2010年8月10日火曜日

Giving Pledge チャリティ

Warren BuffettとBill GatesがGiving Pledgeというキャンペーンをやっている。ビリオネア達に財産の少なくとも半分はチャリティに贈与してくれと呼びかけているのだ。参加する40人のビリオネアの財産がトータル$251Bなので、最低$125Bは集まるらしい。75歳のWarren Buffettは財産の99%にあたる$47Bを、Bill Gatesは$28Bを贈与する。

おもしろいことに、コメントのほとんどは、二つに集約される。

一つ目は、こんなにあっても使い切れるものではない、ということ。もしかしたら、彼らはお金を稼ぐことが、つまり上っていく時の上昇感が楽しかったのであり、贅沢をするために稼いだのではないのかもしれない。その結果、それだけのお金をもってみると、自分に対する世の中の態度が変わり、そして世の中が違って見えたのかもしれない。

二つ目は、遺産相続をよしとしない、というもの。$18Bを贈与するNY市長のMichael Bloombergは「最善の方法は、子供や孫に直接あげるよりも、彼らのために世界を良くすることだ。」と言い、Boone Pickensも「相続させることはharm than goodだ」と言っている。もしかしたら、チャリティに参加できないビリオネアのほとんどは、子供や孫の反対にあっているのかもしれない。

世の中の景気が悪いときに、自らの財産をチャリティに寄贈することはすばらしいことだ。
上流の巨大ダムにせき止められて溜まっていた水が流れ出て、干涸びていた下流にまで水が届けば地上がまた潤い、新しく芽が出、たくましく成長していくことだろう。

2010年8月8日日曜日

映画と音楽のVirtualization

NetflixがEpixからWebでの映画配信サービスを始める。

NetflixのQ2は$43.5Mで昨年同期の$32.4Mよりも良かったが、やはりPC上でコンテンツを売ったりDVDを配送したりでは、この先成長しないのだろう。先日FremontやSanta Anaで285job cutsしていたが、こういったDVDの配送用店員を減らし、映像配信サービスへと方向転換するためだったようだ。

一方、映画館は意外と好調だ。7月のある週末ではInceptionが一位だったが、観客の56%が男性、73%が34歳以下だったらしい。映画館で見るのに向く映画というのが、若者向きのものが多いのかもしれない。それに、歳をとると、家で好きなときにごろごろ見る方が楽なのだろう。

ところで、Appleがlala.comを買ったのも似たようなものなのだろうか?ネットから自分のPC/HDD/DVDに落として見るよりも直接Webの配信映画を見る方がいいように、自分のiTunesで自分のSRAMにダウンロードしておくよりもどこかのWebのサーバの音楽を聞く方がいいということなのだろうか?

だとしたら、これもすべてVirtualizationの流れなのだろう。

2010年8月5日木曜日

テキサスの産業

今までは、州都はオースティンだったにも関わらず、ダラスフォートワースがテキサス州最大の都市圏だった。最大都市はヒューストンだが。

しかし、今、企業や人口が、オースティンに流れている。Southwest AirlineもSan Joseからオースティンの直行便を二倍にした。5年後にはオースティンがテキサス最大都市となる日が来るかもしれない。

テキサス州は税負担が軽い州であり、それは石油によるものであった。ところが、このCleanTechブームで状況は変わっていく。ヒューストンに代表された石油に代わり、Nolan 郡を中心に風力発電を軌道に載せている。ヒューストンにはNASAがあり、石油産業が縮小しても航空宇宙産業という重要な都市になる。そして半導体産業はオースティンが中心になり、スタートアップも増えている。

ここにも、CleanTechによる影響が垣間見えた。

2010年8月4日水曜日

中国の規模

2010年6月の時点で、中国における携帯電話のユーザが805.35millionに達したようだ。人口の60.5%にあたり、月ベースで1.19%、年ベースで15.85%の成長だ。同6月の携帯からのショートメッセージは68.92billion通送られており、電話番号毎の一日平均は2.87通だとか。

ちなみに、その6月時点の中国固定電話加入者は304.92millionで22.9%にしかならない。インターネットアクセスに関しては、Dial-up 6.89million、xDSL 93.59million、Aggregate115.14millionだ。

3月の時点では中国の携帯ユーザは777millionであり、もうすぐ800millionだなと思っていたが、3ヶ月で超えてしまった。3ヶ月で30millionの契約という数字はあまりにも脅威的だ。日本と比較してみると絶対数、成長数ともに桁違いなのがわかる。Deltaを見ればわかるように、日本の携帯契約者数のほぼ25%が3ヶ月の間に契約してしまったことになる。およそ1年で日本の携帯契約者が全て契約してしまったというようなすごい勢いなのだ。
   日本  中国
6月 113.71M 805.35M  
4月 112.18M 776.87M
Delta 1.53M 28.48M

この勢いの中、2Q10の中国でのGSM,CDMA,3Gを合わせた携帯の売り上げは59.161millionである。これから市場の中心が中国になるのは明らかだ。

ひとりっこ政策にも関わらず、中国というのはなぜこんなに人口が多いのだろう?

2010年7月31日土曜日

エネルギーの輸出

小学校で、日本には資源が無い、と習った。だから原材料を輸入し加工して売る産業により、成り立っているのだ、と。輸入した原材料を加工することで付加価値をつけ、その製品を輸出することでその加工した分を利益とする。車や電化製品が良い例だったのだろう。

宇宙太陽光発電が軌道に乗れば、石油のような原料でなく、このエネルギー自体を加工品として輸出できるのではないだろうか?原子力発電や水力発電、地上太陽光発電では供給のため、現地にその発電所を設置する必要がある。ところが、宇宙太陽光発電ならば供給はどこでも可能であり、衛星軌道上にある宇宙ステーションから各国へと送電することが来出る。

もしも宇宙太陽光発電によるエネルギーを輸出できたら、日本にとっていい産業になるだろう。

2010年7月30日金曜日

宇宙太陽光発電


ソーラーパワーは、4、5年前まではQセルズとシャープで市場を二分にしていたが、リニューアブルエナジーに注目が集まった途端、どちらもアメリカ、中国企業に追い抜かれた。

一方、宇宙太陽光発電の開発も進められている。国土の狭い日本にはこちらの方が向いているかもしれない。

おかしな例えかもしれないが、地上太陽光発電が麦、宇宙太陽光発電が米に当たるような気がするのだ。育てやすいがそのまま炊いて食べるには不向きな麦、単位面積辺りの収穫量は多いが手間はかかるし水も必要な米。主食同様、その土地にあった発電方法というのがあるのだろう。

カリフォルニアの夏の日差しとその太陽を浴びて大きく育ったヒマワリを見て、ふとそんなことを思った。

2010年7月25日日曜日

Web Shopping - 2

AmazonがAmazonのアカウントとFacebookアカウントと接続できるような機能をスタートした。Facebookのprofileの情報からそのユーザや友達へのギフトのお薦めや、友達の誕生日情報と彼らの好きな映画や音楽情報を使うらしい。前に書いたように個人情報を守るため、ユーザのアカウント情報や購入履歴をFacebookとシェアすることはないようだ。

つまり、個人が自ら公開している情報を、そのリンクされた友達に限定的に使うことはプライバシーの問題にならないということらしい。逆に言えば、公開しているわけではない購入履歴やAmazon上の情報を流すことは問題なのでしないということらしい。

Amazonは製品によってインターナショナルシッピングも可能でオーダできるが、たいていのオンラインショップはインターナショナルシッピングは対応していなかった。ところが最近Banana Republicのオンラインサイトがインターナショナルシッピング可能だということに気づいた。これからはそうなっていくのかもしれない。

Liz Claiborneはアウトレットストアを来年頭までにすべてクローズする。インターネットショッピングの普及とともにアウトレットの存在意義が薄れてきているのだろう。他にもお店をクローズするところは多いが、Jones Apprarelの場合はモールのストアをクローズしてアウトレットにフォーカスする。この場合はモールのお店の売り上げが上がらないからと、去年の在庫を処理する必要があるのかもしれない。

しかし今のPCやMobileのクオリティでは、衣服は本やCDと違って自分がほしいものを選ぶのは難しい。靴はまだいいが、衣服はネットで見た色、素材、質、サイズ、すべてがまだ実物とはほど遠い。これが改善でき、かつARで自分が来たところが見れるまでは、つまりVirtual Shoppingができるまでは、ネットでほとんどのものを買うのは難しいだろう。

2010年7月24日土曜日

Web Shopping - 1

4月には、Facebookは、Google, MSN/Windows Live/Bingに次いで、ポピュラーオンラインサイトランク第三位だったらしい。これだけアクセスがあれば、Social Networkをe-commerceに利用し始める企業がでてくるのは当然だ。様々な企業がFacebookやTwitterでカスタマに呼びかけているのはもちろん、Facebookで友達とオンラインショッピングできるツールを提供したり、グループ購入によるディスカウントGroupon、友達と好きなレストランをシェアーさせるオンラインクーポンなど、いろいろアイディアがでてきている。

おもしろいのは、AmazonもTwitterは使っているが、今のところそこまでSocial Networkに過剰期待はしていない。プライバシーの問題があるからだという。カスタマレビューやレイティングのパイオニアで、オンラインショッピングについては経験値の高いAmazonが言うのだからそうかもしれない。
ただ、私はいつも、Sign Inした後Logoutボタンが探しにくく、一度サーチするとかなりしつこくその情報を使って他の商品を勧めてくるAmazonのページこそ、プライバシーを大切にしないサイトだと感じているので、ちょっと「え?」と思った。

とはいえ、プライバシーの問題という点は、もっともだと思う。隠すほどのことではなくても、他人からいちいち「今週は○○買ったんだね」「先週は△△買ってたよね」「先月の□□はどうだったの?」といろいろとトラックされたら気持ちのいいものではない。しかもそれが見ず知らずの人だったら、ストーカーかと恐れるだろう。

私の意見としては、Social Networkは、友達と食事に行くレストランや映画、消費する食べ物等はSocial Networkを使った展開は有効だが、友達に勧められたからといって同じものを買うわけではない商品には使えないだろう。例えば本や衣服に関して、友達がすすめたからといって、カスタマレビューよりも信憑性があるというわけではないし、その商品を使ったことのない友達とその商品について議論したいわけでもない。つまり、そういう場合、友達である必要性がないということなのだ。

Social Networkにおけるe-commerceは、友達との関連が活かせるものにのみ、機能することになるだろう。

2010年7月23日金曜日

中国進出への次の一歩

中国進出に関して、今週もグーグルの検索が遮断されたというニュースが話題になった。実は技術的な問題だったようだが。

実際に中国進出をしているのは別にグーグルだけではない。半導体ベンダーも皆営業所のみならず、中国にデザインセンターを設置して現地のエンジニアを採用している。しかしそれだけで市場に入っていけるものではないので、皆次の一歩を踏み出し始めた。

AtherosはOpulan TechnologiesというPONの会社を買収した。
Marvellは会社の中国名を新しくした。”美満”と書いて”美しい調和”という意味らしい。中国の顧客やビジネスパートナーと調和しWin-Winの関係を築きながらやっていきたいという思いが込められているようだ。

TIも来月あたり中国市場への進出をアピールするため、中国での大量採用と、それに伴う米国でのジョブカットをするのだろうか?

2010年7月22日木曜日

TIとFreescale

一年ほど前から、TIはFreescaleを買収するのではないかと思っている。TIはアナログと組み込みプロセッサを強化したい。Freescaleは二束三文で買えてその両者の拡充がはかれるだろう。

それとTIは以前NokiaにOMAPを売ることで儲けたが、NokiaがSTに乗り換え、TIのOMAP部門は追いつめられた。もしもそのときTIが起死回生のためFreescale買収を条件にMotorolaとの関係を築いたとしたら?それでFreescaleがMotorolaとの供給契約を終了した時点で携帯事業を撤退、代わりにTIがDroidに乗れたことにも納得がいく。さらにFreescaleは日本とフランスにおける製造を縮小、これも既に日本とフランスに製造拠点を持つTIに吸収されるならば必要だったはずだ。

またFreescaleは車載製品ではシェアが最大。車載用マイコンも多い。バッテリー製品にとって今最大のターゲットは電気自動車のバッテリー。パワー製品を軸にしたいTIにとって、これも魅力的だろう。

Blackstoneが cleantech fund を既存$410Mの18%にあたる$90Mを追加するらしい。Freescaleはもはや必要ないだろう。

かつての母体Motorolaといえば、昨年mobile部門をspin-offさせようとしたがうまくいかず、set-top-box 事業を売りたくても売れず、今年、Mobile Devices Home businessesとEnterprise Mobility Solutions and Networks businessesの二つに分け、後者をNokia Siemensに売る。Nokia Siemensはこの準備のために昨年末に5700のレイオフをして人減らしをしている。
MotorolaはDroid携帯を売っていく道を選択したようだ。

TIがFreescaleを吸収するときには、便乗してOMAP,DSP,ASIC等をレイオフをするだろう。早ければ来月あたりにあるのでは?

2010年7月16日金曜日

円高の先

円高が進行している。

中国のGDPの伸び率の鈍化、アメリカ、ヨーロッパも回復していないなどの海外経済の状況、および、今回の経済危機の影響が他に比べて少なかったことが、円高をあおった。

つまり、他者のよくない結果による円高だ。
例えそうでも、もしもこれが、自ら経済危機を乗り越える方法を考えて実行したことにより導かれた結果であるならば、誇らしいことだ。ところが、実情は政治家を批判し、企業は国際競争力を失ってきている状況で、プラスの結果がでているわけではない。
良かったことは経済危機の影響が少なかったことだが、これは、過去のバブル崩壊の失敗時、バブル期のキリギリス精神を改め、アリ精神に心を入れ替えていたことだろう。無駄遣いや一攫千金思想を止め、堅実に生きることを考えるようになっていたからだと思う。

こう感じるのには理由がある。
私はバブル崩壊後に就職をしたので最初からアメリカ人と仕事をしていて、自分達は家族を犠牲にてアクセク働くアリのようであり、アメリカ人は昼間はずっとバイオリンを弾くが、夕方には家に帰り、休暇をたっぷりとって家族を大切にするキリギリスのような気がしていたのだ。「Don't work hard!」と言って帰る彼らを見て。
ところがこの景気悪化で状況が変わった。休暇を長くとってバケーションというよりも、疲れをとるために休みはとるが、その間もメールはチェックし続け、電話にも出るようになってきた。おそらくVPレベルはここ2年くらい休暇もとっていないだろう。もちろん、職を失うのだはという心配があるからそうしているのだろうが、彼らの仕事に対する距離感が、日本人に近くなってきたような気がする。
私にはこれが、かつての日本のように、彼らもアリになってきたように見えるのだ。それだけアメリカ人は危機感を感じて、必死で頑張っていると思う。

ここで問題なのは、逆に危機感も感じず、変わらずにいる日本だろう。
周りが神輿を担いで日本をその神輿の上に載せた。楽なのでその神輿の上に鎮座する日本。かたや、必死に神輿を担いで原に力を入れて走る他国。神輿を担いで走った分、力をつけてくるだろう。彼らが神輿を担ぐ必要がなくなり、各自で走った方がよく走れるようになったとき、誰も担いでくれなくなった神輿に座っていた日本はどうなるのだろうか?担ぎ手に居なくなりその場に取り残された神輿の上で途方にくれるなんてことがないよう、神輿から降りて、一緒に担いでいきたいものだ。そうでないと、他国が復活して成長しだした時、地面に置かれた分高さを失い、円が暴落、足が弱っていて走ることもできず、自分だけが取り残されるということになりかねない。
つまり、自分の意志で神輿に上ったわけでもなく、ただ担ぎ上げられたことに気づいていないことそして、そういう場合担いでいる人間の都合でおろされてしまうということが問題なのだ。

