2010年2月28日日曜日

自分の攻めるべき市場は?

スターバックスのコーヒー豆を買うと袋に「この袋をお店に持ってくるとコーヒー一杯フリー」と書いてある。よく見ると賞味期限後30日以内に、とある。これはマーケティングで消費者にどんどん消費させることで儲ける方法である。これで消費速度が上がれば、コーヒー一杯サービスくらい安いものなのだ。

今私は自分を製品として売り込もうとしている。マーケッターであり、セールスでもある。
自分という製品を成長マトリクスに当てはめて考えたときに、技術•能力は既存•新規のどちらを狙うか、あるいは市場は既存•新規のどちらを狙うか。(1)既存技術で既存市場の深堀りが王道だ。上記スターバックスのように、既存製品の既存顧客への販売量を増やすことで事業を拡大する。次に成功確率が高いのが、(2)既存技術で新規市場を狙っていく。私に資源の余裕があればいい方法となる。(3)新規技術で既存市場はなかなか売れない。新規技術が既存市場のニーズになかなか合わないのだ。言うまでもなく(4)新規技術で新規市場はほとんど成功しない。

まずは(1)だろう。(2)と(3)に行きたいのだが、あまり現実的でない。(2)や(3)につなげられそうな(1)を選んでいくことが重要だ。ヘルスケア製品を扱っている企業か中国系半導体企業のいずれかだとつながりそうだ。

2010年2月27日土曜日

スターに返り咲けるか

最近よく平家物語の冒頭を頭の中で繰り返す。特に「盛者必衰の理を顕す 驕れる者は久しからず」の下りに深い感慨を覚える。

各国をプロダクトとしてプロダクトポトフォリオの中のあてはめると、今の日本やアメリカは既にスターよりもキャッシュカウなのだ。ヨーロッパはEUとして統合することで負け犬からキャッシュカウまで戻ってきた。中国は明らかにこれから投資をすべき問題児であり、次のスターとなりつつある。
今後日本がキャッシュカウに落ちていき、さらに負け犬となるか、あるいは再びスターに返り咲くかはこれからの私たち日本次第なのだろう。

トヨタリコール問題と自分の職探しには直接的には何の関係もない。しかし、どちらも同じ大きな世界の流れというものに巻き込まれている気がするからだ。世界の経済危機の波はもちろん、この日本の価値の変化がそれらに大きく影響しているだろう。今世の中の景気が良かったら、あるいは日本が今問題児であったならばおそらくどちらも起こらなかったと思う。

アメリカだって日本を守ってあげるような余裕がなくなったってことだ。アメリカもスターに這い上がるために、中国と関係を作っていかなければならない。日本と違って、アメリカにとって中国は大変だろう。本当の意味で問題児になるかもしれない。

2010年2月26日金曜日

戦国時代の合戦か

トヨタリコール問題に関して少し追加。

アメリカは競争状態を維持することによって成り立つ資本主義国家なのだ。つまり、アメリカの自動車メーカーが競争力をなくせば、彼らが競争に参加できる状況を作る。アメリカの自動車メーカーだけでなく、中国などの新興国の自動車メーカーがアメリカに参入できるよう市場を整える。彼らにとっては当たり前のことなのだ。

それが正しいとか、やり方が正しいかとか、そこはいろんな意見があるだろうが、結局、絶対的かつ不変的に正しいことなんてないのだから、そういう議論の余地はないのだ。誰かにとって正しくないことも誰かにとっては正しいのだし、今正しいことも50年後には正しくなくなるのだ。

マイクロソフトが独占禁止法で訴えられたことを覚えていると思うが、つつかれないよう穴を作らないようどんなにがんばっても、結局は独占禁止法という法によって合法的にたたかれるのだ。アップルがシェアを回復できた最大の要因は、マイクロソフトが独占禁止法にひっかかったことだろう。市場競争力を維持するために社会によって意図的に操作されたということだ。もちろんアップルである必要はなかったわけで、そこはアップルの勝利であると言える。

インテルもAMDを閉め出すためにリベートを使い、ヨーロッパで独占禁止法にひっかかり罰金を払わされた。ウィンテルによる数十年の支配も終焉となり、新しい時代を作るために競争市場が作られているのだ。ここで戦い勝った者が10年後に次のウィンテルとしてその後十年位君臨できるのかもしれない。

日本の歴史の授業でも習った戦国時代の合戦が始まったのだ。織田信長になれるか、豊臣秀吉になれるか、あるいは徳永家康になれるか、これから各地の武将が出陣し始めたところなのだ。私はどこの陣営に加わろうか?

