前で、従順にならなければならない。特にこういう不景気の状況下では、その傾向が顕著だ。

どこでも同じだが、経験10年の人と、新入社員だったら、後者のほうが従順になりやすいからそちらが好まれる。失業率の低い状況下では簡単に仕事を探せるため経験者は辞めてしまえばいいが、そうすると残った新入社員ばかりでは仕事自体が行き詰る。つまり管理職にとって大切なのは、癖のある経験者をうまくハンドルできるかどうかなのだ。

今そういう状況がおこっている。経験者が大量に会社を去り、実際のプロジェクトの遂行が以前よりも困難になってきている。その上、その会社を去った経験者が中国人やインド人だったとして、彼らの大多数が自国に帰った場合、彼らは大きな力を得るだろう。そして、アメリカの将来はどうなるのだろうか?

2009年5月28日木曜日

サブモニターにタッチパネル

USBでつながってバスパワーで動くサブモニターがある。これにタッチパネルを付けたら使い道がないだろうか?

ウィンドウができたとき。DOSしか使ったことがなかった時代にX windowを見た時は画期的だった。パタパタと前面に出たり後ろに回ったり、アイコンになったり開いたり。なんて便利だろうと思った。
次に、タブが付いたとき。ブラウザーを使っているとたくさん開きすぎて行方不明になっていたところ、タブになったら探しやすくすくなった。

つまりウィンドウをもっともっと開きたいという需要があるのだ。そこでサブモニターがほしくなってきた。せっかくだからメインモニターとはまったく違う設定で動くといい。文字サイズはもちろん、メインの音声がオフでもサブモニタの音声がオンになっているとか、タッチパネルが付いているとかだ。

メインのモニターにとって大切なことがサイズだとすれば、サブは軽くて多機能なものがいい。あとは何につかうかだ。

勝ちをとりに行くか、無難にやり過ごすか

ダウトというカードゲームがある。自分で勝ちをとりに行きたいと思ったらコールをする。平穏無事に真ん中あたりで終わりたいと思ったらコールしないほうがいい。

テニスでダブルスをしていると、自分が無理に手を出して勝ちにいってうまくポイントをとるべきか、そのミスをしないように手を出さずにいるべきか迷ってしまう。基本的に素人テニスはエースを狙えと違って相手のミス=自分のポイントだからだ。

なぜこんなことを考えるのかというと、この不景気による悪影響をどう取り扱うべきかについて答えを探しているからだ。この誰もが抱える精神的なストレスを取り除こうとアクションをとるべきか、それで失敗をするくらいなら無難にやり過ごすべきなのか。

たぶん、まず肩の力を抜いて楽にして、ゆっくり周りを見回してみるべきなんだろう。そしてやれるという自信が70%以上だったらやってみればいいかもしれない。あせらずマイペースで、エースを狙うのではなく確実なボールを返せばいい。それでまた返ってきたら、またゆっくり返せばいいのだから。そもそも、そのやりとりが人生の楽しみの一つなのだ。

2009年5月23日土曜日

職歴の空き

日本は職歴に空きがあることを嫌う。なぜだろう?

正常な人間は職に空きがあるわけが無いという前提からだろう。さらにその「空きがあるわけが無い」という理由を掘り下げてみれば、職が変わる理由は、1)もっといい職を見つけたのでうつった 2)クビになったのでうつった が前提になっているからなのだと思う。つまり、会社のレイオフということが前提に入っていないからだ。

なぜこれに気づいたのかというと、アメリカでは職に空きがあることは大きな問題ではない。面接に来た人の職歴に空きがあるからといって採用において問題にはしない。理由さえはっきりしていればいいのだ。レイオフなんてよくあることだし、父や母の介護をしなくてはならなかったといえばそれで問題ない。本当かどうかなんて確かめる方法はないのだが。

今までになく日本の会社も社員を切っている。日本社会もこれに対応して、職歴に関する考えを変えていく必要があるだろう。外資系の会社を受け入れそこに就職した以上、日本人もレイオフに巻き込まれるのだ。その外資系の文化を理解し、消化していく必要がある。

2009年5月13日水曜日

ヒューマンリソースの数え方

IT業界の成長期、あり余るほどのプロジェクトをかかえ、人手が足りないといい続けた。プロジェクトマネージメントが流行り、昇進できなくてもマネージャという肩書きのもらえるプロジェクトマネージャという職に皆がなりたがった。プロジェクトマネージメントの上でリソースやスケジュール管理が最も重要だったが、そのときの人間の数え方がおかしかった。

その道20年の経験者も、大学出たばかりの新入の派遣社員も同じ1であり、同様に数えられる。実際には、前者を1とすれば、後者はマイナス2ぐらいなのにだ。教える人がつき、しかも結果はほとんどなしだからだ。

これは本当に正しかったのだろうか?バランスの取れたグループならば平均と考えればいいのかもしれないが、派遣を使うとたいていバランスが悪い。エキスパートだらけとか、ジュニアクラスばかりとかだ。とくに数人を契約するようなものはジュニアクラスばかりだったりする。新人は一人でできるわけではないので、そこに入れるからだ。でもそれじゃ差別化なんて無理だ。

差を作るのは人間であって、癖のあるエキスパートがこだわりをもって何かを創るから差ができる。差別化を図りたいのなら、人間の頭数だけで管理するようなプロジェクトマネージメントはやめないとできないのではないだろうか?

解雇されにくい日本と再就職しやすいアメリカ

日本の失業率4.8%、アメリカの失業率8.9%。数字だけ見ればアメリカだ。だが実際、どちらの法が精神的にきついんだろう?