人間は失うのが怖い。だが、まず自分が神輿の上にいることを認識し、その楽さを捨て、降りて、一緒に腹に力を入れて走っていくべきだ。

広い視野で見るべきこと

時々ふと「あぁ、そうか」と思うことがある。頭ではわかっていても、理解が自分の感覚として身になった感じがするときだ。例えば、苛められるとつらいとわかっていても、実際苛められてみないと、どういう気持ちがして、どんな風につらいのかまでは実際にはわからない。

たまたま今日思ったのは、お金の流れだ。これは実体験で「あぁ、そうか」とわかったというわけではないが、何かが頭の中でつながった気がした。

お金の流れを正常に維持するには、輸出入の両方が必要ということだ。

日本に住む日本人から儲けている企業がアメリカにオフィスをつくりアメリカ企業に投資する場合、これは完全に日本のお金をアメリカに投資するという、日本のお金を外に出すことを意味する。買い、だ。あるいはヨーロッパの車やブランド品を好んで輸入する。ということは逆に、アメリカや他国からお金を回収する企業が必要になる。例えば日本に石油やダイヤのような埋蔵資源があれば、それを売ることでお金を回収することができる。日本にはそういう資源はないので、何か別の売るものが必要になる。だから、車や電化製品といった工業製品をつくって輸出し、売っているのだと。こっちが、売り。

資金が与えられた人にとって、売るのと買うの、どちらが難しいか?訊くまでもない。売るのに決まっている。
お金さえ与えられれば、買うのは誰でもできるのだ。子供でもできる。投資だって回収できない投資なら、子供だってできる。今後アメリカ国内のベンチャーキャピタルの数は減少する。景気がよければ誰でも投資家になれるが、景気が悪いとほとんどの人間が投資家になれない。回収が望めないからだ。だから、減少する。

ちなみに、これは投資家に限らない。景気がよければ、誰でもいいマーケッター、いいセールスマンになれ、誰でもいい上司、いい社長になれるのだ。景気が悪いとほとんどの人が、駄目なマーケッター、駄目なセールスマン、悪い社長、悪い上司になる。

この売りと買いについて、自分がアメリカに住んでビザのことで苦労してわかった。駐在員用のEビザは、日本企業が投資することで与えられるビザ。つまり、日本企業がお金を払って買っている。だから、ビザを売ったアメリカにとって、日本がその投資を回収しようがしまいが、どちらでもいいのだ。それに対し、Hビザというのは、個人が自分の能力を売って、アメリカ企業に給料という形でそれを買ってもらうものだ。だから、買ったものがアメリカの役に立たなければ途中で買うのをやめることもある。特に今のように景気が悪くて財布のひもが固ければ特にやめるだろう。だから、売る方のHビザの方が、買う方のEビザよりもはるかに難しいのだ。

海外でものを売ることができなければ、海外からものを買うことができない。円高で輸出が弱まれば、売りと買いのバランスをとるために、輸入、つまり海外への投資も縮小するべきだ。ところが実際は、円高の勢いで海外への投資ばかり考え、自分たちの何かを海外へ売ることを全く考えていない。国内でしか稼がない会社が海外へ投資するのはよくない傾向だ。必ずしも自ら輸出をしろということではなく、輸出する企業を支援するなどの道を確保するための援助をすればいい。自社のキャッシュフローのみを見るのではなく、もっと広い視野を持って考えることが求められる。

買うのは簡単で、売るのが難しい。だから、そういった買うことしか視野にない人間をつくるべきではない。売ることのできる人間が、その売った利益から、次につながる投資をするべきなのだろう。今、日本企業は買うことにリソースをつぎ込むのをやめ、何を売るべきかということを真剣に考えるべきなのではないだろうか?

2010年7月7日水曜日

ソーラーパワー市場

グリーンエネルギー上位ランキングはほとんどオレゴンだということを書いたが、オレゴンで盛んなのはソーラーパワーだ。例えば、Solexantが商業用の太陽光発電所を作るらしいが、そのほとんどはオレゴンだ。

ところで、ソーラーパワーの市場はというと、Solyndraが今年計画されていたIPOを延期していたように、すでに次のステージに入っている。価格競争が始まっていて、コンソリデーションが進んできている。既にナンバーワンのFirst Solarのコンペとして、TSMCの投資するStion、Q-Cellsの投資するSolariaと、台湾やドイツも参入してきている。外資が投資するだけ市場は大きいということだ。

つまり、ソーラーパワー、グリーンエネルギーとは、パイプラインなのだ。その整備のためには巨額の投資が必要になる。Solyndraのバックログは20億ドル以上らしい。小さなベンチャーはどんどんコンソリが進んでいくだろう。

シャープにもTSMC やQ-Cellsのように積極的に参入していってもらいたいところだ。

グリーンパワーに見る好循環

Santa Claraカウンティが、環境保護庁の Green Power コミュニティーランキングで一位だったらしい。他と比べるとトータルの電力使用量がダントツに多いため、Green Powerの割合は6%とそんなに高くなくても、一位になったということもある。しかし、Palo Altoも7位に入っていて、シリコンバレーが上位に食い込んでいる。

このランキングを見ておもしろいのは、上位30位のうち、ほぼ半分の14個がオレゴンなのだ。さらに言えば、上位10位のうち、2つがカリフォルニア(シリコンバレー)、7つがオレゴン、残り一つがワシントン。

オレゴンは、コロンビア川の豊富な水資源による安定した水力発電が、他州に比べて安価な光熱費を可能にしている。さらに、法人所得税は他の西海岸の州よりも安く、消費税は無い。もちろん、他の州同様、グリーンエネルギーに関しては州からの税額控除がある。企業にとっては、好条件が揃っている。

そしてオレゴンといえば、クラウドが出てきたときに、グーグルがデータセンターを設置していた。同様に、そのすぐ近くのワシントン州クインシーにマイクロソフトやヤフーがデータセンターを設置していた。最近では、ノースカロライナもグーグルやアップルに積極的に税額控除をし、Charlotteにデータセンタを置かせていた。IBMもノースカロライナに設置している。さらに今後、ウィプロ、ジュニパー、マイクロソフトもCharlotteにデータセンターを設置するらしい。やはりデータセンターは、税制優遇措置をしてくれるところにたつのだろう。

またオレゴンには、インテルの世界最大の工場や大学と共同のR&Dセンター、それに伴う大きなコミュニティーがある。ちなみに、米国の再生可能エネルギーの最大購入者はインテルである。そういえば先日インテルがシリコンバレーのデータセンターを売っていたが、これもその分オレゴンに増設したのだろうか?

こうした土台があるが故にソーラーパワーの産業が広がったのであろう。その結果、大企業データセンターを設置して集まってきて、さらに産業が拡張される。好循環だ。

こういう好循環ループを作れるといい。

2010年6月23日水曜日

理系離れ

日本でも理系離れと言われるように、アメリカでも理系離れが進んでいる。理由はいろいろあるだろうが、その中でも最近気になることが二つある。

一つは、就職後の賃金の問題だ。特に製造業の賃金がサービス業や金融業に比べて低いということがあるだろう。賃金はいくら儲けたかで決まるものであり、設備投資などの大きい製造業では利益率は小さくなる上、技術的に良いものを作ったらその分儲かるものではないからなのだろう。残念ながら、儲けを決めるのは、それが技術的に優れているかでなく、客が欲しいものをいかに売ったかなのだ。逆に、技術的に優れすぎていて難しすぎると、大多数から敬遠されてしまい、もっと単純なものを強い企業が作り出し、その波につぶされてしまう。日本はそういう経験が多数あるのではないだろうか?

二つ目は、電気電子や情報系の技術はかなり進歩してきたため、新しく入るには最初に勉強するべきことが多すぎるが故にハードルが高くなってしまっていることだ。バイオテクノロジーのようにこれから進歩していく技術ならば、学生がこれからでも入りやすいに違いない。今まで増やしてきた電気電子情報系の学科の数を減らし、バイオ分野を増やしていけばいいだろう。

とはいえ、やはり一番の問題は賃金だ。工学系の学費は文科系よりも高く、レポートの数も多い。将来の賃金がそれに見合わなければ当然工学系を選ばないのは当然だ。

学生の理系離れを心配していかに科学が面白いかを説明するよりも、まず賃金が適正かを見直すことが先決だろう。


2010年6月22日火曜日

精神一到何事か成らざらん

人間にとって何が大切か?人生にとって何が大切か?悩みは尽きない。

苦しく悲しい人生よりも、楽で楽しい人生がいいのだろうか?そう単純なことではないだろう。苦しみから立ち上がるために努力をすることで成長するが、その状況ばかり続いたらもたないかもしれない。つまり、どちらも必要なのだと思う。

苦しみ、悲しみ、楽だ、楽しいという感覚は受け身であり、それに対して能動的な行為が求められるはずである。自分の理想や望みを成し遂げようという意志、その意志に沿った行動が求められるのだ。

精神一到何事か成らざらん

自らの意志をもって何かを成し遂げる。それが人生かもしれない。

またシンガポール発見

今日またシンガポール関係のものを見つけた。

OMAPグループでlow power management技術のマネージャだった人間が、シンガポールのA-Starという会社に入った。A-Starはシンガポール政府のもつR&D機関のようだ。

これはこれでおもしろい。OMAPは買ってくれる会社も無いためすでに捨てられており、フェードアウトするのを待っているだけだ。その度重なるレイオフで、パワーマネージメント技術も特にインドでかなり広く出回っているが、シンガポールには入っていなかった気がする。

シンガポールがアグレッシブになってきており、興味が湧いてきた。

2010年6月17日木曜日

IPをインテグレートするためのツール

IPを作ったらインテグレートしなければならない。このためのツールが進化するだろう。

AMBAのような一般的なインターコネクトはツールがうまくやってくれたりするが、特定のIPやサードベンダのIPはまだ手動か特定のツールが必要だ。SOPC Builderは便利だが、独自内部バスというのが使いにくい。コンポーネントを自由につなげるCypressのPSoCの方が簡単でいい。

こういったFPGAやCPLD向けのツールが改善され、中小規模のチップには使用されていくのだろう。自分でつないでみたチップのモデルを使ってソフトのプログラミングをし、それで実際の動作確認までできればかなり効率もよくなる。さらにボードまで取り込んでやれればもっと都合がいい。

こういったツールを提供していくことが鍵になるだろう。

2010年6月16日水曜日

IPベンダの行く末

かつて、ASICベンダにとって、自社ファブのライン確保による安定した供給、豊富なIPポトフォリオが売りだった。ところが、ファウンダリが自社ファブの価値を無くし、多数のIPベンダがその価値を奪った。自社ファブでしか製造できず、独自開発のためすべてのIPを揃えるのに時間のかかる上、ライブラリの狭さによる制限は、ASICベンダにとって足かせにしかならなくなってきた。顧客は、IPやライブラリ、サポートツールやTATテーブルを作り、この電源はうちのボードにはないといった議論をしながら、ベンダ比較をするのである。

とはいえ、IPベンダだって楽ではない。自分だけで幅広いポトフォリオを揃えるというのは難しいのだ。だからSERDESのような多様な仕様に使い回せる汎用性の高いものを作り、レーンを増やす、スピードを上げる、パワーを落とすといった具合に改良していくのがいい。規格ものや特定用途のものは、コンペも多いし、次につなげにくい。本当に先を読む目のあるトップがいないと、次にあれを作ろうとし、やっぱりこれを作ろうし、と右往左往しているちに、つぶれるか吸収される。

CMOSファブがファンダリに集約されたように、CMOSプロセスも集約され、3社くらいに絞られるのだろう。CMOSベースIPのプロセスの種類もそのプロセスと同時に集約されるので、次の32nm/28nmのIPで勝てたところが最終的に生き残れるところなのだろう。最大の激戦区はSERDESだ。次にWirelessのAFE、センサーといったところだろうか。

生き残れなかったところは、どうなるんだろう?

2010年6月15日火曜日

Inphi IPOとシンガポールオフィス

Inphiのシンガポールオフィス新設とIPOのニュースから、Avagoを思い出した。去年IPOしたAvagoもシンガポールに人を動かしていた。

両方ともテレコムのAnalog/Mixed Signalという似た分野であり、またどちらもアジアの開発拠点としてシンガポールを選んでいる。シンガポールの物価はアメリカ並みであり、コスト的にはあまり貢献しないが、英語圏のアジアというところが米国企業のアジア拠点に適するのだろう。

外資系企業の工場における賃上げの嵐に苦しむ中国、思惑通りそれが少しでも中国の内需拡大につながればさらなる中国の発展がみられるのだろう。それは、中国に限らず近隣の東南アジアの発展にもつながっていくのだろう。

2010年6月12日土曜日

みんなの力

一人一人の力なんて限られている。でも、皆が集まれば、大きなことができる。世界も変えられる。
そういう歌を思い出した。


一人の小さな手 何もできないけど
それでも 皆の手と手を合わせれば 
何かできる 何かできる

一人の小さな目 何も見えないけど
それでも 皆の瞳で見つめれば
何か見える 何か見える

一人の小さな声 何も言えないけど
それでも 皆の声が集まれば 
何か言える 何か言える

一人で歩く道 遠くてつらいけど
それでも 皆の足踏み響かせば
楽しくなる 楽しくなる

一人の人間は とても弱いけど
それでも 皆が皆が集まれば
強くなれる 強くなれる

2010年6月11日金曜日

IP開発の方向

水平分業型の半導体産業の中で、IPプロバイダになろうとしてうまくいかなかった企業は数知れない。今はEDAベンダやFPGAベンダ、ファンダリがIPベンダとパートナーシップを組んで提供しているが、CadenceのDenali買収、SynopsysのVirage Logic買収のように、パートナーシップだけでなく、EDAベンダが取り込み始めた。digital IPはファンダリ、プロセスに依存せず、ツールさえサポートしていればいいので、EDAベンダが取り込むのはたやすいだろう。ユーザにしてみれば、EDAベンダが簡単に使えるように彼らのツールにうまく組み込まれたdigital IPの方が、小さいIP ベンダのIPよりも開発の手間がかからず、しかも他社によってすでにテストされたIPで信頼性が高いわけで、そちらを選ぶのは明らかだ。

一方、Analog IPのようにプロセステクノロジーに依存するIPはそうはいかない。プロセス毎に提供される必要があるので、ファンダリはもちろん、自社プロセスをもつ各企業がデザインする必要がある。逆に言えば、各自社IPを開発するコストが、自社プロセスを開発するコストにさらに上乗せとなり、かなりの数が見込めなければ、費用だけでなくスケジュールの面でもコストペナルティーとなってしまうのだ。つまり、自社プロセスの開発の負担を増やすことになる。

プロセステクノロジーの数自体が以前よりも減り、これもマスクコストや設備費の増大により、自然淘汰されているのだろう。だから、デジタルにおける自社ファブはかなり減ってきた。ペイしないので、手を引いたのだ。このことからも、Analog IPもまた自然淘汰されることが予測される。このことから、各大手ベンダーが開発するものは、汎用IPとなりにくい製品に特化されていくだろう。

IPextermeのような企業がIPの仲介業をしているが、IPを使うという業界の方向性にはあっているものの、汎用マイコンやAMBAのようなものでなくEDAベンダやファウンダリがサポートしていない特殊用途のIPに限られてくるに違いない。

こうしたIPをめぐる動きも、半導体業界の再編を引っ張る要因の一つなのだろう。

2010年6月3日木曜日

半導体業界

水平分散型半導体業界の先が、少しずつ見えてきたような気がする。

ファウンダリとメモリはほぼ決まっている。アセンブリは中国の会社が伸び、その他は自然淘汰されていくだろう。大規模ASICのみが残り、残りはCPLD,FPGAになっていくだろう。アナログですら、自然淘汰されていくだろう。高電圧やMEMS等の特殊プロセスを必要とするもののみがディスクリートとして残り、CMOSでできるアナログは、IPとしてしか残らないだろう。そのIPも、ディジタルIPはEDAツールベンダが抱え込み、アナログIPはASICベンダとFPGAベンダのみが持つことになる。同じファンダリを使ったとしても、プロセスが違うので両方必要になる。今はファンダリもIPを抱え込んでいるが、小規模ASICの数が減れば消えるだろう。プロセッサは、ARM, X86,MIPSになっている。

どこに行こうか?