2010年2月25日木曜日

優越感という悪

どこの国も、人間に順位をつけてきた歴史を持つのではないだろうか?
生まれで決めるカースト制度は有名だが、そういうランクに限らず、ユダヤ人迫害のような宗教、先日のモンゴルのような民族、言うまでもなく人種、肌の色で優劣を決めたがる。なぜ他人を下に見る必要があるのだろうか?

動物も、宗教はないにしても、同じ種類の動物の中で生まれや種類や色で優劣を決めるのだろうか?例えば岩とびペンギンと冠ペンギンや、ドブネズミと野ネズミの間に優劣はあるのだろうか?力の差による優劣はあり得るが、その力関係を明確にするために人間のように群れ同士で陣地争いはしなそうだ。

ではなぜ人間だけが群れを作って戦い、力関係を明確にし、その後その力関係を維持しようとするのだろうか?優越感というおかしな感覚のせいだろう。この優越感という感覚さえなければそんなことはきっとしない。他人に対して優越感を感じることは悪いことだとなぜ教育しないのだろう?他人に暴力を振るうのは悪いことだ、他人から物を盗むのは悪いことだと教えるのに、優越感という他人に視覚できる危害を与えないことは許されるのだろうか?遺伝子自体が優勢/劣性という性質を持ち、それによって優れた遺伝子で子孫を残す生物である以上、優劣を決めることからは逃れられないのだろうか?だとすれば、より強い遺伝子である方を優性と認識すべきではないのだろうか?

今日一緒に食事をした黒人の女性がレストランで明らかに機嫌が悪くなった。明るい席がいいと言ったのにレストランの人間が開いてないと言って譲らなかったからだ。空いている席は今日客が150人ほど来るから使えないということだった。私はそれでしょうがないと思ったが、彼女にはそう思えなかったようだ。ダラスは他の地域から来たMBAを持つ黒人にとっては耐え難いところなのだろう。シリコンバレーで黒人を見かけることはほとんどなかったので以前はあまり考えなかったが最近は思う。彼女たちが今までに受けた屈辱は私の想像以上に違いない。
そこでふと思ったのだ。「なぜ優劣を決める必要があるのだろうか?」と。

2010年2月24日水曜日

日本が克服すべきもの「言葉」

車のラジオでAkio Toyotaの謝罪を聞いた。映像がなかったのでよくわからないのと音質の良くないカーラジオだったせいか、叫んでいるように聞こえ、昔テレビで見た第二次大戦の終了ラジオの天皇陛下のようだった。

以前やはり車関係のタイヤの事故で、日本で日本語で謝罪をしていたテレビを思い出したが、あんな風だっただろうか?英語だからだろうか?日本語だったらもう少し違った話し方ができるのだろうか?

日本人は英語のために個人の能力を十分に認めてもらえない部分が多いし、たとえ同じ分野で競うにしても英語の勉強する時間がハンデとなることもある。英会話の授業を増やすために数学や他の教科を削れば他の能力の低下になる。国際競争力を高めるために日本はまず、同時翻訳機を自国で開発して普及させることが急務だ。すでに頭の固くなった働き盛りの国民の英語力を上げるより、コストも時間もよっぽど安くつくはずだ。これから中国語が話せないとという時代がやってくる。そのときまた新たに中国語を一から学ぶのだろうか?アメリカには英語と中国のバイリンガルなんて数えきれないほどいる。少数の日本語と中国語のバイリンガルだけで日本はどうやって戦っていくのか?