解雇されにくい日本は、対象者以外はまあとりあえず大丈夫だろうという安心感が心にある。逆に転職市場がアメリカほど形成されていないため、解雇されると次が見つけにくい。
再就職しやすいアメリカは、まあいつか転職先は見つかるだろうという安心感が心にある。逆に働いていてもいつレイオフにあうかという不安がつきまとう。

働いている間安心感を与える方が生産性に結びつく。しかも1位を狙う挑戦者よりも1位を守るチャンピオンの方が精神的にきついのだ。つまり、再就職先を探すときよりも、いつ職を失うかという不安のほうがきついということになる。

だからアメリカのほうが雰囲気が暗く精神的にまいっている気がする。

そうやって精神的に鍛えられたアメリカ人に、日本人は精神的に渡り合えるのだろうか?難しいだろう。

ブラウザーのフォントサイズ

ブラウザーを使っていると、本当に目が疲れる。何がって、文字を読むからだ。

問題はブラウザーとモニターだろう。

ワードやパワーポイントはたいていほぼ一定のフォントサイズに統一されている。それに対し、ブラウザーは作る人が勝手に選ぶから開くページによって大きさが違う。特に日本語で見やすくなっていると、英語になるとアルファベットが小さすぎるのだ。

次にモニターだが、ノートPCのモニターで見る場合と、外付けのモニターにつないで見た場合とで大きさが違う。

ブラウザーで開くページごとに文字サイズを自動で調整してくれればいいのに。

期限切れメールは自分でゴミ箱に行ったら?

いらないメールの中に、セールやディスカウントの広告がたくさんある。興味があるから見たいのではあるが、それには有効期間がある。セール期間の過ぎた広告ほどうっとうしいものはない。

セール期間が過ぎたら自動的にゴミ箱に移動してくれる機能つきのメールなんてあったらなんて便利なんだろう!!

冷蔵庫や貯蔵庫の食料、薬箱の薬も消費期限が迫ったり切れたら教えてくれればいいのに。ああ、これぞ情報冷蔵庫だ! 懐かしい!!

黒人のガードマン・ガードウーマン

社内を歩き回るセキュリティの人、アパートの近くのセキュリティの人、ともに黒人のガードマン・ガードウーマンだ。彼らを見るたびに二つのことを思う。

まず、強そうで心強い。屈強でとても頼もしい。足も早そう。女性も多いのだが、他の男性よりも強そうに見える。去年の今よりもセキュリティの人が増えている気がする。失業率8.9%のこの世の中、彼らの中では求人が増えて見えているかもしれない。

次に、たいへんだろうなと思う。何がたいへんかというと、黒人のセキュリティの人が問題を起こしたら社会的信用を失う。やっぱりって目で見られてしまうかもしれない。だから、お互いに気をつけあったりしてかなり注意をしているのではないかと思う。

無意識下の人種差別をなくす方法

アメリカに来て体験して学んだことは数え切れないほどあるが、人種差別に冠することは中でも大きなものの一つだ。

人によるのではあるが、平均的に、日本人はアジアでNo1だという驕りがあると思う。もちろんだいぶ改善された。男女雇用均等法以下だが。驕っているから他のアジアの国の人を下に見る。
逆に白人に強く出れないのは、自分たちが下だと思っているからだ。英語がしゃべれないことをよくないことと思うのも同じだ。戦争で負けたときにそういう精神を植えつけられたのだろう。

つまり、日本人にとっては自分の上も下も存在するのだが、日本国内いると、下に見られることはほとんどない。日本人が在日アジア人を下に見たとしても、在日アメリカ人が日本人を下に見ることはあまりないからだ。そういう人はそもそもあまり来ないだろうし、来たとしても敵陣で単独で戦うことはないだろう。そういった環境のため、下に見られる経験というのがあまり無い。

ところが、アメリカに来ると頻繁にそういう体験をする。下に見られ、扱われることがどういうことかを理解することが、どういうものかを始めて知った。無意識下の差別をなくす最善の方法は、差別を受けることに他ならないのだ。

2009年5月2日土曜日

新しいことをやるときはまずスライド式で

転職先を探している人たちの中で、新しい分野、新しい仕事をしたいと思っている人もいるだろう?なぜだろう?

理由はともかく、そのときにはまったく新しいことをやるのではなく、今まで培ってきた経験を利用できることを探すべきだ。新しいことにジャンプして進むのではなく、今までやってきたところから横にスライドさせるのだ。

子供のとき大好きだったダイヤモンドゲームを思い出した。マスの目が埋まっているときだけそれらをジャンプして進んでいいというあれだ。最初は周りの目がすべて開いているため一歩ずつしか進めずつまらない。だが、ゲームが進んでくるとそのルールで数マス分一気に進めて面白くなる。

ダイヤモンドゲームと同じで最初は一歩一歩スライド式で動き、プレイヤーが多数盤上に現れたときに一気にジャンプすればいいのかもしれない。

日本の物価とアメリカの物価

東京は物価が高いと思う。住んでるとそんなに気にならないが、出てみるとわかる。

日常で一番感じるのは食べ物だろう。特にお肉と果物がかなり高い。輸入しているからかだろうか。でも、高いおかげで無暗に食べず太りすぎを防いでくれているのかもしれない。
ガソリンは同じ理由で日本では断然高い。輸入に依存しているからだ。日本車がアメリカでは高いのも輸出入の関係かもしれない。日本車は日本で買ったほうが安い。同じ輸入でもヨーロッパ車は日本よりアメリカのほうが安いが。ちなみに、中古車は日本のほうが断然安い。アメリカよりも需要が低いのだろう。

不思議なのは、家電は日本で買うほうが高い。日本は輸出しているのにアメリカのほうが安い。アメリカ市場で戦うためなのだろう。

輸出入に関係なく日本の方が断然が安いものは、医療費とネットワークだ。特に医療費は例え保険に入っていても桁違いだ。前者は国の政策によるものだが、後者は国土の狭さのおかげだろう。

こうやって見ると、健康的に最低限の暮らしをする上ではアメリカのほうが断然安い気がする。治療が必要だったりいい車を新車でほしかったり嗜好品を手に入れようとするとアメリカのほうが高いのだろう。低所得者層が大量に住むためのシステムができているのだ。

2009年5月1日金曜日

マネージャーも実作業をするべき

度重なるレイオフでマネージャーばかりになってしまった会社は、課長以下のマネージャーも実作業をする方針にすればいいのでは?