2010年6月2日水曜日

半導体市場の変化

半導体の市場そのものが変わってきたのだ。

IBM, インテルが引っ張ってきた時代は、メインフレームやパソコンといった特定のハイテク機器やそのネットワークの進化に沿って、半導体も進化してきた。高集積化によりパフォーマンスの向上と低価格化を実現するという方向は明確だった。ここで問題になったのはムーアの法則のような技術的なことよりも、その市場がハイテク機器という特殊ユーザ向け市場から、一般ユーザ向け市場に裾野を広げたことなのだろう。これはパソコン機器等が大きく低価格化していることから明らかだ。その市場の変化に半導体ベンダが対応しなければ生き残れないのだ。

今まで最先端技術の開発を誇りに思ってきた技術者達は、その低価格の量産品開発に抵抗を感じているのかもしれない。でも考えてみれば、低コスト下の波に逆らえず、既に製造工場は中国や東南アジアにシフトしている。設計者もインドや中国にシフトせざるを得ないだろう。その結果、米国や日本で仕事がなくなる人間がでてくることになる。

それを回避する方法の一つは、安いレイバーコストに対応するためにオートメーション化を推進するためのプラットフォームの開発をすることかもしれない。その開発に人的リソースを投入し効率化を図れば、今はともかく、将来中国やインドのレイバーコストが米国や日本並みになったときでも低価格化に対応できる。

例えば、今は一つ一つ手でRTLを書いてインテグレーションしているが、SOPCBuilderやPSoCのようにRTLはかけなくても簡単にできるツールを開発すればいい。Place and Routeに関しても、FPGAを使えばクロックのアラインは手軽だし、大規模でなくかつ高速でなければ簡単に配置配線もできるのだから、FPGAのアーキテクチャを改良していけばいい。

そういったコアの開発のみ残し、あとはそれらを使うユーザ側のサポートということになるだろう。今週のHPのレイオフと内容は同じだ。シスアドはなくし、カスタマサポートをとるという。

これも一種の自然淘汰なのかもしれない。

2010年6月1日火曜日

変化よりも進化

変化と進化。この違いは何か? 変化とはただ変わることであり、進化とはステップアップを伴う変化である。

ダーウィンは、変化論とは言わず、進化論という。彼の理論では、それは進歩を伴う変化だったからだ。人間は、自分たちは変化してきたとは言わず、進化してきたという。文明も進化してきたという。進歩することを誇りに思っているからだ。

変化すれば、何かを捨てて、あるいは失って、代わりに何かを得る、もらうことになる。何かを得ることはいいことだが、失うのは難しい。本能的に拒んでしまう。だから、その得るものと失うものを天秤にかけて、同じ重さならば、変化しないことを選んでしまう。理由は、今あるものは確実であり、得られるというものの方が不確実だからだ。これが進歩ならば話は違う。天秤は得られるものの方が重いということを示しているからだ。

その結果、ただ変化しろと言われると、拒絶反応を示す。進歩を伴わないのに、今もっているものを捨てることはできないからだ。ただ、今持っているものの価値がなくなるということを突きつけられれば、今を捨て、自ら変化を望むだろう。自分の過去や現在を否定することは、さらに難しいのではあるが。

人間は変化が嫌いなのではない。これは、ここまで進化してこれたことからもわかる。状況の変化に適応するために、常に進化してきたのだ。今も進化の時だ。過去を捨て、新しい進歩への一歩を踏み出そう!

2010年5月26日水曜日

自己防衛しすぎない

子供のとき喧嘩して親に怒られたとき「謝りなさい!」と言われ「私は悪くないもん」とか「○○ちゃんだって謝ってない!」と言い返したことはないだろうか?そのとき、「いいから謝りなさい!」とさらに怒られなかっただろうか?あるいは「先に謝った方が勝ちよ」と言われたことはなかっただろうか?

自分は悪くないから謝らなくていいんだとか、相手が謝らないんだから謝らなくていいんだと自分の中で謝らなくていい理由を作ってしまうのは、自分を正当化しているからだろう。謝るというのは自分が悪かったということを認め許しを請う罰の悪い行為であり、それを避けるために自己正当化するのだ。これが人間の本質のような気がする。

ところが私たちが子供の頃はとにかく謝ることを教育されたような気がする。親だって理由なんてわからないから説明はできないが、そう教育されてきたから自分も子供にもそうしたんだろう。

お互いが自己正当化して謝らない社会じゃ、争いが絶えず、その争いに勝つ強さを持った者が勝者となっていく。お互いが謝る社会ならば、自己正当化の必要はなく、争いを避けられる。謝るとなぜか自分が悪かったと思わされるから不思議だ。悪かったから謝るはずなのに逆の現象が起こる。でも、これはいいことだ。争った場合は両者とも悪いのであり、謝ったことで両者とも反省することが大切だからだ。お互いが自己正当化して争い続ける世界では反省しない者が出てくる。

自己正当化は自己防衛本能の結果であり、その点では自己主張と似ていると思う。自己防衛しすぎると周りとの摩擦と争いを生む。人間だけではない、国もだ。周りを信じることで自己防衛しすぎないことがうまくいくこつなのではないだろうか?

2010年5月21日金曜日

変化のエネルギー

人間は変われないわけじゃない。実は変わりたくないだけなのだと思う。

変わるのにはものすごいエネルギーがいるから。

化学変化と似ている。大量の熱エネルギーや光エネルギーを吸収することで化学変化を起こす。それだけのエネルギーを作るのがたいへんだから、今のままでいいなら、敢えて変わりたくないのだろう。

そういうときもあると思う。でも、今は、変わらなければならないときだと思うから、自分のエネルギーを精一杯つぎ込んで変わりたいと思う。

2010年5月20日木曜日

なんでもトライ

世の中が暗くなってくると、「どうせ○○しても無駄だ」ということを言う人が増える。バブルで景気がいいときには「絶対に成功する」という言っていた人たちが、世の中の景気が悪くなった途端ネガティブになってしまう。なぜだろう?

実は逆の方がいいのかもしれないと最近思う。景気がいいとき程慎重に注意してやらないと、サブプライムローンのように調子に乗ってしまうとしっぺ返しをくらうことになる。そして景気が悪いからこそ、できることは何でもやるぞという意気込みでトライすることが大事なんだと思う。

つまり、景気が良くものすごい勢いで転がっているとコントロールがきかなくなるのでぶつからないよう速度を遅くするなりしてコントロールする必要があり、景気が悪く止まってしまったときこそ前に進むためのエンジンを思いっきり吹かした方がいいのだ。

「どうせ」は禁句。やれることがなんでもトライしてみよう。

壁を取り除けばいい

なぜ人間は壁をつくるのか?

例えば「わかってもらえない」「自分とは違うから」と、まるで壁が存在するかのように言い、実は自ら壁を作っているということに気づかない。「日本はガラバゴスだ」というのも自ら壁を作っているにすぎない。

本当は「わかってほしい」し、「同じことを共感したい」し、「世界の仲間になりたい」のに、受け入れてもらえないことを恐れ、その恐怖から逃れるために自分から壁を作って隠れているんだと思う。

受け入れてもらえないときの悲しみを受け止める勇気さえ持てば、壁など作らずに飛び込んでいけるのに。なぜわざわざ傷つくかもしれないのに飛び込まなければならないのかという人もいるかもしれない。答えは簡単だ。受け入れてもらえた場合の喜びは何物にも代え難いものだからだ。

2010年5月11日火曜日

オシロスコープのセミナー

Tektronixが、昼食込みでオシロスコープのフリーセミナを開催している。しかもiPadがあたるらしい。求職者向けのMLに広告を送っているのに驚いた。これはおもしろい。行く人はけっこういるだろう。

実際に状況を見ると、来週のダラス、デンバー、サンディエゴはまだ埋まっていないが、再来週のサンタクララはすでに満席状態だ。やはりサンタクララにはエンジニアの絶対数が多いのだろう。

こういう参加者の状況が、実際のその地域の現状を反映しているのかもしれない。そして、その差が、早ければ来年か再来年には現れることになる。

こういった積極的なアプローチは見ていて気持ちがいい。好感が持てる。

2010年5月10日月曜日

Googleのロゴ

googleのホームを久しぶりに見たが、あれ?う〜ん。。。これって正式なロゴ?

いつもロゴの所のデザインがいろいろ変わって、すごく楽しい。いつか私もデザインしてみたいと思ってしまう。裏返しにしたり、合わせ鏡にして移し込んでみたり、もっといろいろして試してみればいいのに。コンテストとかあったらチャレンジしてみたい。

それはさて置き、今日の画面、前より白っぽい気がする。全体的にロゴの字が細くなったような気がする。最初のGは右の開きが大きくなるように右上が上がり右下が下がったような気がするが、気のせい?ブルーとグリーンも少し明るいトーンになったような。。。特にグリーンがかなり明るい色になったような気がする。最後のeも前より左に傾いたような。。。

正式なロゴでなくって、今日のデザインなのかしら?それとも、ただの気のせい?

でも、やっぱり画面がすごく白っぽくてのっぺりとした気がする。

Problem Solverは楽しい!

今までの仕事の中で、自分が何を最も楽しいと思ったのか?

いろいろ話しているうちに思い出した。
誰かが、シミュレーションがフェイルする、デバイスがボード上で動かない、テストプログラムがパスしない、ソフトウェアが動かない、と困っているのを見て「こうすれば動くわよ」と解決してあげるのが快感だった。誰かが困っているのを解決して喜んでもらえるのがうれしかったし、頼りにされるのが誇らしかったのだ。「○○さんに聞けばわかるよ」と言ってもらえるのが最高の楽しみだった。

仕様書を自分で書いたとか、これだけの規模のデザインをしたとか、これだけコストをセーブしたとか、何かに貢献したとあまり感じることのできないことよりも、他人に直接感謝され、頼られることがうれしかったのだ。

なんでこんなに単純なことを考えてみなかったのだろう?

これこそ、プロブレムソルバーじゃないか!

2010年4月30日金曜日

為せば成る

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり

最近よくこの言葉を思いだす。いい言葉だと思う。

2010年4月27日火曜日

We are the world!

今日はとってもうれしいことがあった。

私は補聴器機能のついた同時翻訳機をつくりたいとずっと思っている。
今日たまたまその話を人にプレゼンしてみたら、すごくいい、やるときは投資するし、協力するからって言われた。名前を決めるように勧められた。
たった一人でも、賛同していいと言ってくれる人間のいることがなんとうれしいことか!


これがそのプレゼン。












同時翻訳機という新商品のプレゼンをするマーケティングという仮定。

これがプレゼンの流れ。
1. なぜ会話が大切なのか
2. 同時翻訳機の効果
3. 同時翻訳機の製品説明
4. 同時翻訳機が世界を作る






なぜ会話が大切なのか?






「人間であるということ」
人間は言葉、直立歩行、道具の使用によって進化してきた。その進化の歴史において、会話が紛争の和解や国際関係の改善という大切な役割を果たしてきた。
「今であるということ」
技術が距離という問題を解決した結果、直接会って話をすることになった。ところがそのことが、言葉という新たな問題を浮き彫りにした。




なぜ同時翻訳機が必要なのか?








人間は「知らない」ということに恐怖を抱き、わかっていることは安心する。未知のものを危険物とみなすのは、動物の自己防衛本能からくるものである。だからわかっているものは安全であるので、受け入れるのだ。
通りすがりの他人が言っていることがわからないと、自分の悪口を言っているという猜疑心にかられることすらある。理由もなく疑う。
相手の言っていることがわからないと不安になり、自分の言っていることを相手が理解しないとなぜわからないのかとイライラする。言葉の問題だと思ってしまうと、途端に伝えることを諦める。もういいとばかりに相手が諦めたとき、受け手はとても嫌な思いをしてしまう。本当に言葉の問題なのか?実は違う。相手に理解してもらおうという気持ちがないだけのことだ。
同時翻訳機で通りすがりの他人の話の内容を知ることが重要なわけではなく、「自分は皆の話を理解できるという認識を持つこと」が大切なのだ。知ることができないのではなく、知ろうとしないだけなのだと思えば、不安や恐怖はない。
言葉の壁による不安、猜疑心、言葉の問題のせいにしてしまう気持ち、そういったものをぬぐい去ることができれば、世界は一つになれる。






同時翻訳機について







1. 耳にかけると母国語に同時通訳する
2. 言葉には喜怒哀楽と言った感情がのるが、空中の実際の会話には影響しないため、その感情の乗った声自体も相手に聞こえる
3. 一年寿命バッテリの小さい製品
4. 好きな声や好きな翻訳スピードに調整可能



同時翻訳機で世界を作ろう!
(ここでyoutube のWe are the worldを聞く)




だから今日はずっと「We are the world」を歌っている。

2010年4月23日金曜日

問題解決のテーマ

では、どんな問題を解決しようか?

「なぜスケジュールに間に合わないんだ?」とよく言われることがあるだろう。
スケジュール自体に問題がある部分もあるだろうが、ほとんどの部分が「予期せぬ問題」により見積もりより長引いているのだ。何が予期できなかったのか?

「なぜコンペの方がパフォーマンスがいいんだ?」とよく言われることがあるだろう。システムレベルでモデリングはしていないが、各インターフェースやクロック周波数を、そこ自体が最大スピードに対応するように決めたのになぜか?例えばメモリのインターフェースのスピードは十分なはずだとか、CPUのクロックは十分なはずだ、といういうように決めたのに、なぜか?

この辺から解決してみようか。

2010年4月12日月曜日

Problem Solverになろう!