国がその研究費を払ってでもやるべきだろう。資本を集約して翻訳機を作った方が、個人個人に分散投資するよりもはるかに効率がいい。
グーグルがやってくれるとか他人に依存するのでなく、自力でやればいいのだ。欠点があれば、自分で克服するなりして解決する。当たり前のことだ。

2010年2月23日火曜日

素敵な女性を発見

今週3人の女性と知り合った。年齢は40から50代だと思うが、3人ともすごく素敵だと思った。

そんな風に素敵だと思える女性に今までここの会社で出会ったことはなかったのに、外の世界を見てみたらこんなに簡単に素敵な女性に会えるのかと驚いた。というより、自分の世界が狭かったことに呆れた。なぜ今まで外の世界を見ようという努力をしていなかったのか。

彼女達を見ていて、自分はこういう人間になりたいと思えた。正直、会社のミーティングでは男性しかいなかったし、その中で自分のエゴを満たすために偉そうに話す人たちを見て疑問を感じていたのだが、ここ一週間ですっきり答えが見えた気がした。まず皆が言うようにダラスはアメリカではないし、特にあの会社はいわゆるアメリカの会社ではない。日本に近い。たぶんこの状況の中で生き残るのは難しいだろう。次に、偉そうに話すことがアメリカ流なわけじゃない。自分の内面を磨くことで生まれる内からの自信が、その人を輝かせるのだ。アメリカには自分なりの道を見つけてそういう風に素敵に生きている女性がたくさんいる。

時間が許す限り、彼女達から吸収できる物は吸収していきたい。

2010年2月22日月曜日

インターネットで世界はつながったか?

韓国人留学生が、アメリカの大学や大学院卒業後、就職できずに韓国に帰国しているという記事を昨年見た。景気低迷による企業の採用枠の縮小、およびビザの問題らしい。たとえMBAをとっても、ビザのスポンサーになろうという企業が顕著に少なくなってしまったために就職できないということだ。しかも、以前は留学生は卒業後一年間ビザを延長可能だったが、昨年から卒業後90日以内に就職しなければならないなど規定が厳しくなったこともあり、すぐに帰国するのだろう。

自分をとりまく状況が厳しいと他人に厳しくなるのは自然なことだ。自分の中の受け皿が小さくなってくるのだ。そのこと自体が問題を起こすというよりも、実際の問題は、一人がそれをし始めるとそれが伝搬してしまうことだ。結果、お互いを受け入れない世界ができあがる。

インターネットで世界はつながったといういうが、電気がつながったところで、本当の意味で世界がつながったとはいえないのではないか。言葉の読めないページは見ないではないか。言葉だけでなく、その見えない心の垣根を取り払うことが本当に世界中の人間がつながるということではないのだろうか。

2010年2月21日日曜日

アメリカがアメリカでなくなる日

アメリカが国を閉じ始めている。

労働ビザだけでなく、学生ビザまで状況が変わってきている。
たまたま他人の話が聞こえた。彼女は自分の息子を大学に入れたいらしいのだが、ある大学に行ったらまずビザをとってからくるように言われた。しかも、アメリカでとりたかったようだが、一度自国に帰ってビザをとらなければならないようだ。大学側が言うには、去年の5月からここでのビザのサポートをやめたらしい。ここでのビザのサポートやっている、ちょっと離れたところにある別の大学の名前を教えてもらって帰ってきたということだ。どこの国の人かはわからないが、ヨーロッパ系に見える白人で、お母さんは英語だったけど、息子はあまり英語は話せないと言っていた。

学生の就職難が状況を変えたのか、費用を削るためにそうしたのかはわからないが、積極的に移民を喜んで迎え入れるグローバルな大学ではなくなってきた。中国に会社のローカルブランチを作って社員を送り込んでいるが、自分の国の国民を自分のお金で他国に送りこむだけならば、日本でもするし、グローバルとはいわない。輸入をあまりせず、輸出ばかりする国は好かれない。国際的協調とは言えないからだ。

これは一例にすぎないが、最近アメリカを見ていて、日本と似ているなと思うことがよくある。それを見て、これが人間の本能なんだと実感してしまう。

2010年2月20日土曜日

パラダイムシフト「平均寿命」

日本ではこれまでずっと平均寿命は延びてきた。だからこれからも延びると思っている。そうだろうか?