よく考えると、昔は係長や課長クラスの人はマネージメントだけでなく自分自身も何か担当を持っていた気がする。景気がうなぎのぼりで人手もあったのでマネージャーの数をどんどん増やしていき、マネージャーはその管理のみをするようになってきた。

今は逆の景気なのだから、マネージャークラスもまた実作業もするようになればいいのではないだろうか?マネージャーになったくらいだから、クラスの部下と同様に実ワークもしながらもマネージメントができて当然なのでは?

2009年4月27日月曜日

MIDとはどんなものになるか

インテルのいうMIDとはどんなものになるのか?

ネットブックよりも小さく、手軽にインターネットにつなぎっぱなしでいられ、インタラクティブなもの、というところだろうか。

日本で言えば、電車で携帯を握り締めている人たちが、代わりに握り締める様になり、家でもPCを立ちげることなくネットにつなげるようなものだろうか。車にはディスプレイやスピーカーのみ用意され、車に乗るときにはそのMIDをつなげればカーオーディオやカーナビになるのだろう。

インドで20ドルPCを作っているという話があったが、これこそPCでなくMIDかもしれない。それはインドのMIDとなるのだろう。それと同じものを他の国で売って売れるものでもない。

各国独自のMIDの形が出てくるだろう。その外形のみならず、中身も各国独自のカラーがでてくるに違いない。車やそのサービスと同様、いかに各国にフィットしたものを出せるかがポイントになる。

カーナビのヒューマンインターフェース

カーナビにとっては、ヒューマンインターフェースが一番大切だ。ドライバーが使うからだ。

目的地入力、ルート検索、マップ表示、どれをとってもまだまだ不便だ。

目的地、ルートに関しては、個人の家ならばICカードやSDカード、それ以外ならば携帯からSDカードに加えてIrDAやBT経由で目的地を入れられたりすれば便利かもしれない。自分のカーナビでないならば、セキュリティ機能つきUSBメモリというのもいいかもしれない。

マップ表示に関しては、カーナビこそ写真があると便利だろう。

音声入力は有効な手段だが、まだまだ課題が多いといったところなのかもしれない。

もともとユーザー層を狭める原因となっているのはヒューマンインターフェース、特に人間からの操作性の部分だ。ここが改善されると身の回りの電子化がさらに進むだろう。

コンテンツ視聴の需要

Huluは広告収入により、ユーザーには無料でコンテンツを配信する。同じ無料にも関わらず合法で見れるのであれば、ユーザーはこちらに流れるのではないだろうか?

今まで違法コンテンツとして削除するだけだったYoutubeと違い、逆にその需要をビジネスにつなげたわけだ。

違法コピーしてまでもコンテンツの視聴を望む中国では、こういったサービスは好まれるのではないだろうか?ユーザーが合法で無料視聴できるサービスを始めたらあっという間に獲得できるのでは?

2009年4月19日日曜日

聴覚のインターフェース

やはりこれからはインターフェースの時代だろう。

例えば、任天堂DS、iPhoneはヒューマンインターフェースを進化させた。
タッチパネルがマウスにとって変わるものだとすれば、キーボードにとって変わるのは文字認識や音声認識だろう。タッチパネルやスタイラスによる文字入力は、キーボードやボタン入力よりも不便だと思うからだ。

他に不便なヒューマンインターフェースといえば、電話だ。ホールドするのが面倒だし、重い上、長時間ホールドしていると聞こえる穴から耳がずれていって聞こえにくくなる。ヘッドセットを家で使わない理由はなぜだろう?

同様に、iPodは有線で音楽を聞く。線が邪魔だ。これが無線だったり、耳にかけられるくらい小さかったらどうなのだろう?

次は、聞くためのインターフェースで上記不便さをなくし、画期的なデザインを出したら、売れるのでは?ソニーがiPodに対してポータブル音楽市場で巻き返しを狙うなら、ダウンロードするコンテンツとかよりも、ユーザーインターフェースが画期的なものを出したほうがソニーらしいと株を上げるような気がする。

2009年4月8日水曜日

電子書籍の普及

ソニーはソニーリーダーで読める無料書籍の数を、50万冊に増やすらしい。

アマゾン キンドルよりも書籍数で負けていたとはいえ、無料書籍を増やすのはどうかと初め思ったが、そうでもないかもしれない。

ネットの普及でニュースが無料で見れるようになった。それでも新聞や雑誌の価値がなくなるわけではなく、無料コンテンツと有料コンテンツが両立できている。もちろん以前よりも有料コンテンツに対する要求は高くなっていると思うが、その要求を満たせば消費者はそれに対してお金を払う。

今は電子書籍というものを浸透させるフェーズだからもっといろいろ試してみるのもいいかもしれない。

例えば、自分で物語を書いてネットにのせ、お互いに読みあう人達がいる。最近の女子中高生は、読書感想文等よりも自分で創作した物語を書いてくるらしい。そういう人たちの場として電子書籍を使わせてみるのもおもしろいかもしれない。

あるいは、小説コンテストをして応募者の作品を電子書籍で公開し、そこで投票をしてもらうなど。

ネットのように、プロによるコンテンツに頼らず、一般消費者からのコンテンツを利用してみるのもおもしろいだろう。

とはいえ、以前も書いたが、普及に最も重要なのは「目の疲れない端末」だ。目が疲れないものはどういうものなのだろう?そもそもなぜ目が疲れるのだろう?