コンサルタントは問題を解決するかもしれないが、解決しないかもしれない。それに対し、Problem Solverは必ず問題を解決するのだ。

今半導体の開発における問題を考えてみた。
1.大勢での開発によるコスト
2.大勢で開発するために起こるコミュニケーションの問題
3.大規模回路であるためにかかる検証期間拡大によるサイクルタイム長期化
4.大規模回路であるために問題箇所が見つけにくくサイクルタイム長期化
5.大規模回路であるためにすべてを検証しきれず、バグ修正のためのテープアウトのし直し
6.システムモデルシミュレーションで予想したパフォーマンスがハード実装後に出せない問題
7.ハードで推測検討したパフォーマンスがソフト実装後に出せない問題
8.ディープサブミクロンプロセスにおける大規模回路であるためにタイミングクロージャー期間の長期化

さて、これらの問題を解決していこう。
1. Design IP, Verification IP(VMM), Verification Environment の再利用化 ー 開発人数の削減、開発期間の短縮、不確定要素の除去によりコミュニケーション問題を低減、再利用であるための経験値の向上からくる効率化
2. Assertion, Randomization, DPI-C ー アサーションにより問題箇所を素早く抽出、テストをオートメーション化、ファンクショナルカバレッジの向上、C言語記述によるシミュレーション時間短縮
3.インターコネクトバスモデルによるアーキテクチャパフォーマンスの検討 
4.フロアプランと物理レイアウトを考慮したアーキテクチャの検討 ー レイアウトTATの短縮

まずはこの辺りから始めるめてみよう。

2010年4月11日日曜日

今求められる者

今皆が苦しい。それを見ないようにしている人もいれば、突きつけられて見ざるを得ない人もいる。逃げられない人は、苦しいから必死に考える。

自分はどうしたいのかといろいろ考えた。でも、実はその前に考えることがあった。「今必要とされる人間とはどういう人間なんだろうか?」だ。

それは実は単純なことかもしれない。世界中が苦しいから、この状況を打破できる人間なんだろう。こうすればいい、あれはだめだと言うだけの評論家でなく、実行できる人間だ。たぶん一人で素早く今の世界を救える人間なんてどこにもいない。だから、一人一人が立ち上がって必死で前進していくことが大切なのだ。必死で前進するってことは一見かっこいいことではない。でも、例え泥だらけになっても、がむしゃらに必死に前に進もうとする姿が実は一番美しいのだ。人間はそういう姿に感動するの生き物だからだ。そうして前進しようとする人間に、周囲は同調する。

苦しいと力やエネルギーが湧いてこなくなり、スローになってくる。するとますます前進できなくなる。これが悪いループ。だから、これを断ち切るために、まず、力とエネルギーを満身に込めてえいやっと前進しようとすればいい。そこから前に進めるから。

2010年4月10日土曜日

差別化の難しさとは?

なぜ差別化が必要と敢えて言う必要があるのか?

同じようなものを作ったって売れる。特に必需品ならば絶対に買う。例えば喉が渇いたとき、全く同じ水が全く同じに売っていたとする。喉が渇いているのでどちらかを買う。差別化が必要な理由は、そこで自分の製品を買ってもらうためだ。
あるいは必需品でなくても、ちょっと変わったものがあれば買ってみたいと思う。そういう購買意欲をかきたてるためだ。それはわかる。

実際にものを作っていると、○○は△△の機能を入れたから、「うちも」入れよう。と、すぐに他人の持っているものは入れたくなる。これでは結果的にできたものが似たり寄ったりになってしまうので、自分のを選んでもらうために差別化が必要になるのだ。

では、実際にものを作るときに差別化をしようと思うと何が難しいのか?他社にないだろうと思う機能を足すのは実は難しくない。なんて自分たちはすばらしいんだろうと自己満足に浸れるからだ。難しいのは、安く早く作るために機能を入れないことなのだ。その機能がないために売れないなんてことになるのが怖いのだ。だから、入れられる機能はなんでも入れておいてくれということになってしまう。簡単に言うと、皆がもっているのに自分が持っていないのが怖いのだ。

足し算には満足感が得られ、引き算には恐怖感がある。ここに、敢えて「差別化」を唱える意味があるのではないだろうか?

2010年4月9日金曜日

ハードとソフトの距離

Macをセットアップした。
VMware Fusion & CentOS5 & Quartus & ModelSim AE & gcc4.4 & SystemC 2.2 で、SystemVerilogとSystemCが動く環境はできた。

ついでなのでAltera SOC Builderを試してみた。インストールからModelSimを走らせて波形を見るまで一日でできたので、よくできていると思う。パズルのように、AlteraのAvalon Fabricでつなげるのだが、これを理解していないと時間がかかる。ただ、マニュアルでHDL内にインスタンシエーションしシミュレータを流しながらデバッグするよりは遥かに速い。

SystemVerilogとSystemCの始めやすさを単純にセットアップの点からだけ比較すれば、SystemCの方が断然楽だ。Verilog to SystemVerilogとC to SystemCという言語を考えると、もっと複雑になる。例えばアサーションやVMM/OVMといった検証について考えるとSystemVerilogは今までのVerilogとはかなり違ってくる。言語の違いはすぐに飲み込めるし使えるので大したことではなく、問題はツールのセットアップのしやすさなので、この点ではSystemCが断然使いやすい。

なぜソフトウェア言語はフリーで簡単にセットアップできるのに、ハードウェア言語は有料でしかも手間がかかるのだろう?それでお金を儲ける仕組みができてしまっているので、誰かが無償提供してそれを壊さない限り続くのだろう。

何年もハードとソフト間の溝を埋め、平行開発するため、協調検証の方法が両側から進められてきたわけだが、なかなか進まないようだ。SystemVerilog & Cという組み合わせでどこまでできるか見てみたいと思う。

2010年4月8日木曜日

Nuance Communications

Nuance CommunicationsがシーメンスヘルスサービスのCEOを雇って、ヘルスケアビジネスへと方向転換した。これは私にとっては一大事だ。

私のやりたい音声認識とヘルスケアの分野であり、ヒアリングエイド最高峰のシーメンスヘルスからのCEO、しかもIPhone,iPadへの進出とあっては、かなり私のやりたいこととかなりかぶる。のんびりしていられない。

ところでDragonSpeech DragonDictationを試すと、まだ使おうという気にはなれないレベルだ。SafariのSpeechもいかにも機械らしい話し方で聞きづらい。聞いていると、各単語の発音よりも、全体の流れによるイントネーションの方が大事ということがよくわかる。
このフリーアプリへの展開で、かなり品質が改善されることが期待される。

2010年4月7日水曜日

起業のモチベーション

なぜ起業をするのか?

成功によって、自分の名誉、財産、地位を得るために起業する人が多いのかもしれない。そういう場合はCEOとして周りから尊重され羨ましがられ、最終的に会社を売ってお金を得たとしても満足なのだろう。景気がよく経済が成長しているときは、そういった個人の私利私欲を満たすだけの余裕が社会にあり、各個人がその利益を得ようと競えばいい。では、景気が悪いときはどうか?社会には個人に利益を分散するような余裕はないので、個人の私欲は満たされず、満たされないことで意欲が低下し、マイナスのスパイラルへと突入してしまう。

では、景気が悪くなり経済が停滞•衰退している状況下での起業は、なにを目的とするべきなのか?社会貢献を目的としなければならない。人間が他人のために頑張れることは、個人の私利私欲のために頑張れることを遥かに凌ぐ。おそらくこれは、(1)他人に認められることが自分で自分を認めることよりも遥かにうれしいとか、(2)他人に頼られることがうれしいとか、(3)自分の評価というのは結局他人に映った自分だという、人間の性質に依存するのだと思う。

成功した起業家とは、社会のことを考えていた人たちなのかもしれない。例えば戦後の日本から這い上がろうとした人たちは、個人の成功よりも日本の再興を考えていたのではないだろうか?本人に聞いてみないとわからないが。

そういったソーシャルアントレプレナー達が活躍する時代なのかもしれない。

2010年3月22日月曜日

やりたいことたくさん

先週の火曜日にフォーンスクリーニングがあった。結果はぱっとしないと思ったが、候補に残れば人事から来週連絡があるという話だった。ところがどういうわけか今日「今テープアウト前で忙しくてインタビューができないから、4月5日以降に人事から連絡させてもらう。前もって連絡しておきたかった」というメールが来た。なぜ会おうという気になったのかは不明だったが、思い出してみれば、以前レイオフのときにインタビューに行ったときもできが悪くてだめだと思ったのにオファーをもらったことがあった。皆パーフェクトに答えられる人を望んでいるのではない気がする。多分一緒に働けると思える人を選んでいるのだろう。

とにかく、インタビューに進めたのは素直にうれしい。オースティンというところに初めて行くのも楽しみだ。

レジュメデフレ&仕事インフレのためにフォーンスクリーニングに行くのがまず厳しい状況なので、まずスクリーニングやインタビューに行ったものは確実に射止めていかないといけない。

どうも企業側があまりリクルータを使いたがっていないような気がする。知り合いにも、すごいリクルータはマージンをとるので今は避けているといわれたが、どうやらウェブサイトのサーチエンジンを使ってスクリーニングをかけているようだ。人間の仕事を機械に奪われているのは旅行代理店やITエンジニアだけではないようだ。

こうして仕事を探していると自分にはやりたいことたくさんあったことに気づく。今の年齢のままあと200年生きられたら楽しいかもしれない。

2010年3月20日土曜日

共感コミュニケーション

コミュニケーション能力が高いというのはどういうことか?

結論から言うと、他人と共感できる確率の高い人間のことだと思う。常に100%共感できる人が一番コミュニケーション能力が高いと言えるだろうが、そういう人間は存在しない。

共感するためのスキルとして、自分の意思を明確に相手に伝えるとか、相手の言うことを理解するとかいうことが必要となるのだ。そしてそういう人は、得てして相手のことを受け入れる包容力の大きい人が多い。

普通のコミュニケーションでは、ターゲットとなるコミュニケーションの相手というのがいる。まずその相手に心を開かせることから始まる。一番簡単な方法は相手との共通点を見つけることだ。これは人間に安心感を与える。次に相手の言っていることを理解しようとする。これによって相手はこちらの話も聞くという体制を作ってくれる。そうして相手が受け入れる体制を作り、相手がどういう人間かを理解したところで、相手の反応を見ながらこちらの意見に共感してもらえる方法を模索することになる。このプロセスは一方だけでなく両者が同時に行う必要がある。

昔のセールスはターゲットの顧客に対し、そのコミュニケーションスキルを使って売りこみをしてきたプッシュ型だ。だが、ネットマーケティングは違う。顧客を絞るのでなく、自社のブランディングをすることで不特定多数の顧客を呼び込み、自社製品に関心を持ってくれた顧客に勝ってもらうプル型だ。人間は売り込みにきたものに対しては警戒をしていきなり心を開かない傾向にあるが、自ら興味をもったものに対しては警戒をせずいきなり心を開いている傾向がある。

ネットのコミュニケーションはそのプル型だ。自己ブランディングをし、それに興味を持ったり共感してくれた人間のみを対象にするプル型なのだ。プル型の利点は、相手に心を開かせて安心させるところが必要ないことだ。最初からこちらの話を聞く体制を持っている。だから自然と共感してくれることが多い。しかし、あまり個性的な意見を言っているサイトに対しては、非常に強く反発し、攻撃さえする。理由は明らかだ。相手がどういう人間かをお互いに理解しようとしてはいないし、共感しようとさえ思っていないからだ。それも一種のコミュニケーションだろう。おそらく犬も威嚇をしたりしっぽを振ったりして自分の感情を表現する。

共感ということは、言葉という高度な道具を持った人間のみが持つ高度なコミュニケーション能力なのだと思う。言葉により、より相手を理解したり相手に理解してもらえたりするのだから。そして、相手に受け入れられることで得られる安心感という感情が、その共感を必要としているのだと思う。

2010年3月19日金曜日

精神的に自立しよう

日本人は幼く見られる。アジア人の中でも特に日本人は幼く見られると思う。なぜか?

私の周りの日本人を見ると、他人に対する依存心が強いと思う。自分の人生を自分で切り開こうとかいう以前に、すぐに「あなた(私のこと)が○○だから」と言い出す。自分がどうしたいとか自分はこうしたらいいと思うとかいうことを、自らの意思で言えない。「あなたはどうしたいのか?」と聞くと答えがでないのだ。自分がどうしたいかということを考えることすらしていないからだ。ただ、どこかで聞いたこととか読んだことに関してだけは、「こうすればいい」と答えがある。自分で考えた結果でないということに本人は気づいていないが。

例えば日本で働いていたとき、レビューのときに「次は何を学びたいか?」という質問にほとんどの人は答えられない。「何があるんですか?」と答えてくる。私が彼らの一人一人の次のステップのオプションを何日もかけて考え、「これがいいと思う」と言うと、「じゃあやります」と言ってくる。たいていのレビューでは、答えられない人はそのまま放置されているだろう。

身近な人間でも同じことだ。「○○したい?」と聞くと、「あなた(私のこと)がやりたいならいいよ」と答える。私は自分がしたいことは「○○がしたいけど、いい?」と聞くので、相手に「○○したい?」とは聞かない。しょうがないので「あなたはどうしたいの?」と聞くと全く答えられない。たまに「これがやりたい」と言いだすと思うと、思いつきや憧れで言ってみただけで、明らかに実際に考えていった答えではない。でもこれが典型的な日本人なのかもしれない。

育った環境からくるのかもしれないが、精神的に自立していないからだと思う。社会に守られて生きているため、受けるストレスの強さも全然違う。インターナショナルに認めてもらうためには、もう少し自立する必要があるかもしれない。

2010年3月18日木曜日

自分にできることを精一杯やる

自分にできることを精一杯やる。当たり前のことのようで、最近忘れられているような気がする。

なぜか?三つ理由があると考える。一つは「××だからできないんだ」と言い訳をして通ってしまうから。次に、手を抜いた方が楽だから。そして最後の理由は自分ができることが何かをちゃんと認識していないから。

一つ目の言い訳のことだが、昔はよく「言い訳をするな」と言ったものだが最近はあまり言わなくなった。実は、その言い訳の理由に対する許容範囲が広がったからだと思う。例えば「土日や祝日、休暇中だから」「子供の行事があるから」とかそういった理由は昔は通らなかった。「忙しいから」が理由になる場合すら今はあると思う。

楽という点に関しては、生活が豊かになったせいだろう。楽しても生きられるようになってきたのだ。

最後のことが今一番重要だと思う。最近は「自分ができること」が何なのか真剣に考えない。それは、「自分ができないこと」を認識していないからだ。
実は「自分ができないこと」を認めるのは人間には難しい。自己否定の感情を伴うからだ。だから自分でなど証明しない。他人によって証明されるまでは、できるかどうかについてあまり考えようとしない。しかし、「自分ができないこと」に直面させられたとき、人間は本気で自分にできることを考え、「自分にできること」を必死に探す。

挫折した人間というのは「自分にできないこと」を認めさせられる。だから這い上がるため、自分にできることに必死になる。多分挫折を経験した人間が強い理由はそこだと思う。ぬるま湯に浸かっていると、必死になるのは難しくなる。たまにはどん底に落ちた方がいいのだ。

2010年3月17日水曜日

人とのコミュニケーションとは

人に必要とされること、人に頼りにされること。これらは人間に不思議な甘い感覚を与える。さらにその期待に応えられたりすると、満足感さえ生じる。

特に動物の本能なのだろう、男性は女性に頼られると、たいていうれしくなる。その甘美に酔いしれる人も多い。あるいは、上司は部下に、親は子供に、先生は生徒に頼られると非常に喜ぶ。性別のことも含めこれら特定の場合には、頼られる側が頼られるべきであると思っているところがポイントなのだ。つまり、頼られるべきであるということが潜在的なプレッシャーになっており、逆に頼られなかったらどうしようという不安もある。頼ってもらったことでそのプレッシャーから解放されると同時に達成感に近い安心感が生まれるのだ。

報連相という言葉があるが、上司も先生も親も、自分に忠実でよく話しかけてくる部下がかわいいものだ。そして、メールでやりとりしただけよりも電話、そして電話で話しただけよりも直接顔を合わせた方がだんぜん印象がよくなる。。私はこれがコミュニケーションなのだと思う。
ネットの発展は、人的つながりというネットワークを発展させるが、コミュニケーションは発展させないことをはっきり認識しておくべきだろう。特にアノニマスで好き勝手を言うようなサイトは、コミュニケーション能力を低下させる可能性がある。ここのように自分の好きなことを一方的に書いていることはコミュニケーションとは言わない。例えネットで顔と名前を出してもだ。人とのコミュニケーションとは、相手のことを考え、相手の気持ちになってする双方向の会話のことだ。コミュニケーション能力を上げるには、実際に人と話し、自分の言葉や表情に対する相手の反応を見て、相手のことを考えるということを学ぶしかない。