平均寿命に医学の進歩が大きく貢献していることは間違いない。しかしその今までの医学は精神に関わらないところで大きく貢献してきたといえるだろう。これは最近になって心療内科というのが増えてきたこと、鬱病や自殺が増えてきたことから言える。

終身雇用や年功序列という約束された安心できる将来がなくなり、将来が見えなくなってきた。職を失う可能性もあり、さらには年金がどれだけもらえるかもわからない。人間にとっての不安の原因とは、「わからなないということ」そのものなのだ。先行きのわからないものに対して不安を感じストレスとなる。そして例えば親の不安が子供に伝わり、その子供の不安のはけ口として学校でいじめが起こるといったように、ストレスがストレスを生み、伝搬していく。

ストレスによる病気を改善する手術や薬がない以上、ストレスによる精神的な病が寿命に影響を与えることは避けられない。おそらくこれからは日本の寿命の延びは穏やかに止まり、さらに減っていくことになるだろう。

少子高齢化が進み社会が高齢者を支えきれなくなったことが、年金を始めとした社会問題につながる。その社会不安が平均寿命を引き下げ、その問題を軽減させていく。そうやって社会はバランスを保とうとしているようにも感じる。ある意味、生物の普遍的な自然現象なのかもしれない。

2010年2月19日金曜日

パラダイムシフト「外資系」

世界における日本の価値が下がってきている。価値というのは結局相対的に決まるものであり、中国の価値があがったことで日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカ、インドですら価値が下がってきているのだ。おそらく今までもそれなりの価値があった国の中で下がっていないのは台湾くらいではないのだろうか?

日本にある外資系は日本にしてきた投資を中国に向けるため、日本を縮小し、中国にその分投資をしている。
日本にある外資系企業にいた人、海外で働いてきた日本人に影響を与えているのを肌で感じる。今採用するべきは中国人なのだ。実はアメリカにいる中国人はあまり大切に扱われていなかったことに、こうなってみて初めて気づいた。インド人は2000年問題の後、いろいろ大切に扱われてきたが、中国人はかつてのままだったような気がする。

これは最近ジムで泳いでいたときに気づかされたのだ。隣の女性に何か聞かれたがよくわからなかったので聞き返すと自分のバタ足を見せてジェスチャーとたぶん中国語でいろいろ言われた。その隣にいた男性に「どこから来たのですか?」と聞かれた。日本だと答えると「あなたのバタ足がきれいだからどうすればいいか聞いてるんだよ」と言われた。「あなたのバタ足と自分のバタ足の違いがわからない」と答えてしまった。習ったのは小学校に入ってすぐだったから、どうするのかなんて覚えてない。ただ動かしているだけ。。。本当にわからなかった。聞いてみると、彼女は中国から来たという。

英語の話せない中国人の中年の女性がプールで泳いでいるってちょっとないことだった気がする。シリコンバレーならともかく、特にこのダラスでは。新しく中国から人が来て住んでいる。世界が確実に変化している。

話を戻そう。日本から見ての価値観を変える必要がある。つまり、「外資系=アメリカ系とヨーロッパ系」だった価値観を「外資系=他のアジアと欧米系」にシフトさせる必要がある。グローバルな人間になるためには、この価値観は必須だ。

2010年2月18日木曜日

鶏口となるも牛後となることなかれ

社会のステータスといえば、今まで大学名や会社名をプランドとしてステータス化してきた。でも、実はこれからは以前程意味を持たなくなるだろう。

理由としては、少子化で大学に入るのが私たちの時代と比べたら断然簡単になったからだ。それに、日本の大学名は外資系では意味をもたない。そして、一流企業にいるからと言って、その会社がずっと潰れない保証はないし、つぶれたらその社員がすべてまた他の一流企業に入れるわけではない。前の会社が一流企業であったかよりも、その会社での個人の経験の方がはるかに価値がある。
転職市場とは「経験価値マーケティング」だと思う。自分の経験を如何に相手に売り込めるかのマーケティングだ。その人の表情、話し方、反応の一つ一つが、その人間の経験を物語る。