2009年3月20日金曜日

人の話が聞けない理由と人に意見を訊けない理由

自分の言いたいことを言うのは簡単だ。それに比べて、人の話を聴くことは難しい。
質問に対して自分の考えで答えることは簡単だ。それに比べて、人の意見を訊くことは難しい。
年をとるにつれ、特に難しくなってくる。

なぜ?

もしかして、人間の中には学習するための書き込みのできるノートのようなものがあるのかもしれない。書き込まれてくると学習したいという気持ちが薄れ、入力装置がオンしにくくなるのだろうか。その学習したいという気持ちが薄れてくるのは、学習する必要性がなくなってきたことと、学習したものを守ろうという機能が働くのかもしれない。

ニューロコンピューティングを作るとき、それはどう扱われるのだろう?
一度学習したら新しく学習することができないようなシステムだと、頑固なコンピュータと言われることになるのだろうか?
逆に常に書き換え可能だと学習しないコンピュータということになってしまう。例えば駅員がロボットだとして、「おはようございます」と元気に言われたい人もいれば、さりげなく言われたい人もいるし、あるいは挨拶されたくない人もいる。いろんな注意をそんな人たちからいろいろ言われる度に学習してしまったら、彼らは口をそろえて言うだろう。「このロボット、学習機能がないんじゃない?」と。

こんな経験がないだろうか。マネージャーが自分の提案を見て、横並びのものを縦に並べるように言った。そこで縦に変えたら、それを見てグループのエキスパートの人が横に並べるように言ってきた。好き勝手言う前に自分たちで話し合って、意見がまとまってから提案をもってきてくれと思う。たぶんロボットもそう思うだろう。心があれば。

引き出しの奥

情報量・知識量の多さ・スピードが勝ち抜くポイントだった。
今は、独創的であること・創造できることが重要な時代になった。

とにかくアクション・レスポンスの速いことが大事であり、たくさんコネクションを作っていくことが重要だった。
では、速度を競う中で独創的な発想を持つことができるのか?革新的なものを創造することができるのか?

市場の悪化で売り上げを上げることが難しくなり、外に対して働きかけても自分じゃどうすることもできない状況になった。そこで会社側は、市場の状況が改善されたときやリバウンドに備えておこう、という安易な発想に至る。つまり、今やれることをやって準備しておこうというわけだ。そして、今のプロジェクトをしっかり遂行することが大事だと、社員にはっぱをかけだした。上が「遂行することが大事だ」と言えば、中間管理職の人たちは自分たちのポイントを稼ぐために下をプッシュする。市場の鈍化で客も購買計画がないというのに、今の自分たちができるものを最速のスケジュールで作ろうとする。本当にあきれてしまう。

必死に力技で舵をとりながら流れの急な川を流れてきた。川の流れが緩やかになったのに、次の急な流れの練習も兼ねて、まだ一生懸命舵をとっているのだ。次の急な流れに直面するまで3年くらいその状況を続けたら、その3年後には疲れきってしまうだろう。
流れが緩やかになったのなら、その緩やかな流れに身を委ね、今まで見ることの無かった周りの景色を眺め、川の音に耳を澄ませ、空を仰ぐのがいいだろう。今まで気づかなかったものに気づき、きっと今までとは違った方法が見つかる。川岸に上がってもっと丈夫な新しい船を作ってみるのもいい。川原に咲く花の匂いをかいで見るのもいい。大丈夫。必ずまた川の流れにのって前に進めるから。

今は、今までの自分たちにはできなかったことにチャレンジして、幅を広げていくいいチャンスだ。今までやろうとしてできず、引き出しの奥に眠っていたものを引っ張り出してみよう。

2009年3月18日水曜日

ディスプレーのポイントは「目が疲れない」こと

Amazon「Kindle」を使って本を読んでいる人を飛行機で見かけたことがある。こういうものは結構好まれるようだ。

電子書籍は、日本では以前ソニーや松下が売れずに撤退している。コンテンツのための提携等が十分でなかったからかもしれない。iPOD がiTUNEでうまく市場を作ったことを思い出す。

とはいえ、電子書籍は読むためのものだということを認識するべきだろう。やっぱり純粋に読むだけに使う以上、ポイントは「目が疲れないこと」。これが普及につながると思う。普及すればそれにあわせて値段は後から落ちてくる。

2009年2月26日木曜日

デジカメのUSBからのバッテリチャージ

携帯電話のバッテリチャージ用のコネクタがかなり統一される。マイクロUSBコネクタが選ばれた。アップルはiPODコネクターを依然として使いたいようだが、これは明らかにアップルの過信だ。独自コネクターを維持したらシェアは維持できないのだ。

基本的に携帯はPCにつなぐものではないのにもかかわらずUSBが選ばれたことを考えると、デジカメがUSB経由でPCから充電できないのはなぜかという疑問が浮かぶ。私のデジカメは、画像を取り出すときはUSBでPCにつなぎ、バッテリーをチャージするときは、中のバッテリを取り出してACアダプタで家のコンセントにつながなければならない。昨日画像をPCにダウンロードしているときにバッテリ切れのランプが点灯しだした。つないだついでに、一緒に充電しておいてくれればいいのに。