アメリカの教師は給料が非常に安い。給料が安いからいい人が教師になろうとはしない。鶏と卵だ。学校とはこのコミュケーションを学ぶ上で最も重要な場所であり、その教師の給料が安いということは問題なのではないかと思う。

2010年3月16日火曜日

悔い改めるとき

仕事を探していると、自分の足りない部分に気づかされる。どうして普段はあまり気づかないのだろう?これでもかというくらい、自分と向き合っているからだろう。

実は以前のレイオフから2年間、仕事をしながら次のキャリアについて転職についていろいろ考えていた。レジュメも書いていた。それなのに、こんなにも自分と向き合っていなかったのかと驚いた。自分のことを考えていたのだから自分を見ていたことは間違いない。だが、自分のネガティブな部分には向き合っていなかったのだろう。

こういう時間は、人生にとって貴重だ。挫折が人間をたくましくするように、今の時間が自分を成長させてくれる。

一つ一つは小さなことだが、例えば、相手が失礼だったり態度が悪いと、今まで礼儀正しくしててもバカバカしくなってそれをやめてしまう。でも、たぶんそうじゃない。自分が相手にも礼儀正しく振る舞ってほしいのならば、あくまでも自分は礼儀正しく振る舞うべきなのだ。「自分をこう扱ってほしい」というように相手を扱ってあげることが大切なのだ。こんな当たり前のことがなぜわからなくなったのか、それとももともとわかっていなかったのか?いずれにしろ、そういう自分の足りない部分に気づかされるのだ。

もしも人間の驕りが経済の破綻を招き今の状況を引き起こしたのだとしたら、これは社会という自然界からの戒めなのかもしれない。宗教家ではないが、悔い改めて謙虚になれということだとすれば、きちんと今の現状に向き合って改心した人から立ち直っていけるということなのだろう。

2010年3月15日月曜日

努力を惜しむな

スカイプをオンにしていたら、スカイプに知らない人からチャットでパーティのお知らせが来た。広告だろうが、おもしろいことを考えると感心した。これで来る人がいるのかしらと思ったが、ダイレクトメールだってそれで買う人がいるから出すのだろう。

始めから無駄だと思ってやらなかったら何も起こらない。昔、聞いたことを思い出した。頭のいい人は先まで見えてしまうのでできないとわかりやらない。頭の悪い人はそこまで見えないのでやってみる。すると、思いがけない発見が起こったりすると。

こういう状況だと無駄だと思ってやらないことが多い。景気がいいと、うまくいけばラッキーととりあえずやってみようという気になるのに、景気が悪いと途端に皆確実なことだけやりたがる。成功する確率が減るからだろう。例えば景気がよければベンチャーに入ってIPOを期待する人がたくさんいるが、景気が悪いと安定した起業に入りたがる。IPOの確率が低いから、リスクをとらず確実に稼げる方法をとるからだろう。

そうしていると、不思議と思考回路や行動パタンが無駄だと思うことをしなくなる。もともと人間とは楽をしたいと考える生き物なのだろう。たまたまうまくいきそうなものがあればそれに対する期待と興奮で無駄なことをすることがあるだけなのだと思う。だから、その期待と興奮をもてないと、無駄なことはしない。

でも、それでは何も起こらない。今私たちに必要なのは、例え無駄だと思ってもそれをする気力。先の見える頭のいい人のふりをして「やっても無駄だ」ということではなく、頭の悪い人になって「やったら何か起こるかもしれない」と思うことだ。どんな努力も惜しんではいけない。

2010年3月14日日曜日

ジョブマーケットでのアイディア

ジョブマーケットを利用した様々なビジネスができている。

一番多いのが有料ジョブサーチエンジン。IEEEのように期間限定で会費を払うと使用可能というもの。ついでに転職成功体験者の体験スピーチ会も開催し、さらにお金をとる。

次に多いのがレジュメ代行やレジュメレビュー。数多くのレジュメの中からあなたのレジュメを際立たせます、というふれこみのもの。

それから、クレジットのスコアをチェックしますというもの。かなりの企業が採用の際にクレジットスコアをチェックしているので、自分のスコアをチェックして、間違ってついた未払いや遅延を消しましょうというもの。

似たようなファイナンシャル系のもので、あなたの資産についてファイナンシャルアドバイザーがアドバイスしてくれるというもの。

世の中には実にいろいろなことを考える人がいる。すごいアイディアにあふれていて、すばらしいと思う。そのすばらしいアイディアをもっと世の中を改善する方向に向かせると、もっとすばらしいのだが。

2010年3月13日土曜日

アメリカに貢献する

なぜアメリカで働くのか?日本で働かないのか?

アメリカに来てアメリカの会社で働くということは、アメリカという国に貢献することを第一に考えなければならない。日本とアメリカの両方の利益になることが一番望ましいが、ときには日本の利益よりもアメリカの利益を優先させる必要がある。アメリカが移民を受け入れてアメリカで働くことを許可している理由自体が、その移民がアメリカに貢献することを期待しているからだ。その移民を救おうと思って受け入れているわけではない。

これは会社と同じことだ。会社は個人の利益を目的として各人を雇うわけではない。当たり前のことだが、会社の利益のために、会社に貢献できる人間を雇うのだ。同じことだ。個人のやりたいことを優先し、会社の利益を無視する人は雇わない。

例えばクライスラーのセールスとして働いている日本人がいるとして、その人はトヨタやホンダよりもクライスラーを客に売り込む必要がある。当たり前のことだ。

日本人として日本を第一に考えるなら日本で働くとか、アメリカでも日本企業で働くのがいいだろう。日本で外資系で働く日本人は不思議とあまり他の日本企業のことを考えず、その外資系起業の利益を考える。日本人ばかりが働く外資系企業では不思議とアメリカ企業という意識はあまりなく、日本企業のように感じるものなのだ。日本人同士で日本人から見たアメリカ論を展開しているにすぎないからだろう。それに、それら日本人の中に外資系で働くということがステータスであるという気持ちがあることも否めない。だから、彼らはアメリカとか日本とか、国のことまで考えるには至らない。

アメリカに来てアメリカ企業で働くと、そういうことまで考えるようになる。周りの人間がアメリカ人から見た日本という観点で話をするからだと思う。そういう他人の視点というのを理解できるようになることが大切だ。

今の自分にはアメリカに貢献することが大切だと思う。自分の国のために貢献したことによってその国の人間から受け入れられることになるからだ。日本のことだけを考えて日本のためだけに貢献してきた人間を他国が受け入れることはないだろう。日本が国際社会に受け入れられて国際機関の一員としてやっていくためには、まず他国へ貢献することが大切だ。

2010年3月12日金曜日

ボランティア活動の意味

人間というのは不便なもので、頭でわかっても、実際に自分で体験しないと実際のところはわからない。バーチャルリアリティがこれをどこまで補うかは楽しみなところだ。いろいろな苦労をバーチャルに体験できれば、精神的に鍛えることが可能かもしれないが、逆に緊張感がなくなってしまうかもしれない。

とはいえ、それはかなり先のことなので現状について話すと、まず人間は自分が困らないと、他人がどんなに困っているかも実際にはわからない。つまり人を助けられる人格者になるためには、自分はそれに等しいかそれ以上のつらい経験を味わうことが必要になる。そのときに他人に助けられると、次から今度は他人を助けられる人間になれるのだ。「情けは人のためならず」という言葉を常に覚えていればよいのだろうか、なかなかそうはいかない。だから、助けられてやっとそういう人間になれたりする。

アメリカではボランティア活動が就職にとってプラスに働くと言ったが、なぜだろうか?まずは、社会に貢献している人間を評価するということだろう。それに他人に貢献している人間は会社にも貢献できると考えるのかもしれない。社会に貢献するということが大切だという考えは日本も同じだろうが、それを評価する仕組みがないからボランティアに積極的には参加しないのだろう。次に、アメリカは弱肉強食の社会だ。つまり、弱者がでる。弱肉強食の世界を維持するためには、強者は弱者を救う必要があるのだろう。彼らがよく寄付をするのもそういう背景のような気がする。強者が大量にお金を儲け、それを弱者に寄付をする。そいう社会の仕組みのような気がする。

ところでボランティアという単語を英語の授業で習ったとき驚かなかっただろうか?私はものすごく驚いた。「ただで人を助けること」だとばっかり思っていたら、「自主的にする人」だったのだ。その活動の結果は同じでも全く意味が違う。大切なのは「自ら進んで自主的にすること」がボランティア活動にとって大切なのだ。他人に決められたり強制されるものではない。どうすれば人間を自主的に動かせるのか?やはり自主的にやった結果を評価する仕組みが必要なのだ。だから、そういう人間を評価するカルチャーや就職活動で有利に働くとかいう仕組みがあるのだろう。

日本もそういう仕組みを取り入れるといい。頭ごなしに自主的にやることが大切だと言ってもなかなか難しい。だからそういう仕組みを社会が作っていくことが大切なのだ。

2010年3月11日木曜日

ソーシャルネットワークの意味

アメリカでは履歴書にソーシャルクラブやボランティア活動への参加が資格のように意味をもつ。そういったソーシャル活動に参加しソーシャルネットワークを持った人間がより評価され、それがその人のアイデンティティを形成していく。特に会をリードしているということが高く評価されるのだ。そういったリーダーシップを持った人間が特別な目立つ人となる。目立つことをよく評価しない日本とは逆だ。

こういうバックグラウンドを考えれば、アメリカでSNSが普及しやすかった理由は自ずと見えてくる。ソーシャルクラブは日本でも多少はある。主婦同士で食事に行ったりお料理を教えたり。ところが働いている人たちにはあまりないのが現状だ。まず、サラリーマンは朝から晩まで平日は働き、土日は家族と過ごす。昔は平日に会社の人と飲みにいくことも多かったが、最近は減ってきた。そういったバックグラウンドの違いがわかれば、日本で普及しにくい理由もわかる。

若い人たちは新しくネット上でのソーシャルネットワークを作ることもあるが、これの普及の理由が見えない。というのも、もともとソーシャルクラブではリーダーシップを含めたコミュニケーション能力を訓練する場なのだ。人間は火を使い、道具を使い、言葉を使うことで進化を遂げてきた動物である。言葉によって思考と双方向コミュニケーションを可能にし脳を進化させたのだから、言葉による思考とコミュニケーションの進化が必要なのだ。

SNSが思考とコミュニケーションを進化させることができるかどうかが、これからの普及を左右するだろう。

2010年3月10日水曜日

メディカル市場入門1

今日聞いたことを忘れないように書き留めておく。

メディカルには大きく3つのカテゴリーがある。
1. Big-Box - これはMRIやCTSCANのような大病院にある大きな装置。100-1000台程度で、一台一台の装置がすべてその設置された部屋毎カスタマイズされる必要がある。大企業が製造する。
2. Small-Box - Ultra soundやImagingのような各お医者さんが持っている医療機器。これも大企業が製造する。
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3. Personal - 個人向け端末。個人や各家庭が家にもち、医者を必要とせずに自ら使うもの。大企業である必要はない。

1&2と3の間には大きな境界があり、目的や対象が大きく異なる。1や2をやりたいなら、大企業で1や2に関わってそのバックグラウンドを持って部門をスプリットするべき。そうでなければ3。

3の需要が広がる社会的背景。アメリカは特殊で国民皆保健ではない。実は、2%の人がコストの60%が医療費、5%の人がコストの80%を医療費に費やしている。そして人生の最後の年に最も医療費がかかっている。医者に行かずに自分でメディカルチェックをする方法があればこのコストを減らせる。逆にカナダやヨーロッパの場合には、国民皆保健であるかわりに異常に待たされる。自分でチェックした結果を医者と共有できれば、その医療機関の負担を軽減できる。日本の場合には高齢者が多い。だから個人向け医療器の需要があるはず。

3にとって重要なのは技術力ではない。イノベイティブなサービスを提供できるかとメディカルとしての政府からの認証だ。例えばiPhone Appliで似たようなアプリが買えたとしてもそれはメディカルとしての認証がなく違法だ。その認証を得るためにISO13485のような品質の認証を得る必要があり、これにかなり時間を費やされる。そしておもしろいことにメディカルのリサーチャーたちはパテントとか考えないし、自分の名前を売ることもいやがる。彼らは政府やいろいろな寄付によって研究をしており、その状態でいたいので、そこの承認なしに目立つことをするのは嫌がる。しかし、自分の研究を世の中のビジネスに使ってもらいたいと思っているので技術を提供してくれる。だから、そういうコネクションをつくることで、ビジネスをやっていくことができる。

もっといろいろなことを聞いたが、とりあえずはここまで。

2010年3月9日火曜日

「聞くのはただ」「失うものはない」

アメリカ人がよく言う言葉でおもしろいと思うものが二つある。

「聞くのはただだよ。」ところが、聞くのにお金をとるところがある。日本にあるアメリカ大使館だ。ビザに関する質問をしようとしたら、一回につき2129円かかるとあった。一回につきというのは、電話でもメールでもそうで、例えば大使館からの返答メールにもう一度質問をするにも、さらに2129円払う必要がある。聞くのはただだというアメリカ人の感覚が無駄な質問を増やし、それにフィルターをかけるためにチャージしたのだろう。おもしろいことだ。あまり無意味なことを聞いたり同じことを何度も聞くのは悪いと教育された私たちの感覚からすると、実に興味深い。

「何も失うものはない。」これは一歩が踏み出せないときに、背中を押すいい言葉だ。漠然としているが故に不安が生じる。その漠然としたものが何かがわからないから漠然としているのだが、人間はわからないものに対して恐れを感じる。だから、その漠然としたものが何かということを追求するかわりに、逆にその不安に値するものがないとうことを示せば恐怖はなくなるのだ。人間は失うことを恐れる。だから、失うものがないと思えば思い切ってできるのだ。

ということで、昨日フォーンスクリーニングの電話がかかってきて、一時間半後にかけてもらうことにしたのに、電話がなく、3時間半もたってしまった。そこでしびれをきらして自分でかけたらその場でフォーンスクリーニングが終わってしまった。そしてその場でじゃあ人事にインタビューのトラベルの手配を頼むからと言われて切った。
次の日、現地の3時になってもかかってこない。アメリカ人の金曜は早い。特に人事なんてとっくに帰っているかもしれない。そこで次の日再び「昨日は電話ありがとう。ところでインタビューの日決まった?」とお礼がてら電話をしてみた。そうしたら「今あなたへのインビテーションを書いていたところだ。日にちは私が決めるのでなく、人事があなたにコンタクトして決めることになっている」と教えてくれた。いつがいいのかと逆に聞かれたから、再来週は都合が悪いから来週がいいといったらわかったといってくれた。

聞くのはただだし(携帯電話代は固定通話額の中に十分入るので問題ない)、失うものは何もない。ただ、これはやりすぎるとさすがに嫌がられるので気をつけた方がいい。

2010年3月8日月曜日

パラダイムシフト「私がやる」

世の中には評論家が多い。「あれはだめだ。ああしなきゃだめだ。そこが問題だ。そうするべきだ。」と他人の批評をするどころか、自分達の会社や国、世の中のことさえ人ごとのように批評する。「わかっているならば、なぜ自分でそうしないのか?」と聞くと決まって彼らは「○○だからできないんだ」と言い訳をする。結局同じ穴の狢なのだ。

他人がやるべきことに「ああしろ、こうしろ」と言うのは誰でもできる。本当に誰にでもできる。簡単なのだ。難しいのは自分がやること。実行すること。他人が造ったものを使うユーザになってはいけない。自ら造り上げていくことが必要なのだ。

今の世の中に評論家はいらない。「私がこれをやる」と自ら立ち上がってやる人間が必要なのだ。

失敗することを恐れず、周囲の批判を恐れず、立ち向かっていく勇気。最初は「そんなもの」といってばかにされるだろうし、誰も相手にしないだろう。それを乗り越える覚悟。

最近の自分には不思議と「私がやらずして誰がやる」という思いが強い。世の中の不景気が私にこんな気持ちにさせてくれたならば、今の状況に感謝したい。

2010年3月7日日曜日

ITエンジニアの行く末

クラウドコンピューティング、シンクライアント、コンピュータのバーチャル化によって、ITエンジニアが職を失っている。景気が悪くなった途端、企業がまずカットしたのがITコストだからだ。シンクライアントによるコストカットはすなわちITエンジニアの失業を意味したのだ。

彼らはこれからどうするのだろう? 一部の人には、サーバを所有する企業や特定のデータベースを管理する企業への転職があるだろう。それ以外の人は、その今までのスキルを活かせる方法があるのだろうか?

