2009年11月25日水曜日

超能力か未来の技術か

技術の進歩は、人が超能力と考えたものに似ている。

携帯電話は遠くの人間に声が届く。数人に一気にユニキャストすることができないが。

テレビやビデオ会議や遠隔ホームセキュリティシステムは遠くのものが見えたり聞こえたりする能力だ。

3Dモーションセンサーは人間の動作に合わせてものを動かすことができる技術だ。さらに自動車業界は脳波を読み取って物を動かす技術を開発している。

人の考えを読み取ったり、空を飛んだりできるようになる日も来るのかもしれない。

そう考えてみると、超能力とドラえもんの未来の道具は似たような物なのだろう。ドラえもんの未来の道具が近未来で、超能力はさらにそのまた先の未来なのだろう。例えば、まずはタケコプターで空を飛べるようになり、その後タケコプターなしで飛べるようになるのだ。

そうだ。次元を超えて、もしもボックスと四次元ポケットも作らないと。

2009年11月14日土曜日

人の変化の認識

私は知り合いに会っても、知り合いだと認識するのがすごく難しい。数ヶ月ぶりに会うだけで、「すぐにわかるだろうか?」と少し不安になる。さすがに毎日会っていれば問題ないのだが。

加えて、他人の顔色の変化、表情の変化、痩せたとか太ったとかの微妙な変化にすぐに気づく。何かおかしい感じというか、顔色が悪かったり赤くなっていたり、落ち込んでいたり、頬の張りが違っていると違和感がするのだ。

今までは、人が認識できない程あまり覚えていない私がなんで違いに微妙なのかピンとこなかった。ところが最近はっとした。たぶん逆で、細かく覚えすぎているために、少しの違いで認識しづらいのかもしれない。

セキュリティで顔認識の研究がすすんでいるが、まさにその、どこまでを特徴として捉えるかが難しいのだ。年齢による変化、体調不良による変化、あるいは天気等の環境による違いをどう組み込んでいくかだ。

なぜこんなことを思ったのかというと、最近職場でも職場外でもストレスで激やせして表情の思い人が何人かいる。私からすると激やせなのだが、周りの人はぜんぜんわからないらしい。あんなに明らかなのにわからないとは。それが不思議でしょうがなかったからだ。

ブラックベリーの未来は?

うちの会社の場合だが、ブラックベリーは買ってもたせてくれるが、iPhoneは買ってはくれない。個人でiPhoneを買えば、会社の電話として登録して使うことはできるが。iPhoneを買って、それを会社の電話として登録して使っている人が多い。

ところが、家の固定電話は個人で契約して支払う。家からネットでPCをつないで仕事をする場合、家のネットワークを使って会社にアクセスするため、会社が支払うことはない。

いつもこの違いは何なのかと思う。たぶん固定電話は家の必需品として存在していたのに対し、携帯は新しく現れたものであり、最初、自分の携帯を持っていない人が多かったため、会社が用意する必要があったからだろう。ところが、携帯は普及したため携帯を支給する必要が薄れてきた。しかし、そこにブラックベリーというものが誕生し、エンタープライズ向け携帯がそちらに移っていき、会社の支給対象がブラックベリーになっていったのだろう。

ここでiPhone, INQ Mobileの登場が携帯電話を、電話から携帯ソーシャルネットワーキング端末へとシフトさせている。電話は、音楽を聴いたりテレビを見たりするアクセサリの一部にすぎなくなる。これにより、エンタープライズ向けだったスマートフォンというものが、コンシューマ向けのソーシャルネットワーキング端末へと広がってきり、個人でそのその端末を持つようになる。ここで重要なのは、電話でなくインターネットに月額固定でつながるため、Skypeなど使う放題なら会社が電話代を払う必要などないということだ。家の固定電話と同じになる。

つまり、1)会社支給のブラックベリーでなく、iPhoneを個人で買って使う人間が増えていること 2)ソーシャルネットワーキング端末の出現と月額固定料金でそのインターネット通話が可能になったこと により、会社が電話やスマートフォンを支給する必要がなくなってきたということだ。

エンタープライズ向けスマートフォンとして伸びてきたブラックベリーは、これからどういう方向に進むのだろう。インテルの言うMIDという少し大きめの端末を目指した方がいいかもしれない。

2009年11月5日木曜日

すべてのポータブルがネットにつながる

MIDとは何か、ちょっとわかったような気がする。

昔、家の家電はすべてネットワークにつながりお互いにコミュニケーションできるようになると言われていた。そしてホストは電気を大量に使える冷蔵庫だと。冷蔵庫は置いておいて、この「ネットワークにすべて家電がつながる」がヒントだったのかもしれない。