一流大学の学生は、日本での知名度は低いけど給料の高い会社には入りたがらない。名の知れた一流企業に入りたがる。他人からの羨望やステータスがほしいのだろう。大企業故の大きいものを任せてもらえるころには、その地位を守るために責任をとりたくない年齢になってしまっていて、思い切りやるなんてできない。小さい会社に入った方が若いうちにその会社にとって責任のある仕事を任せてもらえて経験できるチャンスはいろいろあるだろうに。

一流企業でトップまで行ける人は数えるほど。ほとんどの人は牛後。自分はそこでトップに行ける程の人間ではないと思う。だから分をわきまえて、鶏口を目指そう!!

2010年2月17日水曜日

捨てることの勇気

20代の人はまだ会社を辞めやすいのに、30代、40代、50代、と年を重ねるにつれて辞めにくくなる。なぜか?

もちろん家族の問題が大きいだろう。では、なぜ家族がいると辞めにくいのか?まずはお金と体裁、家族達の精神的な不安の問題だろう。家族がいないとしても、お金の問題がないわけではないし、体裁が悪いという問題は残る。その給料と福利厚生、さらには会社での地位を失うのが怖いのだ。年を取れば取るほど、失う給料の額、社会の地位は高くなってて余計捨てにくいから、年齢とともに辞めにくくなる。
人間は自分が今現在もっているものを持っているとはあまり意識しない。それなのに失うとなると急に怖くなるのだ。恋人や家族と同じだ。

最近思う。人間は過去にとらわれて生きる生き物なんだと。なぜかはわからない。悪いことだとトラウマにもなりかねず、その場合捨てたいのに捨てられない。いいことも忘れられない。一度成功した人は、その過去の成功体験が捨てられず、なかなか先に進めない。過去の成功という亡霊から逃れられない。目に見える物ならば無くなったと認識せざるを得ないが、目に見えないものというのは捨てるのが非常に難しい。他人からはたいしたことでなくても、本人にとって甘美な成功というのはたくさんあり、捨てられないのだ。
そして、過去に自分はこうしてできたんだから、また同じようにやればうまくいくんだと自分で思い込んで安心する。そうやって考え続けるからそこの神経回路がしっかりつながりすぎてしまって忘れられないのかもしれない。感情を伴う記憶というのは、記憶に残りやすいということもあるが。両方だろう。

今の仕事にせよ、過去の成功にせよ、持っているが故に前に進めないのならば、一度捨ててみればいい。もちろん、それだけの精神力が必要かもしれないが。失ったことで必死になれば、なんとかなるものじゃないのだろうか?

2010年2月16日火曜日

国民の雇用を守るとは

今朝は会社に行って、机を片付け、少し挨拶をして、帰ってきました。

わざと唐突に、人事に「H1-B雇用者を減らしてるの?」と聞いたら「減らしてないわよ。ガバメントはそう言ってるけど、うちはポリシーを変えないの」と即座にそこまで答えてくれました。用意されたような回答にびっくり。実はダラスは典型的な保守派の人たちの塊で、会社が議員にロビー活動をすれば相手議員は当然ばりばりの保守派。アメリカ人の雇用を大切にしないわけはない。何か対策をしなければ、議員とやってはいけないのだろう。

私の頭に浮かんだのは、あばら屋に住む母と3人の子供と預かった隣のうちの子供。子供達が2日何も食べれず3日目にパンが1欠片手に入ったが、分けても3人分にしかならない。母親はどうするか?自分のうちの子供にあげるだろう。3日食べなくても死なないだろうから。