実際活かす方法がなくて仕事を探している人が多い。彼らの場合、既存技術で既存市場を深堀してももう出てこないので、新規市場という中国へ行く方がいいのかもしれないが、私自身もでは実際に中国に新規市場があるのかわからない。

まだこれからデータベースはどんどん加速的に増えていくので、その量がある一定量を超えたとき、再びデータセンタでメンテナンスの人間を必要とする可能性がある。景気回復よりワンテンポ遅れた需要になるだろうが。

2010年3月6日土曜日

パソコンの行く末

私がパソコンを触り始めたときはIBMやNECのパソコンには黒い画面に薄く字が映っているだけで、しかもすぐにスクロールされてしまうくらい行数も少なかった。パソコンとは大きなスタンドアローンの計算機みたいなものだった。

それが就職活動をしていたときにはSunがComputing is networkingとうたっており、マイクロソフトもそれに続いた。モデムもいつの間にかイーサのケーブルになり、そしていつの間にか無線になっていた。

そして今CitrixはComputing, transformedとシンクライアントによるバーチャル化がいよいよ始まることを告げている。クラウドの始まりだ。企業のパソコンがシンクライアント化すると、デルに入っていたインテルのCPUがまず影響を受けるのだろうか?インテルの売り上げが再びIBMの売り上げに戻っていくように思える。マイクロソフトはどういう基準でライセンス量を決めるのだろう?

このバーチャル化だが、企業にとってみれば端末代のみならず、システムサポート代や設備費がはるかに安くすむため、すぐに導入していくだろう。パソコンで儲けていた企業は、個人端末や家の端末の市場へと移行しないと、あっという間に売り上げが落ち込んでいく。今年この変化にいかに対応できるかが鍵になる。

2010年3月5日金曜日

半導体エンジニアの行く末

半導体のエンジニアの数はすでに飽和しており、今後減っていくだろう。彼らはどこへ行けばいいのか?

今の会社は若いマネージャーで技術力のないエンジニアばかり。景気のよかったときは猫の手も借りたい状態で、実際の設計は外注だったしマネージャーはマネージメントだけすればいいから技術力はいらないという考えだった結果だ。
それに対し、実際に仕事をしてたシリコンバレーのエンジニアは設計の技術はあるが、彼らの給料は中国やインドのエンジニアの3−4倍はするので、これからリーズナブルな量産品の市場を狙っていく会社の設計者としては高すぎる。

一方、設計やソフト開発をインドの外注に移したときには、アメリカにいるインド人をマネージャーにして重宝した。ところが今は、中国に設計を移しているので、アメリカにいる中国人をマネージャーにして重宝している。

アメリカにいるインド人や中国人は自分の国に帰らないと仕事がなくなるのだろうか?しかし自国で働くということは、安い労働力として期待されているわけであり、すなわち給料が下がる。

若ければソフトを勉強してソフトにうつるという手もあるだろう。今後ソフトの方が仕事は見つけやすい。あとの余剰エンジニアはおそらく路頭に迷うのだろう。

2010年3月4日木曜日

苦労の数だけチャンスが増える

私は「若いときの苦労は勝手でもしろ」という言葉が昔から大好きだ。なぜ若いときという条件付きなのかはわからないが、苦労をしていない人の話よりも、苦労を乗り越えてきた人の話の方が断然魅力的で人に聞いてもらえるし、内容が人間として成長しているように感じる。トントン拍子にうまくいったなんて話は参考にもならないし、感動もしない。

実は、苦労話をして拍手をもらっている人を見て少しジェラシーを感じている自分に気づいたことがある。私にもそんな苦労話があったらなと思って。それから人生を選ぶときは無意識に敢えて一番困難そうな道を選ぶようになってしまったように思う。それを体当たりで乗り越えて体験談として話すと、皆が興味を持って聞いてくれる。これが実はうれしいのだ。

苦労をしただけでは話が盛り上がらない。苦労をこうやって乗り越えてこんな教訓を得たという話ができ、変わった自分を見せることで、他人を感心させることができる。インタビュアーは、苦労知らずの人間よりもそれを乗り越えた人間を評価する。だから、それが次へのチャンスをなるのだ。

今日、カリフォルニアの州立大学で授業料32%値上げと職員カットに反対する学生がストライキをしたらしい。カリフォルニアだけでなくいろいろな州立大学で授業料値上げをしている。この厳しい経済状況のため、大学にあてる予算を削ったのだ。バイトで授業料を払っている学生達にとって32%は苦しいに違いない。結果がどうなるにしろ、ここで学生達は自分たちの権利を獲得するために苦労をするのだ。そんな苦労したアメリカの学生たちと、今の日本の学生達は将来渡り合えるのだろうか? 苦労した者の方がチャンスを得やすいのだ。

2010年3月3日水曜日

パラダイムシフト「グローバル」

アメリカ人はクロスカルチュラルだと思われているかもしれないが、実はそれは大きな間違いだ。ほとんどのアメリカ人は他の文化など知らない普通のドメスティックな国民なのだ。ただ違うのは大量の移民がいて、彼らは純粋なアメリカ人ではないという点だ。

以前、会社の地域毎の売り上げ分析のプレゼンで日本の売り上げだけが極端に落ちていた。全体的に景気が悪い以上どこも落ちているのだが、その落ちた売り上げの中で日本のシェアが著しく落ちていたのだ。彼らの結論は、日本の景気が特に悪いということはなく、日本のナショナリズムの問題だと結論づけていた。他国のナショナリズムの問題で自分たちの売り上げが落ちたと平気で他人のせいにするプレゼンをマネージャー達がやっていたのかと思うとかなり愛想が尽きた。なんという会社で働いているのだろうと。

今アメリカ人の雇用を確保せよとしきりに言っている。ところが先日のニュースの最後にちらっとアナウンサーが「フランス人がフランス人の雇用を確保しろと訴え、アメリカ人はアメリカ人の雇用を確保しろと訴えている。そういう垣根をとってグローバルに経済をよくするように考えなければならない」と言っていた。ちょっとびっくりした。こんな言葉を聞いたのはいつぶりだろうか?なぜフランスがあがったのか、偶然か何かあったのはわからないが、もしかしたらフランスの企業が撤退してアメリカ人が職を失っているのかもしれない。
グローバルというのはそういう視点を持つことだと思う。

「あそこの国の国民性は」とか「自分の国が」とかいう言葉を使うとその時点で垣根を作る。その時点でグローバルでなくなる。だから常に世界を視野に入れすべての国を同じように見る感覚を持つことが大切なのだと思う。

2010年3月2日火曜日

パラダイムシフト「アメリカ人」

日本人は「アメリカ人は若い人が自分の上司になっても平気だ」と思っている。これは大きな勘違い。ものすごい問題なのだ。例えば「私は32歳でVPになるオファーをもらった。だが、そうすると、50代の部下を四人持つことになった。」「アメリカでは普通で問題ないんでしょう?」「大問題だよ。彼らはジェラシーをもつ。」こんな話はよく聞く。働いていくために受け入れなければならないと考えるだけであって、人間として持つ実際の感情はどこでも同じなのだ。年齢だけでなく、女性だって同じことだ。

日本人は「アメリカ人は早起きで朝早くから働く」と思っている。これも大きな勘違い。「最近の若い人は朝8時に会社にこないんだよ」「え?そうなの?」なんて話を聞く。年齢が上の人は早くから行くが、若い人は9時10時に行く。日本と同じだ。

日本人は「アメリカ人はいろんな人種が一緒に普通に暮らしてる」と思っている。これも大きな勘違い。例えばレジュメを送ると人種と性別を聞かれる。雇用機会均等法があってヒスパニック7% アジア人2% アフリカンアメリカン7%と決まっているのだ。雇用者の割合だけでなく、アプライしてきた人たちから採用した割合も提出する義務があるのだ。学校ですら枠を決められている。

つまり、強制されているが故の結果であり、皆根は同じ人間なのだ。

2010年3月1日月曜日

リクルータやカウンセラーの行く末

完全な求職者過剰のデフレによりjob marketが広がり、仕事を探している人が仕事が探せず、リクルーティング会社でリクルータやカウンセラーとして働き始める人がたくさんいる。雇う側の企業が客とすれば客は少ないが、雇われる側の求職者を客とすればその市場は大きいのだ。つまり求職者からお金をとろうという企業が異常に成長しているのだ。

通常リクルータは人材を紹介したということで、企業からお金をもらう。つまり客は企業であり、こういう状況下では求職者にはあまり気を遣わない。

これに対し、アウトプレースメント企業は、求職者からお金をとり、レジュメやインタビューサポート、ウェブツールや場所の提供など、転職経験者のアドバイスを売る。今ほとんどの企業がジョブカットをし続けているが、そのときに企業側がそのお金を払うので、実際には求職者から直接等いうより、ジョブカットをした企業が払っているということになる。
これ以外にも、有料のジョブボード、有料のリクルータ紹介所、レジュメやインタビューのセミナー等、求職者からお金をとる市場が急速に成長している。

景気が回復して転職が難しくなくなったとき、その求職者をターゲットとした市場で働く彼らは一気に職を失うだろう。就職しやすい市場で転職に精通した彼らが転職するのは簡単だろう。しかし、その転職先で彼らは何をするのだろうか?そして、いろいろな企業のサラリーやベネフィットに詳しくなった彼らがその企業で満足するのだろうか?ジョブホッパーとして生きるのかもしれない。

2010年2月28日日曜日

自分の攻めるべき市場は?

スターバックスのコーヒー豆を買うと袋に「この袋をお店に持ってくるとコーヒー一杯フリー」と書いてある。よく見ると賞味期限後30日以内に、とある。これはマーケティングで消費者にどんどん消費させることで儲ける方法である。これで消費速度が上がれば、コーヒー一杯サービスくらい安いものなのだ。

今私は自分を製品として売り込もうとしている。マーケッターであり、セールスでもある。
自分という製品を成長マトリクスに当てはめて考えたときに、技術•能力は既存•新規のどちらを狙うか、あるいは市場は既存•新規のどちらを狙うか。(1)既存技術で既存市場の深堀りが王道だ。上記スターバックスのように、既存製品の既存顧客への販売量を増やすことで事業を拡大する。次に成功確率が高いのが、(2)既存技術で新規市場を狙っていく。私に資源の余裕があればいい方法となる。(3)新規技術で既存市場はなかなか売れない。新規技術が既存市場のニーズになかなか合わないのだ。言うまでもなく(4)新規技術で新規市場はほとんど成功しない。

まずは(1)だろう。(2)と(3)に行きたいのだが、あまり現実的でない。(2)や(3)につなげられそうな(1)を選んでいくことが重要だ。ヘルスケア製品を扱っている企業か中国系半導体企業のいずれかだとつながりそうだ。

2010年2月27日土曜日

スターに返り咲けるか

最近よく平家物語の冒頭を頭の中で繰り返す。特に「盛者必衰の理を顕す 驕れる者は久しからず」の下りに深い感慨を覚える。

各国をプロダクトとしてプロダクトポトフォリオの中のあてはめると、今の日本やアメリカは既にスターよりもキャッシュカウなのだ。ヨーロッパはEUとして統合することで負け犬からキャッシュカウまで戻ってきた。中国は明らかにこれから投資をすべき問題児であり、次のスターとなりつつある。
今後日本がキャッシュカウに落ちていき、さらに負け犬となるか、あるいは再びスターに返り咲くかはこれからの私たち日本次第なのだろう。

トヨタリコール問題と自分の職探しには直接的には何の関係もない。しかし、どちらも同じ大きな世界の流れというものに巻き込まれている気がするからだ。世界の経済危機の波はもちろん、この日本の価値の変化がそれらに大きく影響しているだろう。今世の中の景気が良かったら、あるいは日本が今問題児であったならばおそらくどちらも起こらなかったと思う。

アメリカだって日本を守ってあげるような余裕がなくなったってことだ。アメリカもスターに這い上がるために、中国と関係を作っていかなければならない。日本と違って、アメリカにとって中国は大変だろう。本当の意味で問題児になるかもしれない。

2010年2月26日金曜日

戦国時代の合戦か

トヨタリコール問題に関して少し追加。

アメリカは競争状態を維持することによって成り立つ資本主義国家なのだ。つまり、アメリカの自動車メーカーが競争力をなくせば、彼らが競争に参加できる状況を作る。アメリカの自動車メーカーだけでなく、中国などの新興国の自動車メーカーがアメリカに参入できるよう市場を整える。彼らにとっては当たり前のことなのだ。

それが正しいとか、やり方が正しいかとか、そこはいろんな意見があるだろうが、結局、絶対的かつ不変的に正しいことなんてないのだから、そういう議論の余地はないのだ。誰かにとって正しくないことも誰かにとっては正しいのだし、今正しいことも50年後には正しくなくなるのだ。

マイクロソフトが独占禁止法で訴えられたことを覚えていると思うが、つつかれないよう穴を作らないようどんなにがんばっても、結局は独占禁止法という法によって合法的にたたかれるのだ。アップルがシェアを回復できた最大の要因は、マイクロソフトが独占禁止法にひっかかったことだろう。市場競争力を維持するために社会によって意図的に操作されたということだ。もちろんアップルである必要はなかったわけで、そこはアップルの勝利であると言える。

インテルもAMDを閉め出すためにリベートを使い、ヨーロッパで独占禁止法にひっかかり罰金を払わされた。ウィンテルによる数十年の支配も終焉となり、新しい時代を作るために競争市場が作られているのだ。ここで戦い勝った者が10年後に次のウィンテルとしてその後十年位君臨できるのかもしれない。

日本の歴史の授業でも習った戦国時代の合戦が始まったのだ。織田信長になれるか、豊臣秀吉になれるか、あるいは徳永家康になれるか、これから各地の武将が出陣し始めたところなのだ。私はどこの陣営に加わろうか?

2010年2月25日木曜日

優越感という悪

どこの国も、人間に順位をつけてきた歴史を持つのではないだろうか?
生まれで決めるカースト制度は有名だが、そういうランクに限らず、ユダヤ人迫害のような宗教、先日のモンゴルのような民族、言うまでもなく人種、肌の色で優劣を決めたがる。なぜ他人を下に見る必要があるのだろうか?