デジカメにUSB経由の充電機能がついたら便利だろう。

大事なのは「こだわり」と「目の付け所」

先日早期退職した人たちのことを考えていた。早期退職のパッケージを受け取るか、レイオフされるかの選択を迫られ、辞めざるをえなかった人もいる。しかし、自発的に辞めた人も多かった。そういう自発的に辞めた人たちは、いまだに実労働力として重要な役割を果たしていたため、彼らの抜けた分の穴が開いた。

39年間ICの設計をずっとしてきたというのを聞いて、改めて考えさせられた。彼らに技術者としてその仕事をずっとやり続けさせたものは、何だったのだろうか?そして彼らに退職を決心させたものは何だったのだろうか?

最近の私たちは、昇進して管理職になり、さらに組織のピラミッドの階段を登ることが良いことと考え、そのためのキャリアを考える。なぜ社会的地位を得ることがいいことなのだろうか?なぜ地位や名誉や財産にこだわるのだろうか?

今の私たちになくて、退職した彼らにあったものは、「ICへのこだわり」なのじゃないかと思う。売り上げ、スケジュール、リソース、収入、、、数字を追いかけ示すことだけを考えてきた私たちは、数字以外のものを失ってきたのではないか?その「こだわり」が製品の製造単価を上げたり、スケジュールを遅らせるならば、数字を悪化させる。だから切り捨ててきた。自分たちがこだわってリソースと時間をかけて作るよりも、アウトソーシングして一般的なものを作ったほうが安く早くできあがるからだ。その結果、どこの会社でも作れるし、どの会社の製品も似たり寄ったりで、差別化ができなくなり、結果マーケティング競争になってしまった。売れる仕組みを作ったというわけだ。

そういう状況に嫌気がさしたから、やめていった人もいたかもしれない。その「こだわり」を大切にする文化が彼らのモチベーションだったとすれば、他人に作らせ、それを管理するだけの仕事はもはや価値がなかったのかもしれない。

半導体景気の熱が冷め市場の成長率が鈍化してしている今、「こだわり」をもって作る時間が与えられたといえるのではないだろうか?他社と競争するのはスケジュールや単価という数字ではなく、「こだわり」という数字に表せないものかもしれない。他人と同じ目で見るのでなく、まずは自分なりの目で見てみることが大事なのだろう。「目の付け所が違う」ということが他人と違う何かを生み出す。

アップルが他社と一線を引いている理由は「こだわり」だ。目の付け所の違う彼らのこだわった部分は他社のこだわった部分と違っており、独自の世界を作り上げた。かつてのソニーも「こだわり」を持っていたのだと思う。他人と違う意見というのは通りにくい。それに対し、みんなが共感しやすい既成概念に基づく意見というのは同意を得やすく通りやすい。でも、それでは「目の付け所が違う」と言われることはない。そういう意見を受け入れる文化が大切なのだと思う。

自分なりのこだわりを持ち、その自分なりの視点で見れば、新しい何かが生まれるのではないだろうか?

2009年2月25日水曜日

なぜ薬がこんなに大きいのか?

 
今日処方箋をもって行って薬局で抗生物質をもらったが、錠剤がとても大きかった。指先ぐらいの大きさだ。一回に1錠飲めばいいので、半分の大きさにして2錠飲めばいいような気がした。半分に切って飲むことにした。一週間分、14錠も処方されたので、つい抗生物質の副作用を調べてしまった。下痢が起きやすいようだが、その程度ならばいいだろう。それに、ピロリ菌の除去にもいいらしい。これはいい。

薬をもらうときに、薬の種類ごとにサインをさせられた。なぜサインをするのかと聞いたら、他の人が受け取ったりしないか確認するのだそうだ。患者以外の人に薬を渡すことは法律で禁止されているらしい。人の処方箋で薬をもらおうなんて考える人がいるのだろうか?世の中には、いろんなことを考える人がいるものだ。

そういえばこちらの薬にはたいていブランドものとノンブランドものが揃っている。リバースエンジニアリングして作ってあるので成分はまったく同じだが、ノンブランドものは安価で手に入る。以前知り合いが、自分の体で両方を順番に試して効果を計っていた。そのノンブランドの薬の効果は、ブランドものに比べて70%くらいだったらしい。成分が同じでも効果が違うのはなぜだろう?薬にとって大事なのは成分だけではないのだろうか?まあ、とにかく、薬をもらっていろんなことをする人がいるのは確かだ。

2009年2月12日木曜日

アメリカのエンジニア

プロジェクトも減り、有望なお客もいなくなった今、レイオフのせいで圧倒的に人が足りなくなっている。プロジェクトも減ったのになぜ人が足りないのか?