実は、12月に同じグループの人間に突然言われた。「ダラスどう?」何を今更聞くのかわからなかったが「アメリカと日本どっちがいい?」聞かれたので、「今はアメリカにいたい」と答えた。すると「日本は仕事探せるの?」と聞くから「そうでもない。たいへん。アメリカと同じくらいじゃないかしら」と回答すると「そう。」とがっかり気味だった。意味がわからなかったのでこのやりとりを友達に言うと、「アメリカ人の職がないから、日本に帰れって言ってるんだよ。頭数が一つでも減れば自分たちが安全だから」と言われた。なるほど。天然ポジティブシンキングの私はてっきり「アメリカを気に入ってくれてうれしいよ」と言っているんだと思ってしまった。

景気の悪さが人間の生活のみならず、人間関係、そして人間の性格までも変えてしまう。人間社会がネガティブな方向に進むこの状況を変えていかなければ。

ところで余談だが、「頭数」を訳すと「ヘッドカウント」。偶然じゃないとしたら、外来語を訳したものなのだろうか?

2010年2月15日月曜日

サバイバルゲーム!!

さてさて、サバイバルゲームスタート時の目的に戻りましょう。

明日会社を辞めることに決まりました。
契約上、パッケージをもらえなくなるので詳細は書けないのですが、とにかく明日が最終就労日です。
実は退職は二度目。日本の会社と比べると、驚くほど簡単。なぜ日本の会社はあんなに書類が多かったのでしょうね?

そして、2月15日から8月14日までの6ヶ月間、H1-Bのサバイバルゲームの開始です。

用意、スタート!!!

2010年2月8日月曜日

緊張感と超えるべきハードル

それは2008年の秋に始まった。まずはWirelessのグループを大きくレイオフした。続けて年末に早期退職者を募った。表向きは募集だが、止めてほしい人には強制するのだ。2009年になり、2月のCEOのブロードキャストのビデオの直前にレイオフがあるという噂を流し、噂通り2月に決行した。この時期、ほとんどの会社がレイオフをしていたので、目立って業績が悪いという印象を世の中に与えることはなかった。

このことで、会社は社員に「パブロフの犬」の条件付けをした。それは社員に「クォーターに一回のCEOのブロードキャストの直前にレイオフをする可能性がある」という条件付けだ。毎回、ブロードキャストの度に次のブロードキャストの日程を教えておき、緊張感を持たせ、ブロードキャストではCEOの話に集中させる。以前は、ほとんどの人が聴いてなかっただろうが、今ではその数週間前から緊張が走り、当日は真剣に聴いている。しかも安心させるようなことは言わない。「今はレイオフの予定はない。だが、状況は厳しいので、注意深く状況を見ている必要がある」ということを毎回言って、さらに緊張感をあおる。

もちろん脅しだけでは、人間たるんでしまう。だから、口だけではない。クォーターに一回、実際に人が消えていく。よそのグループまではあまり見えないが、まず去年5月には隣の部の課長が辞めさせられた。8月には別の隣の部署の部長が他の部署の平社員へ異動し、また同じ部のエンジニアが辞めさせられた。11月には統括部長が他部署へ異動、代わりに全く新しい人が昇進して統括部長になった。そしてこの2010年2月には、別の隣の部長が辞めさせられ、全く新しい人が他から来た。それと同時に組織変更があり、人がごそごそと異動させられるのと同時に数人の名前が消えていた。

この緊張感のおかげで、たるみだしてい体と頭がしゃきっとしてきた。ありがたい。そう、私は楽して生きたくてアメリカに来たわけじゃない。逆で、敢えて困難な道を進んでみたくて来たのだ。正に望んだ通りの状況というわけだから、今の状況に感謝したい。超えるべきハードルがあるからこそ燃えるのだ。

2010年2月6日土曜日

ポジティブシンキング

突然思い出した。多分私は自分に都合のいいようにものごとをとらえるのが得意だ。

昔学生だったときに憧れていた人から彼のライブのチケットを買わされたことがある。そのとき一緒にいた友達に、「私から花束がほしいのかな?」と言ったら「ほんと自分の都合のいいように考えるのが得意よね。ただチケット売りたかっただけでしょ」と教えてもらった。なるほど、その通りだと思った。ついつい自分のいいように考えすぎてしまったが、勘違いしたまま、勝手にそう思って花束を渡してもよかったかもしれない。彼はチケット売れて満足だし、私は自分の役目を果たせて満足なのだから。ここで、私が正しく彼の意図を理解することが重要ではないのだ。正しくない方が結果がいいことはよくあるのだ。