動物も、宗教はないにしても、同じ種類の動物の中で生まれや種類や色で優劣を決めるのだろうか?例えば岩とびペンギンと冠ペンギンや、ドブネズミと野ネズミの間に優劣はあるのだろうか?力の差による優劣はあり得るが、その力関係を明確にするために人間のように群れ同士で陣地争いはしなそうだ。

ではなぜ人間だけが群れを作って戦い、力関係を明確にし、その後その力関係を維持しようとするのだろうか?優越感というおかしな感覚のせいだろう。この優越感という感覚さえなければそんなことはきっとしない。他人に対して優越感を感じることは悪いことだとなぜ教育しないのだろう?他人に暴力を振るうのは悪いことだ、他人から物を盗むのは悪いことだと教えるのに、優越感という他人に視覚できる危害を与えないことは許されるのだろうか?遺伝子自体が優勢/劣性という性質を持ち、それによって優れた遺伝子で子孫を残す生物である以上、優劣を決めることからは逃れられないのだろうか?だとすれば、より強い遺伝子である方を優性と認識すべきではないのだろうか?

今日一緒に食事をした黒人の女性がレストランで明らかに機嫌が悪くなった。明るい席がいいと言ったのにレストランの人間が開いてないと言って譲らなかったからだ。空いている席は今日客が150人ほど来るから使えないということだった。私はそれでしょうがないと思ったが、彼女にはそう思えなかったようだ。ダラスは他の地域から来たMBAを持つ黒人にとっては耐え難いところなのだろう。シリコンバレーで黒人を見かけることはほとんどなかったので以前はあまり考えなかったが最近は思う。彼女たちが今までに受けた屈辱は私の想像以上に違いない。
そこでふと思ったのだ。「なぜ優劣を決める必要があるのだろうか?」と。

2010年2月24日水曜日

日本が克服すべきもの「言葉」

車のラジオでAkio Toyotaの謝罪を聞いた。映像がなかったのでよくわからないのと音質の良くないカーラジオだったせいか、叫んでいるように聞こえ、昔テレビで見た第二次大戦の終了ラジオの天皇陛下のようだった。

以前やはり車関係のタイヤの事故で、日本で日本語で謝罪をしていたテレビを思い出したが、あんな風だっただろうか?英語だからだろうか?日本語だったらもう少し違った話し方ができるのだろうか?

日本人は英語のために個人の能力を十分に認めてもらえない部分が多いし、たとえ同じ分野で競うにしても英語の勉強する時間がハンデとなることもある。英会話の授業を増やすために数学や他の教科を削れば他の能力の低下になる。国際競争力を高めるために日本はまず、同時翻訳機を自国で開発して普及させることが急務だ。すでに頭の固くなった働き盛りの国民の英語力を上げるより、コストも時間もよっぽど安くつくはずだ。これから中国語が話せないとという時代がやってくる。そのときまた新たに中国語を一から学ぶのだろうか?アメリカには英語と中国のバイリンガルなんて数えきれないほどいる。少数の日本語と中国語のバイリンガルだけで日本はどうやって戦っていくのか?

国がその研究費を払ってでもやるべきだろう。資本を集約して翻訳機を作った方が、個人個人に分散投資するよりもはるかに効率がいい。
グーグルがやってくれるとか他人に依存するのでなく、自力でやればいいのだ。欠点があれば、自分で克服するなりして解決する。当たり前のことだ。

2010年2月23日火曜日

素敵な女性を発見

今週3人の女性と知り合った。年齢は40から50代だと思うが、3人ともすごく素敵だと思った。

そんな風に素敵だと思える女性に今までここの会社で出会ったことはなかったのに、外の世界を見てみたらこんなに簡単に素敵な女性に会えるのかと驚いた。というより、自分の世界が狭かったことに呆れた。なぜ今まで外の世界を見ようという努力をしていなかったのか。

彼女達を見ていて、自分はこういう人間になりたいと思えた。正直、会社のミーティングでは男性しかいなかったし、その中で自分のエゴを満たすために偉そうに話す人たちを見て疑問を感じていたのだが、ここ一週間ですっきり答えが見えた気がした。まず皆が言うようにダラスはアメリカではないし、特にあの会社はいわゆるアメリカの会社ではない。日本に近い。たぶんこの状況の中で生き残るのは難しいだろう。次に、偉そうに話すことがアメリカ流なわけじゃない。自分の内面を磨くことで生まれる内からの自信が、その人を輝かせるのだ。アメリカには自分なりの道を見つけてそういう風に素敵に生きている女性がたくさんいる。

時間が許す限り、彼女達から吸収できる物は吸収していきたい。

2010年2月22日月曜日

インターネットで世界はつながったか?

韓国人留学生が、アメリカの大学や大学院卒業後、就職できずに韓国に帰国しているという記事を昨年見た。景気低迷による企業の採用枠の縮小、およびビザの問題らしい。たとえMBAをとっても、ビザのスポンサーになろうという企業が顕著に少なくなってしまったために就職できないということだ。しかも、以前は留学生は卒業後一年間ビザを延長可能だったが、昨年から卒業後90日以内に就職しなければならないなど規定が厳しくなったこともあり、すぐに帰国するのだろう。

自分をとりまく状況が厳しいと他人に厳しくなるのは自然なことだ。自分の中の受け皿が小さくなってくるのだ。そのこと自体が問題を起こすというよりも、実際の問題は、一人がそれをし始めるとそれが伝搬してしまうことだ。結果、お互いを受け入れない世界ができあがる。

インターネットで世界はつながったといういうが、電気がつながったところで、本当の意味で世界がつながったとはいえないのではないか。言葉の読めないページは見ないではないか。言葉だけでなく、その見えない心の垣根を取り払うことが本当に世界中の人間がつながるということではないのだろうか。

2010年2月21日日曜日

アメリカがアメリカでなくなる日

アメリカが国を閉じ始めている。

労働ビザだけでなく、学生ビザまで状況が変わってきている。
たまたま他人の話が聞こえた。彼女は自分の息子を大学に入れたいらしいのだが、ある大学に行ったらまずビザをとってからくるように言われた。しかも、アメリカでとりたかったようだが、一度自国に帰ってビザをとらなければならないようだ。大学側が言うには、去年の5月からここでのビザのサポートをやめたらしい。ここでのビザのサポートやっている、ちょっと離れたところにある別の大学の名前を教えてもらって帰ってきたということだ。どこの国の人かはわからないが、ヨーロッパ系に見える白人で、お母さんは英語だったけど、息子はあまり英語は話せないと言っていた。

学生の就職難が状況を変えたのか、費用を削るためにそうしたのかはわからないが、積極的に移民を喜んで迎え入れるグローバルな大学ではなくなってきた。中国に会社のローカルブランチを作って社員を送り込んでいるが、自分の国の国民を自分のお金で他国に送りこむだけならば、日本でもするし、グローバルとはいわない。輸入をあまりせず、輸出ばかりする国は好かれない。国際的協調とは言えないからだ。

これは一例にすぎないが、最近アメリカを見ていて、日本と似ているなと思うことがよくある。それを見て、これが人間の本能なんだと実感してしまう。

2010年2月20日土曜日

パラダイムシフト「平均寿命」

日本ではこれまでずっと平均寿命は延びてきた。だからこれからも延びると思っている。そうだろうか?

平均寿命に医学の進歩が大きく貢献していることは間違いない。しかしその今までの医学は精神に関わらないところで大きく貢献してきたといえるだろう。これは最近になって心療内科というのが増えてきたこと、鬱病や自殺が増えてきたことから言える。

終身雇用や年功序列という約束された安心できる将来がなくなり、将来が見えなくなってきた。職を失う可能性もあり、さらには年金がどれだけもらえるかもわからない。人間にとっての不安の原因とは、「わからなないということ」そのものなのだ。先行きのわからないものに対して不安を感じストレスとなる。そして例えば親の不安が子供に伝わり、その子供の不安のはけ口として学校でいじめが起こるといったように、ストレスがストレスを生み、伝搬していく。

ストレスによる病気を改善する手術や薬がない以上、ストレスによる精神的な病が寿命に影響を与えることは避けられない。おそらくこれからは日本の寿命の延びは穏やかに止まり、さらに減っていくことになるだろう。

少子高齢化が進み社会が高齢者を支えきれなくなったことが、年金を始めとした社会問題につながる。その社会不安が平均寿命を引き下げ、その問題を軽減させていく。そうやって社会はバランスを保とうとしているようにも感じる。ある意味、生物の普遍的な自然現象なのかもしれない。

2010年2月19日金曜日

パラダイムシフト「外資系」

世界における日本の価値が下がってきている。価値というのは結局相対的に決まるものであり、中国の価値があがったことで日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカ、インドですら価値が下がってきているのだ。おそらく今までもそれなりの価値があった国の中で下がっていないのは台湾くらいではないのだろうか?

日本にある外資系は日本にしてきた投資を中国に向けるため、日本を縮小し、中国にその分投資をしている。
日本にある外資系企業にいた人、海外で働いてきた日本人に影響を与えているのを肌で感じる。今採用するべきは中国人なのだ。実はアメリカにいる中国人はあまり大切に扱われていなかったことに、こうなってみて初めて気づいた。インド人は2000年問題の後、いろいろ大切に扱われてきたが、中国人はかつてのままだったような気がする。

これは最近ジムで泳いでいたときに気づかされたのだ。隣の女性に何か聞かれたがよくわからなかったので聞き返すと自分のバタ足を見せてジェスチャーとたぶん中国語でいろいろ言われた。その隣にいた男性に「どこから来たのですか?」と聞かれた。日本だと答えると「あなたのバタ足がきれいだからどうすればいいか聞いてるんだよ」と言われた。「あなたのバタ足と自分のバタ足の違いがわからない」と答えてしまった。習ったのは小学校に入ってすぐだったから、どうするのかなんて覚えてない。ただ動かしているだけ。。。本当にわからなかった。聞いてみると、彼女は中国から来たという。

英語の話せない中国人の中年の女性がプールで泳いでいるってちょっとないことだった気がする。シリコンバレーならともかく、特にこのダラスでは。新しく中国から人が来て住んでいる。世界が確実に変化している。

話を戻そう。日本から見ての価値観を変える必要がある。つまり、「外資系=アメリカ系とヨーロッパ系」だった価値観を「外資系=他のアジアと欧米系」にシフトさせる必要がある。グローバルな人間になるためには、この価値観は必須だ。

2010年2月18日木曜日

鶏口となるも牛後となることなかれ

社会のステータスといえば、今まで大学名や会社名をプランドとしてステータス化してきた。でも、実はこれからは以前程意味を持たなくなるだろう。

理由としては、少子化で大学に入るのが私たちの時代と比べたら断然簡単になったからだ。それに、日本の大学名は外資系では意味をもたない。そして、一流企業にいるからと言って、その会社がずっと潰れない保証はないし、つぶれたらその社員がすべてまた他の一流企業に入れるわけではない。前の会社が一流企業であったかよりも、その会社での個人の経験の方がはるかに価値がある。
転職市場とは「経験価値マーケティング」だと思う。自分の経験を如何に相手に売り込めるかのマーケティングだ。その人の表情、話し方、反応の一つ一つが、その人間の経験を物語る。

一流大学の学生は、日本での知名度は低いけど給料の高い会社には入りたがらない。名の知れた一流企業に入りたがる。他人からの羨望やステータスがほしいのだろう。大企業故の大きいものを任せてもらえるころには、その地位を守るために責任をとりたくない年齢になってしまっていて、思い切りやるなんてできない。小さい会社に入った方が若いうちにその会社にとって責任のある仕事を任せてもらえて経験できるチャンスはいろいろあるだろうに。

一流企業でトップまで行ける人は数えるほど。ほとんどの人は牛後。自分はそこでトップに行ける程の人間ではないと思う。だから分をわきまえて、鶏口を目指そう!!

2010年2月17日水曜日

捨てることの勇気

20代の人はまだ会社を辞めやすいのに、30代、40代、50代、と年を重ねるにつれて辞めにくくなる。なぜか?

もちろん家族の問題が大きいだろう。では、なぜ家族がいると辞めにくいのか?まずはお金と体裁、家族達の精神的な不安の問題だろう。家族がいないとしても、お金の問題がないわけではないし、体裁が悪いという問題は残る。その給料と福利厚生、さらには会社での地位を失うのが怖いのだ。年を取れば取るほど、失う給料の額、社会の地位は高くなってて余計捨てにくいから、年齢とともに辞めにくくなる。
人間は自分が今現在もっているものを持っているとはあまり意識しない。それなのに失うとなると急に怖くなるのだ。恋人や家族と同じだ。

最近思う。人間は過去にとらわれて生きる生き物なんだと。なぜかはわからない。悪いことだとトラウマにもなりかねず、その場合捨てたいのに捨てられない。いいことも忘れられない。一度成功した人は、その過去の成功体験が捨てられず、なかなか先に進めない。過去の成功という亡霊から逃れられない。目に見える物ならば無くなったと認識せざるを得ないが、目に見えないものというのは捨てるのが非常に難しい。他人からはたいしたことでなくても、本人にとって甘美な成功というのはたくさんあり、捨てられないのだ。
そして、過去に自分はこうしてできたんだから、また同じようにやればうまくいくんだと自分で思い込んで安心する。そうやって考え続けるからそこの神経回路がしっかりつながりすぎてしまって忘れられないのかもしれない。感情を伴う記憶というのは、記憶に残りやすいということもあるが。両方だろう。

今の仕事にせよ、過去の成功にせよ、持っているが故に前に進めないのならば、一度捨ててみればいい。もちろん、それだけの精神力が必要かもしれないが。失ったことで必死になれば、なんとかなるものじゃないのだろうか?

2010年2月16日火曜日

国民の雇用を守るとは

今朝は会社に行って、机を片付け、少し挨拶をして、帰ってきました。

わざと唐突に、人事に「H1-B雇用者を減らしてるの?」と聞いたら「減らしてないわよ。ガバメントはそう言ってるけど、うちはポリシーを変えないの」と即座にそこまで答えてくれました。用意されたような回答にびっくり。実はダラスは典型的な保守派の人たちの塊で、会社が議員にロビー活動をすれば相手議員は当然ばりばりの保守派。アメリカ人の雇用を大切にしないわけはない。何か対策をしなければ、議員とやってはいけないのだろう。

私の頭に浮かんだのは、あばら屋に住む母と3人の子供と預かった隣のうちの子供。子供達が2日何も食べれず3日目にパンが1欠片手に入ったが、分けても3人分にしかならない。母親はどうするか?自分のうちの子供にあげるだろう。3日食べなくても死なないだろうから。

実は、12月に同じグループの人間に突然言われた。「ダラスどう?」何を今更聞くのかわからなかったが「アメリカと日本どっちがいい?」聞かれたので、「今はアメリカにいたい」と答えた。すると「日本は仕事探せるの?」と聞くから「そうでもない。たいへん。アメリカと同じくらいじゃないかしら」と回答すると「そう。」とがっかり気味だった。意味がわからなかったのでこのやりとりを友達に言うと、「アメリカ人の職がないから、日本に帰れって言ってるんだよ。頭数が一つでも減れば自分たちが安全だから」と言われた。なるほど。天然ポジティブシンキングの私はてっきり「アメリカを気に入ってくれてうれしいよ」と言っているんだと思ってしまった。

景気の悪さが人間の生活のみならず、人間関係、そして人間の性格までも変えてしまう。人間社会がネガティブな方向に進むこの状況を変えていかなければ。

ところで余談だが、「頭数」を訳すと「ヘッドカウント」。偶然じゃないとしたら、外来語を訳したものなのだろうか?

2010年2月15日月曜日

サバイバルゲーム!!

さてさて、サバイバルゲームスタート時の目的に戻りましょう。

明日会社を辞めることに決まりました。
契約上、パッケージをもらえなくなるので詳細は書けないのですが、とにかく明日が最終就労日です。
実は退職は二度目。日本の会社と比べると、驚くほど簡単。なぜ日本の会社はあんなに書類が多かったのでしょうね?