マネージャ、リーダ、プロジェクトマネージャといった人たちの数がなぜかあまり減らず、実作業をしていた人たちが切られたからだ。早期退職した人たちも実作業はしていなかったかもしれないが、ご意見番のように若いエンジニアをヘルプしていた人もいる。そのご意見番がいなくなると作業ができない人たちもいるのだ。

ITバブル崩壊でレイオフをしたときに、US側のエンジニアを大量に切ったことを思い出した。そのときに、デザインやソフトはインドのリソースで、US HQ側はそれをマネージメントをする人間を置くのだ、と言われたことを思い出した。つまり、その方針で進めてきた挙句、実作業のできるリソースがほとんどいなり、マネージメントと言ってもスケジュール管理がメインの人間ばっかりになってしまったのだ。

もちろん、シリコンバレーがこれとは違う。彼らはエンジニアであることをタイトルにして、自らが技術を学び、実作業することを好む。だから、4時ごろには会社をでて、ブラックベリーやPCを持ち歩いてミーティングばかりしているうちとはなかり違う。彼らはもっと遅くまで働いて実作業をしながらいろいろ学んできた。

マイクロソフトがH1-Bの人からレイオフするように言われたことを思い出した。これも実作業をする人間が減ることになる。H1-Bの人間はマネージメントをするために採用されているわけではなく、実作業をするためだからだ。では、アメリカ人は何をしているのかというと、彼らをマネージメントしているわけである。だから、いきなりH1-Bの人がいなくなったからといって、自分たちでできるわけではない。

アメリカ人の仕事を確保するためもあるだろうが、外国人労働者を減らさないと、アメリカ人の技術力がますます低下してしまうことも懸念しているのではないだろうか?

今の状況下での良いマネージャーとは?

状況に応じて良いマネージャーというのも変わる。

うちでは、レイオフで管理職はほとんど残った。ところが、マネージャに対する不満が増えてきていると思う。なぜか?

今の状況をきちんと把握して、今の状況にあったマネージメントをしようとしていないのだろう。次に、マネージャとは名ばかりでマネージメントをしてきたわけではないので、プロジェクトが減り、組織変更で組織間のブリッジができない状況下で、何をすればいいかがわからないのだ。以前は、たくさんプロジェクトがあり、各プロジェクトの人と話をして状況を聞き、必要ならば別の組織のマネージャに依頼をするのが彼らのやっていることだったのだ。

プロジェクトマネージャは、プロジェクトを管理するが、管理職のマネージャは、人を管理するのだ。プロジェクトではない。そのことがわからない人が多すぎる。特に今のような状況では、プロジェクトよりも人にプライオリティをおき、精神的な支えや、モチベーションをあげることができる人が良いマネージャだろう。

2009年2月10日火曜日

ゆとりの中での質への思考

留守電を入れたり、メールを送ったりすると、人はすぐにレスポンスが待ち遠しくなってしまう。なぜか?

経済の成長期には、早く成長する速度が求められ、サービスにおいてもコミュニケーションにおいても質よりもレスポンスの早さが何よりも重要だった。

時間感覚というのは身についてしまうものなのである。例えば、昔はPCが立ち上がったりアプリケーションが開いたりするのに時間がかかってもたいして気にしなかったが、一度早いのに慣れてしまうともう以前のようには待てなくなる。

また、考える前に行動する時代と言えた。例えば、車ででかけるときには、道はカーナビ任せなのですぐに出かけてしまう。以前は、地図を開いて一時間ぐらい眺めながら道順や道の名前を覚えたものだ。道だけではない。出先で簡単に何でも調べられ、相手にも連絡できるため、でかけるときにどこで何をするか調べて覚えたり、待ち合わせ場所と時間を覚える必要もなくなった。記憶力が非常に低下している。

今衰退している中で、成長期の感覚で質よりも速さを求めると空回りしてしまう可能性がある。体内の時間感覚をリセットし、こういうときこそゆっくり考え、質を求めたいものだ。

2009年2月9日月曜日

なぜ賭け事にはまるのか?

思ってもいない自体が起き、株価が下落したため、資産が一気に減った。

周りを見ていて、賭け事のはまり方と同じことが起ころうとしているような気がする。

始めはおっかなびっくり少しずつ賭けてみる。少しずつ儲かると、その儲けをつぎ込むことでだんだん掛け金を上げていく。ところがある時点で少しずつ負け始めてももう少しすればまたツキが回ってくる気がして、もう少しだけ、もう少しだけ、とやめられなくなってしまう。そうこうするうちに明らかに負け始め、そうすると今までの掛け金や元手を取り戻そうと必死になり、気づくと目も当てられない状況になってしまう。

今までの株価の上昇が常識となり、資産は運用するものと考え、財産を株でもつものが当たり前になってしまった。ところが去年の9月からあれよあれよという間に株価が落ちてしまった。ここで堅実に貯蓄をすることはなく、今が買い時と買ってみたり、また失ったものを何とか取り戻そうと必死になる。するとどうしてもハイリスク・ハイリターンを狙うことになる。その結果はどうでることやら。

損切りなんてなかなけできるものじゃない。なぜ人間はそのループから抜け出せないのだろう?

正社員の真価

契約社員をどんどんカットしているのを見て、最近いろいろ思う。

成長期には仕事をどんどん分業化し、その部分部分をアウトソーシングに回して仕事の効率化を図った。仕事の進みは速くなり、しかも、さらにその外注の窓口役という、立場的には外注の上に立てるポジションを大量に作った。内容を理解する必要はなく、偉そうにスケジュールや進捗を聞き、プッシュすればいればいいのだ。プロジェクトマネージャも同じことだが。

契約やアウトソーシングを減らしたため、自分たちでやらなければならない事態になってきたのだが、丸投げしていた彼らに何かできることがあるのだろうか?正社員であったから外注の上に立てた彼らは、今、正社員であることの真価を問われる時なのだろう。

2009年2月2日月曜日

電話テレビとゲームテレビ

テレビか、PCモニターか、というのは私にとってはどうでもいい。家に一つ大きな画面がほしいだけだ。

普段持ち歩くものはブラックベリー程度でいい。ネットブックでさえ大きい。

家に帰ったら、ブラックベリーで見ていたのと同じ環境で同じメールボックスが見れるといい。

電話は外でも家でも同じワイヤレスヘッドセットが便利。

以上を総合すれば、ネットワークにつながった大きなモニターが家にあり、それでメールやネットブラウザーが使え、テレビ電話ができればそれで十分だ。家にPCなんていらない。テレビ電話でなくて、電話テレビだ。

そういえばゲーム機でテレビが見れるとあった。テレビゲームじゃなくて、ゲームテレビということだろうか?