世の中は、「正しいこ=いいこと」ではない。理由は勝手に思い込んだものであれ、結果がでればそれで十分なのだ。逆に正しく理解しない方がいいことだってたくさんある。重要なのは、本人がこうだと納得できる理由があることであり、それをもとに行動できるかなのだ。

例えば、親や先生が子供のために必要だと思ってコミュニケーションをとろうとする。これは、本当に必要かどうか、本人がありがたいと後で思えるか、それらを考えることはあまり重要ではない。大切なのは親自身が必要だと思って子供のためにコミュニケーションをとる行為そのものなのだ。

こういう勝手な思い込み思考回路も、ある意味ポジティブシンキングで、いいと思う。

2010年2月1日月曜日

成長から貢献へ

人間は成長し続けなければならないと書いたが、それはなぜか?生物の本能みたいなものだと思う。人間も含め生物は、変化を嫌う。だが、進化、成長を望む。

例えば、ロールプレイングゲームというのは見たことがないが、聴いた範囲で理解する限り、成長することによって人間の本能が満たされるのだと思う。現実社会では、努力をしたって結果が出ない、報われないことが多い。いきなり難題を言われたり、適切な導きがないとなかなか成長というのは難しいのだ。それが、ゲームでは適切な導きのもと、確実に一歩一歩進んでいくと、成長感で満たされていく。学校で数学の問題を解くとき、いきなり応用問題を出されたら解けない。まず例題を示し、練習問題をさせてから、応用問題を解かせる。すると、不思議と解けるのだ。人間の脳に学習させているのだ。

ゲームはよくわからないが、子供の頃、エースを狙えを見ていて、岡ひろみがものすごい速さで上達し、どんどん強い相手を倒していき、最後には憧れのお蝶婦人まで倒すことに気持ちが晴れ晴れしたことを思い出す。すっかりその気になって中学で硬式テニス部に入ったが、結局選手にすらなれずに終わったとき、現実を知るということを学ぶことが来出た。

自分の無限の成長の可能性を夢見る時期は過ぎたものの、それでもなお、成長し続けたいと思う。最近、以前の勢いがなくなってからというもの、周りの人間の学習意欲が極端に落ちている。もちろん、中国は今でも意欲的に学んでいるだろう。だが、明らかにアメリカ、日本の人たちの学習•成長意欲が低下した。この仕事•勉強を続けたところでそれが生きるという感じがしないのだろう。今いる業界自体の問題もある。しかし、仕事そのものへの不安が邪魔をしていると思う。親が離婚の話をしている家庭で子供が勉強に集中するのが難しいのと同じだ。直接関係なかろうが、集中などできるはずがない。

では、成長本能および欲求は満たされなくていいのか?人間はある程度年をとると物理的に成長しなくなる。そのとき成長本能も弱まるのだろう。では、そのときに人間は何を求めるのか?例えば、成長できないなら働くことを止めるのか?そんなことはない。人間が働く理由は物理的にはお金を稼ぐためが基本だが、それと同じくらい精神的に満たされることも大切なのだ。どうやって満たされるのかというと、「他人から必要とされる」「他人から感謝される」ということで満たされるのだ。自分一人では生きていけない、自分を他人に映し、その映った姿がいい自分であることを確認することで、自分の存在意義が感じられ、満たされるのだ。

だから私は、55歳までは自分のために働き、55歳以降は他人の為に働くと決めている。55までは自分がどこまで成長できるのかその可能性を試してみたいが、それ以降は他人が必要としていることを社会のためにやって貢献していきたい。もちろん、55までも社会で働く以上しっかり貢献するのだが、少し方向性が違う。

さあ、あと17年間、どこで何をしてみようか?