そして、2月15日から8月14日までの6ヶ月間、H1-Bのサバイバルゲームの開始です。

用意、スタート!!!

2010年2月8日月曜日

緊張感と超えるべきハードル

それは2008年の秋に始まった。まずはWirelessのグループを大きくレイオフした。続けて年末に早期退職者を募った。表向きは募集だが、止めてほしい人には強制するのだ。2009年になり、2月のCEOのブロードキャストのビデオの直前にレイオフがあるという噂を流し、噂通り2月に決行した。この時期、ほとんどの会社がレイオフをしていたので、目立って業績が悪いという印象を世の中に与えることはなかった。

このことで、会社は社員に「パブロフの犬」の条件付けをした。それは社員に「クォーターに一回のCEOのブロードキャストの直前にレイオフをする可能性がある」という条件付けだ。毎回、ブロードキャストの度に次のブロードキャストの日程を教えておき、緊張感を持たせ、ブロードキャストではCEOの話に集中させる。以前は、ほとんどの人が聴いてなかっただろうが、今ではその数週間前から緊張が走り、当日は真剣に聴いている。しかも安心させるようなことは言わない。「今はレイオフの予定はない。だが、状況は厳しいので、注意深く状況を見ている必要がある」ということを毎回言って、さらに緊張感をあおる。

もちろん脅しだけでは、人間たるんでしまう。だから、口だけではない。クォーターに一回、実際に人が消えていく。よそのグループまではあまり見えないが、まず去年5月には隣の部の課長が辞めさせられた。8月には別の隣の部署の部長が他の部署の平社員へ異動し、また同じ部のエンジニアが辞めさせられた。11月には統括部長が他部署へ異動、代わりに全く新しい人が昇進して統括部長になった。そしてこの2010年2月には、別の隣の部長が辞めさせられ、全く新しい人が他から来た。それと同時に組織変更があり、人がごそごそと異動させられるのと同時に数人の名前が消えていた。

この緊張感のおかげで、たるみだしてい体と頭がしゃきっとしてきた。ありがたい。そう、私は楽して生きたくてアメリカに来たわけじゃない。逆で、敢えて困難な道を進んでみたくて来たのだ。正に望んだ通りの状況というわけだから、今の状況に感謝したい。超えるべきハードルがあるからこそ燃えるのだ。

2010年2月6日土曜日

ポジティブシンキング

突然思い出した。多分私は自分に都合のいいようにものごとをとらえるのが得意だ。

昔学生だったときに憧れていた人から彼のライブのチケットを買わされたことがある。そのとき一緒にいた友達に、「私から花束がほしいのかな?」と言ったら「ほんと自分の都合のいいように考えるのが得意よね。ただチケット売りたかっただけでしょ」と教えてもらった。なるほど、その通りだと思った。ついつい自分のいいように考えすぎてしまったが、勘違いしたまま、勝手にそう思って花束を渡してもよかったかもしれない。彼はチケット売れて満足だし、私は自分の役目を果たせて満足なのだから。ここで、私が正しく彼の意図を理解することが重要ではないのだ。正しくない方が結果がいいことはよくあるのだ。

世の中は、「正しいこ=いいこと」ではない。理由は勝手に思い込んだものであれ、結果がでればそれで十分なのだ。逆に正しく理解しない方がいいことだってたくさんある。重要なのは、本人がこうだと納得できる理由があることであり、それをもとに行動できるかなのだ。

例えば、親や先生が子供のために必要だと思ってコミュニケーションをとろうとする。これは、本当に必要かどうか、本人がありがたいと後で思えるか、それらを考えることはあまり重要ではない。大切なのは親自身が必要だと思って子供のためにコミュニケーションをとる行為そのものなのだ。

こういう勝手な思い込み思考回路も、ある意味ポジティブシンキングで、いいと思う。

2010年2月1日月曜日

成長から貢献へ

人間は成長し続けなければならないと書いたが、それはなぜか?生物の本能みたいなものだと思う。人間も含め生物は、変化を嫌う。だが、進化、成長を望む。

例えば、ロールプレイングゲームというのは見たことがないが、聴いた範囲で理解する限り、成長することによって人間の本能が満たされるのだと思う。現実社会では、努力をしたって結果が出ない、報われないことが多い。いきなり難題を言われたり、適切な導きがないとなかなか成長というのは難しいのだ。それが、ゲームでは適切な導きのもと、確実に一歩一歩進んでいくと、成長感で満たされていく。学校で数学の問題を解くとき、いきなり応用問題を出されたら解けない。まず例題を示し、練習問題をさせてから、応用問題を解かせる。すると、不思議と解けるのだ。人間の脳に学習させているのだ。

ゲームはよくわからないが、子供の頃、エースを狙えを見ていて、岡ひろみがものすごい速さで上達し、どんどん強い相手を倒していき、最後には憧れのお蝶婦人まで倒すことに気持ちが晴れ晴れしたことを思い出す。すっかりその気になって中学で硬式テニス部に入ったが、結局選手にすらなれずに終わったとき、現実を知るということを学ぶことが来出た。

自分の無限の成長の可能性を夢見る時期は過ぎたものの、それでもなお、成長し続けたいと思う。最近、以前の勢いがなくなってからというもの、周りの人間の学習意欲が極端に落ちている。もちろん、中国は今でも意欲的に学んでいるだろう。だが、明らかにアメリカ、日本の人たちの学習•成長意欲が低下した。この仕事•勉強を続けたところでそれが生きるという感じがしないのだろう。今いる業界自体の問題もある。しかし、仕事そのものへの不安が邪魔をしていると思う。親が離婚の話をしている家庭で子供が勉強に集中するのが難しいのと同じだ。直接関係なかろうが、集中などできるはずがない。

では、成長本能および欲求は満たされなくていいのか?人間はある程度年をとると物理的に成長しなくなる。そのとき成長本能も弱まるのだろう。では、そのときに人間は何を求めるのか?例えば、成長できないなら働くことを止めるのか?そんなことはない。人間が働く理由は物理的にはお金を稼ぐためが基本だが、それと同じくらい精神的に満たされることも大切なのだ。どうやって満たされるのかというと、「他人から必要とされる」「他人から感謝される」ということで満たされるのだ。自分一人では生きていけない、自分を他人に映し、その映った姿がいい自分であることを確認することで、自分の存在意義が感じられ、満たされるのだ。

だから私は、55歳までは自分のために働き、55歳以降は他人の為に働くと決めている。55までは自分がどこまで成長できるのかその可能性を試してみたいが、それ以降は他人が必要としていることを社会のためにやって貢献していきたい。もちろん、55までも社会で働く以上しっかり貢献するのだが、少し方向性が違う。

さあ、あと17年間、どこで何をしてみようか?

2010年1月31日日曜日

人間は考える葦である

質問をしてすぐに答えがでてしまうと、人間は自ら考える必要がなくなる。いつでもどこでもつながるネット、そこにあふれる情報を楽しく読んだり聴いたりしていると、自ら考える時間がなくなる。つまり、簡単にほしいものが手に入ると、それを手に入れるための努力をしなくなる。当たり前のことだ。

パスカルが徹底した禁欲主義者だった理由はそこにあるのかもしれない。徹底した禁欲主義者だったからこそ、その欲求を満たすために、必死に考えた。だから、「人間は考える葦である」と言ったのだろう。

中国は、豊かになろうと必死でがんばる。欲求を満たすためにがんばる精神、まさにそれがハングリー精神だ。かつての日本もそうだったのかもしれないが、今の日本にはあまり見られない。楽な環境というのは思考力や精神力を奪う。

実はアメリカという国も同じなのではないかと思う。新しい国だったから、必死でがんばってきたのではないだろうか。必死でがんばったからこそ大量の成功を収めることができた。そしてその成功に過信していたために、ガバメントモーターズなどと呼ばれる状況に陥ったのではないだろうか?

日本企業も同じだろう。戦後必死でがんばって成功してきた。その過去の成功という亡霊にとらわれると、次は日本企業がガバメントモーターズのようになってしまうだろう。まだ遅くない。必死になってみるときだ。

2010年1月26日火曜日

質問をしなくなったその先には?

英雄ポロネーズを聞いていて、英雄というのはジャンヌダルクみたいなのかなと想像してみた。そこでふと、ポロネーズって誰だろうと思ってしまった。調べてみると、全く違った。ポーランドの舞曲をさすらしい。

今はたいていのことはネットで調べればわかる。というよりも、自分が信じることのできる回答がそこにある。信じるに足ると思える回答に行き着くと、人間の知りたいという欲求は満足されるらしい。

ネットが普及する前は、わからないことがあると、広辞苑や辞書をひくか、人に聞かねばならなかった。だから、「もの知りな人」という価値が存在した。例えば、年長者や上司をさして「あの人なら知っているかもしれない。よく知ってるから。」などということがあった。ところが、最近は知っていることをあまり価値と見なされない。ネット検索で聞くより早く調べられるたり、後で自分でこっそり調べればいいから。もともと人に聞くというのは、自分の無知をさらけ出すのであまり心地よいものではない。

こう考えてみると、年功序列の社会とというのは、知識の量や深さ、もちろん経験値や人間関係の広さなどもあるが、そういったものの上に成り立つ社会だったのかもしれない。今では、上司や親の方が知識がある必要もなく、よって、上司や親が質問されるということがなくなってきたのだろう。

最近、人が人に質問をしなくなってきた、と思う。お互いに質問をすることで知識を共有してきた人間が、共有のデータバンクを見るだけで知識の共有をするようになってきた。知識は得られるが、質問をするというのは、それだけの意味ではなかったのだと思う。相手に質問することによって、回答を注意深く聴くという行為の訓練になっていたのだ。

「聞く入っときの恥。聞かぬは一生の恥」というが、ネットでこっそり調べればいいので恥をかくことがなくなってきた。代わりに、一方通行で、人の話をしっかり聴けない人が増えてきた。それでは、相手に伝わらない。どうすれば伝わるのだろうか?

2010年1月22日金曜日

リソースの再配分

IT関連だった人が、アメリカでは全く関係ない職に移ったりする。アパレル、美容院、介護、清掃、など。以前は不思議に思ったが、今ならなんとなくわかる気がする。社会がそういう構造なんだと。

新卒で成長産業に就職した場合、40年働くとして、その市場が年率二桁の成長を40年間続けることはない。つまり、就職したときにその市場にいた大量の人材が、成長が鈍化するに従って減らされることになるのだ。ワークシェアリングしてリソースは維持し一人当たりの人件費を落とすことで、リソースの総コストは同等に保つことも可能かもしれない。だが、ヨーロッパならいざ知らず、アメリカや日本ではあまりしないだろう。

結果として、減らされた分のリソースがどこかへ移動させられることになるのだが、社会が成長するには、これから成長する市場へと投入する必要がある。これが社会におけるリソースの再配分なのだろう。

キャッシュカウとなったところから問題児に投資を動かすのと同じだ。つまり、これから成長する市場へと再配置する必要があるのだ。ところが現状は、上記したような、アパレル、美容院、介護等、個人経営から抜け出せないような小さな起業をする。上司というのを嫌うからだと思う。上司に気を遣って高い給料をもらうよりも、安くても気楽にやれる方を選ぶのだ。

そういう人生もありだと思う。かまわない。ただ、「そこで自分が成長し続けられるのか?」という疑問が残る。人間が成長しないのに、社会や国が成長するのだろうか?

だから、私も含め、一人一人が成長することにハングリーでなければならないと思う。

2010年1月21日木曜日

フルマラソンだよ、人生は

生まれたと同時に、とある地方のフルマラソンのスタート地点に立たされる。開始のピストルが鳴ったことはわからないのだが、周りがぞろぞろと前に進んでいくのでつられて進んでいく。。。

これが、人生じゃないかと思う。

ゴールまで行く人はごく僅か。途中で嵐にあったり崖崩れの跡があったり、疲れて休んだり歩いたりする。さらに、途中で怪我をして棄権する人も、疲れてリタイアする人もいる。

私の場合、途中で他のレースに興味をもち、最初のレースを離れ、その他のレースに参加してしまった人生かもしれない。このままこのレースを続けるもよし、元のレースに戻るのもよし。自分の選択だ。

ところで、いったいどの辺まで走ったのだろう?

2010年1月14日木曜日

会社による間引き

事業改変が日本企業で可能なのか?

××の事業を止めて○○の事業をするから××の人材を切って○○の人材を採る、と事業ベースに米国企業は考える。
一方、日本企業は、○○の人材があるから○○をしよう、××の人材がいないから××の事業はしない、と人材ベースに考える。

事業改変とは、事業を売り上げのあがる事業へと変更するものであって、人材をどう活用するかをベースに考えるものではない。運良くそれらが一致すればいいが、そんなことは稀であろう。

投資の選択と集中をする過程において、キャッシュカウとなった既存事業のリソースをどうするかという問題が生じる。新規事業にうまくフィットすればいいば、フィットしない場合、出て行ってもらうか、お金をかけて教育するかしなければならない。お金をかけて教育するなら、考え方が柔軟で先の長い新卒がいい。教育への投資資金が十分にある状況ならともかく、景気が悪いとなると、今まで貢献したが、頭も固く先のより短い人には出ていってもらうしかない。それがレイオフだ。転職のインタビューでその会社に決まらなかった場合、「その仕事が自分にフィットしなかった」という言葉を使う理由がよくわかる。

米国企業と日本企業、どちらが正しいということではないだろう。自分たちがどちらを選ぶかの問題であり、どちらもありなのだ。植物の成長過程において、間引きをするかどうかに近い。弱肉強食の世界では間引きが行われるのだ。

会社の存在意義は「お金を儲けること」だ。そして、社会が成長し続けるためには、会社が成長し続けなければならない。そうすることで、社会が成り立つ。間引きすることでその会社が成長できるかもしれないが、社会全体のバランスを崩してエコシステムを壊してしまっては、元も子もない。だから間引きして強靭になりすぎた企業は、独占禁止法によって罰せられることになる。そうやって、ほどよく競争し合えるよう環境のバランスを整えることが、必要なのだ。つまり、間引きしてひたすら強くなればよいということでもないと言える。

こう考えてみると、私たちは、ほどよく競争し合える場を与えられ、絶対安全圏に入ることは許されず、そのフィールドで常に戦い続けることを求められているということになる。だから、戦うこと、競争することを諦めてしまったらいけないのだろうか?

いい顔ってどんな顔?

38になって思うことがある。若さがなくなると、顔に自分本来の人格が出てくるんだな、と。

子供の頃は親からもらった顔が出やすい。10代から20代は、若さがでる。ここでいう若さとは、より良い遺伝子の子孫を残すため、異性を魅了し、同性と競うため、動物として与えられた本能による自己アピールの一種である。

ところが、40近くなると、今までの人生で作り上げてきた自分そのものが顔にでてくる。責任重大だ。

日本には、若い女性がいい女性のような文化がまだあると思う。生殖機能の高いものが優勢であるという社会は、未熟な社会と言えよう。短命だった昔ならいざ知らず、高齢化し、寿命の伸びた社会では、年をとったが故に美しく意味のあるものがあるという文化を育成する必要があるだろう。

女性に限らず、男性ももちろん、素敵な人生を送ることで素敵な年の取り方をしていってほしい。顔に刻まれたシワも、生え際から出てきた白髪も、髪の薄くなった頭部も、素敵な人生を送ることで、素敵に見えるのではないだろうか?それらを隠すのはもう止めて、それらをどうやって素敵に見せるかを考えていこう。