電子マネーとクレジットカード

日本にいると、クレジットカードと電子マネーの違いを考えない。使うときに考えることといえば、どちらがポイントがいっぱい付くかとか、どちらがお徳か、程度だ。

だから、特典さえつければ、日本では電子マネーが簡単に普及するのだろう。

アメリカではそうはいかない。クレジットカードにはクレジットヒストリーを維持するという大事な役割があり、また、大勢の人が、ほんとうにクレジットカードで利息付で借金をしているのだ。

電子マネーにこれらができないかぎり、アメリカでは電子マネーは普及できない。

不況下での成長

不況だからってすべての企業が不調なわけではない。

任天堂は営業利益、売上高とも、過去最高らしい。営業利益は前期比9%増、売上高も9%増の見込み。

アマゾンも年末の10-12月は、営業利益率は前年同期比より低下したものの前期よりは上昇、また売上高は18%増だった。電子書籍端末「キンドル」が売れているらしい。飛行機の中で読んでいる人と何人かみかけたことがある。

不景気がスカイプにとっては好機になったようで、新規ユーザーが急増しし、世界通話の8%がスカイプらしい。7四半期連続黒字というのは驚きだ。

景気が悪くなると、旅行や遠出の機会が減るが、そうすると当然時間が余る。家で何をするかというと、ゲームしたり、ネットショッピングで遊ぶことになる。それに、生活費で必要のないもの、固定電話等をやめたりするのだろう。

もちろん市場が成長したわけではなく、それらの企業がシェアを増やしたのだ。見習いたいものだ。

ますますネットが普及するかもしれない。でも、ネット広告は淘汰されていくだろう。ネット広告の無視の仕方をだいぶ覚えたから。

2009年1月29日木曜日

争いは防衛によって起こるのでは?

動物には自己防衛本能、母性本能と、防衛本能が備わっている。多くの場合、争いの種はその防衛本能なのではないかと思う。

もちろん、攻撃と見るか、防衛と見るかは難しいところだが。例えば、ライオンがお腹を空かせた子供の餌として馬を襲えば、馬にとっては攻撃だが、ライオンにとっては子供を命を守ろうとする母性本能だ。いずれかのチームをレイオフすることが決まっているとして、チームの防衛のために自分のチームのパフォーマンスを他のチームよりも優れているとアピールすれば、他のチームから見れば攻撃なのだ。夫婦がお互いに自分の身内を守ろうとすると、相手にとっては攻撃に思え、夫婦喧嘩になる。

動物は防衛本能が働くとき、攻撃的な態度をとるからだろう。「攻撃は最大の防御なり」ではないが、防御と攻撃は表裏一体だということなのだろうか?では、守るべきではないのだろうか?自分はともかく、家族や仲間を守るのは良くないことなのだろうか?

強すぎる防衛本能は敵を作り、争わせる。敵を作らないためには、どうやって守ればいいのだろう?

男性のマネージャには、自分を偉く見せたいという虚栄心が強く出る人が多い。男は立て社会に生きるとよく言われる所以だ。一方、女性のマネージャには、自分は他人とは別格だと思ってしまう人が多いが、そうでなく、防衛本能が強く出る人がいる。その人のチームにいる時はいいが、そのチームの横にいると被害にあう。

サバイバルゲームや椅子取りゲームで勝ちながら敵を作らない方法は、勝ちをとりにいきながらもそれを表に出さず、勝ったことを喜ばず、目立たないようにすることかもしれない。つまり、感情を表に出さず、一定に見せ、おとなしくしていることなのだろう。

そういう人間になりたいだろうか?

2009年1月28日水曜日

インターネット電話の普及は?

家でインターネットを使っていればネットワークはつながっているのに、固定電話を申し込むと新たに電話料金を払う必要がある。インターネット電話なら、使っているインターネットを利用して安く電話が使える。

なぜ普及しないのか?第一の理由は、PC依存性だろう。PCにインストールし、使う時にPCをを立ち上げないといけない上、自分で問題は解決しなければならない。第二の理由は、固定電話に対する今までの意識の問題だろう。固定電話は様々なIDとして使われるもの、家族のもの、そして常に待ち受け状態でなければならない、非常時に使えなければならないという認識だ。

PC依存性については、解決は難しくないだろう。ただ、電話は買い替えサイクルが長いのでスカイプホンのようなただの電話機で買い替えを狙うのでなく、いっそテレビ電話のようなものにして新しい市場を開拓した方がいいだろう。

意識の問題の方が大きい。実際には、携帯電話の普及と、日本では販売奨励金の廃止と番号ポータビリティによる買い替え率の低下により、個人の固定された番号として使えるようになってきていると思う。ただし、米国では固定電話と市外局番は同じだが、日本では固定電話と区別されている。携帯電話の普及により、固定電話の必要性も変わってきているのだが、人の意識を変えるには時間がかかる。

では、今の段階での理想的な形とは?個人が携帯を持ち、その番号がIDとして機能し、家で長電話をするとき以外は携帯を使うことだろう。家で長電話するときのみインターネット電話を使えばいい。後は非常時だが、インターネットが普及しているエリアならば、それなりに人口密度もあって大丈夫ではないのだろうか?