つまりは、何でもネットにつながるのであり、それこそがMIDなのだ。特定のMIDという端末など存在しない。つながるものすべてがMIDとなる。すべてというと言い過ぎだが、ポータブルなものはすべてMIDになりうる。iPodがネットにつながればMIDになり、NintendoDSがつながればMIDなのだ。

つまり、MIDというものの形を追い求めるのでなく、それらがつながった状態でのアプリケーションを考えた方が先の市場が見えてくるかもしれない。

「人と人」より「人々と人々」のコミュニケーション

メールや電話は、返事を期待するものなので、受けた方はすぐに返事をしないと友達を失うなどの変な強迫観念が生まれる。また、出した方は返事がないとストレスを感じるという、リアクション中毒にかかってしまう。その結果、ストーカー状態になる。

こんなお互いにストレスとプレッシャーを掛け合うコミュニケーションは不健全であり、定着するものではない。ビジネス上も、返事の遅さによって客からの信頼を失うことになり、客とうまい信頼関係を築ける手段とは言いにくい。客が一人、二人と特定であれば可能だが、不特定多数相手だとすべてに即答するなど無理なのだ。

問題はどこにあるのか? 最初の問題は、相手が見えないことなのだ。見えないからイライラする。だから見えるようにする。相手が無視している訳ではなく、忙しいだけで返事をする気持ちがあるということさえわかれば、待てるものだ。次の問題は、受信者が一人であることだ。ある一人の相手に送った場合に返事がないと、人間はイライラする。ところがブログのように相手を特定せずに書いて誰からもリアクションがないとイライラでなく、不安になる。不思議なことに、皆が無視していると怒る気分にはならないのだ。人間とはおもしろい生き物だと思う。

では、どうすればいいのか? やはり、SNS,Twitterのようなゆるくて多数の人間が参加できるコミュニケーションが望ましいのだろう。他の人が返事しても構わないわけだし、その人が他のことに返事をしてももちろん構わない。それがごく普通のフェースツーフェースの会話でなされることなのだ。

結局、人間のコミュニケーションは、「人と人」というよりも「人々と人々」なんだと思う。

オンラインコミュニケーションの場

テレビでYoutubeを見るということは何を意味するのか考えてみた。

昔から考えてみれば、ブロードキャストでダウンストリームのみだったテレビというものが、双方向になってもまだブロードキャスト用の映像から好きなものを選ぶビデオオンデマンドにしかならなかったのに、インターネットとの接続によりブロードキャスト用でない個人映像を自由に見れるようになったことになる。

一方的に受け取るのみの新聞/雑誌/本が、インターネットによって自分から情報を発信できると同時に個人の意見が自由に読めるようになったのと同じだ。この変化の波が、文字から映像にまで波及したと考えられる。

その場を提供するものがYoutubeであるということだ。もうちょっと突き詰めて考えると、Youtubeは誰に見られるかわからないブロードキャストタイプの発信だが、SNSならば自分で受信者を選択できるユニキャストタイプになる。人間はどうやらこっちの方が心地がいいらしい。見知らぬ人と話すより友達や家族と話す方が楽しいのだ。だが同時に、不特定多数の人間に見てもらいたいこともある。そういうときにはYoutubeがいい。グリーンピースが訴えたり、ギターを壊したユナイテッドを避難するには、Youtubeの方がいい。ちなみに、私はYoutubeや Blog やTwitter からは、「見て見て見て!!」という声が聞こえてくるようにすら感じる。

つまり、Youtube, Blog, Twitter は誰かに見てもらうこと自体を目的としているのに対し、SNSはサークルや部活のように友達や仲間を作ることを目的としているのだろう。学生時代にサークルや部活に入ることの一番の目的は友達や仲間を作ることだったのと、まさに同じだ。部室に行くと、いつも仲間がたむろっているので誰かと話せるし、しかも必ず行かなければならないということもない上、自分が行きたいときにいけばいい。まさにゆるいコミュニケーションを可能にするものがサークルや部活だったのだ。自分が行きたいときに行くのと同様、SNSでは自分がアップしたいときに自分の言葉なり写真なりをアップすればいい。たまたま部室に来た仲間がそれを見てくれ、コメントもくれたりする。

ちなみにTwitterは、流行を追うように、最新情報を常に追いたい人たちが使うものだと思う。だから若い女の子に人気があるのだろう。なぜか若い女の子は流行に敏感でありたいと思い、それを競い合うものなのだ。「知らないのぉ〜」という言葉が昔流行ったように、流行のことを知らないといけないという恐怖感にかられるのだ。残念ながら、その理由までは私にはわからない。

だんだん、Youtube, Blog, SNS, Twitterそれぞれの場の位置づけがはっきりしてきた。ここで重要なのは、これらの用途から、モバイルにとって重要なのは 1)Twitter 2)SNS であり、PCやテレビにとって重要なのは 1) Blog 2) Youtube であるということだ。