2009年1月27日火曜日

今日のレイオフ

今日はとうとうレイオフが実行された。

月曜日の午後にレイオフのアナウンスがあることはわかっていたのだが、その日のランチのフォーチュンクッキーときたら
 Be prepared to receive something special within the week
だった。わざとこの時期に、そういう内容を作って製造しているに違いない。フォーチュンクッキーの当たる確立があがるからだろう。

月曜のアナウンスの後、帰り際にセキュリティの人が大勢いた。翌日の段取りの確認だろうか。
火曜にセキュリティの人が私の席の近くに立っていて、レイオフがあったが、今回は対象にならなかった。

ところで、なぜセキュリティの人は制服を着ているのだろう?

2009年1月18日日曜日

パキスタンも緊張

ロンドンからの帰りの飛行機、隣がパキスタン人の親子だった。隣の人は今はアメリカのcitizenでアメリカに住んでいて、父親をアメリカに連れてくるためにパキスタンに行ったということだった。

彼は私がイスラエルに行ってきたという話をしても、最初イスラエルが戦争中だったことはすっかり忘れていたと言っていた。パキスタンもインドでの件以来、特に国境付近が緊張状態だからだと言っていた。飛行機もあまり飛ばなくなっており、ドバイ、ロンドンと二回乗換えだったらしい。セキュリティが厳しかったかと聞くと、彼は年寄りの父親を連れているので、簡単に通れたと言っていた。国自体は、イスラエルと同じで、いつもと何も変わらないということだった。

彼がガイドブックのようなものを持っていたが、よく見ると、12月のインドの件について書かれた本だった。こんなにすぐにガイドブック並みの本がでることにも驚いたが、中に一枚も写真がなく、ひたすら文章が書いてあるだけだった。彼自身も、この本はパキスタン寄りに書いてあるといっていたが、何とも複雑な感じがした。

いろいろな国でもめていると思うと、悲しい気がした。

2009年1月17日土曜日

日本人が無宗教な理由

以前は、宗教に頼るのは、許されたいからだと思っていた。懺悔することで神に許され、救われるのだと。だとすれば、相手が生きている限りは、神でなく、相手に直接言って謝って許してもらうべきだと思っていた。懺悔した人間は気持ちが楽になっても、腹を立ている方の人間の腹の虫は納まらないからだ。だから、人間同士でお互いに許しあうほうが健全だ。実は、そういうビジネスもありかなと思っていた。謝りたいけど声もかけられないという人の依頼を受け、うまく間をとりもって和解させるというビジネスだ。結婚相談所がありなら、和解相談所もありかなと。もちろんかなり難しいけど。

ところが、イスラエルに行く時に空港で小さなチャペルを見つけたとき、つい祈りたくなった。ここで祈ることで飛行機が無事に着くなら、と思ったのだ。そこではっとした。人は恐怖を取り除きたいときに、神を求めるのかもしれない。だとすれば、戦争している地域の人たちはより信仰心が強くなるだろう。

そう考えれば、戦争のない日本において日本人の信仰心がどんどん薄くなったのも納得がいく。無宗教だと答えるくらい、宗教に頼る必要のない平和で安定した国になったということなのだろう。

世界中が経済悪化によって不安が蔓延してきている。こういうときは、宗教に頼る人が増えるかもしれない。こういうときは宗教や占いを仕事にした方が儲かるかもしれない。

2009年1月16日金曜日

イスラエルでの公園のシンボル

前回イスラエルに行ったときには戦争中でなかったので、ツアーに参加してハイファに行った。そのときにガイドがおもしろいことを二つ言った。一つ目は、「紛争の理由は宗教ではない。水なんだ。」例え水が問題だとしても、実際の問題は、それを宗教に関係した民族間で取り合う点なんだと思う。
二つ目は、町の中心の公園にあった星のシンボルを指して「これはユダヤの星じゃない。町の景観をよくするための飾りだ。」と言ったこと。景観のためなら、花時計とかもう少し波風のたたないものを選ぶことができたはずだと思う。大事なのは、どういう意図で作ったかでなく、どういう意図に受け止められるか、なのだから。

なぜそんなにも公園に星を置きたかったのだろう? 
Posted by Picasa

2009年1月15日木曜日

戦争中のイスラエルにて

今週イスラエルに行ってきた。
ホテルでは毎日テレビでガザでの戦争について見ていたが、ホテルからの景色はこんなで、ヨットにのったり浜辺を散歩している人たちが不思議だった。ここはTel Avivからタクシーで20-30Kmくらい北に行ったところにあるHerzliyaという町とはいえ、ガザと同じ地中海に面している。 
みんな、ここは安全だという。レバノンからミサイルが来ると、タクシーの運転手さんも、「心配ない。レバノンが来ようとしてもイスラエルが許さないから大丈夫」と言う。タクシーのラジオはヘブライ語だが、しきりにハマスと言っているのは聞こえる。何といっているのかと聞くと、知らなくていいことだと言われた。どういう意味かはなんとなく聞けなかった。 
一方、これは帰りに寄ったロンドンでみかけたもの。 "ISRAEL GOVERMENT END THE VIOLENCE"。イスラエルの写真よりもよっぽど緊張感があるように見える。イスラエルのホテルでたまたま電気が止まった日があった。ホテルのフロントに「これは危険な状況なの?」と聞いたら、ホテルの人たち、通りすがりの客まで私を見て笑った。イスラエルには緊張感のかけらもなかった。 
Posted by Picasa
 そんな話を帰ってきてからアメリカ人にしたら、「自分たちには関係ないことだからアメリカ人は関心ないよ。イスラエルのニュースなんてローカル局ではやってないしね。」と言われた。ほとんどのアメリカ人というのは、非常にドメスティックな人たちなのだ。