2010年3月12日金曜日

ボランティア活動の意味

人間というのは不便なもので、頭でわかっても、実際に自分で体験しないと実際のところはわからない。バーチャルリアリティがこれをどこまで補うかは楽しみなところだ。いろいろな苦労をバーチャルに体験できれば、精神的に鍛えることが可能かもしれないが、逆に緊張感がなくなってしまうかもしれない。

とはいえ、それはかなり先のことなので現状について話すと、まず人間は自分が困らないと、他人がどんなに困っているかも実際にはわからない。つまり人を助けられる人格者になるためには、自分はそれに等しいかそれ以上のつらい経験を味わうことが必要になる。そのときに他人に助けられると、次から今度は他人を助けられる人間になれるのだ。「情けは人のためならず」という言葉を常に覚えていればよいのだろうか、なかなかそうはいかない。だから、助けられてやっとそういう人間になれたりする。

アメリカではボランティア活動が就職にとってプラスに働くと言ったが、なぜだろうか?まずは、社会に貢献している人間を評価するということだろう。それに他人に貢献している人間は会社にも貢献できると考えるのかもしれない。社会に貢献するということが大切だという考えは日本も同じだろうが、それを評価する仕組みがないからボランティアに積極的には参加しないのだろう。次に、アメリカは弱肉強食の社会だ。つまり、弱者がでる。弱肉強食の世界を維持するためには、強者は弱者を救う必要があるのだろう。彼らがよく寄付をするのもそういう背景のような気がする。強者が大量にお金を儲け、それを弱者に寄付をする。そいう社会の仕組みのような気がする。

ところでボランティアという単語を英語の授業で習ったとき驚かなかっただろうか?私はものすごく驚いた。「ただで人を助けること」だとばっかり思っていたら、「自主的にする人」だったのだ。その活動の結果は同じでも全く意味が違う。大切なのは「自ら進んで自主的にすること」がボランティア活動にとって大切なのだ。他人に決められたり強制されるものではない。どうすれば人間を自主的に動かせるのか?やはり自主的にやった結果を評価する仕組みが必要なのだ。だから、そういう人間を評価するカルチャーや就職活動で有利に働くとかいう仕組みがあるのだろう。

日本もそういう仕組みを取り入れるといい。頭ごなしに自主的にやることが大切だと言ってもなかなか難しい。だからそういう仕組みを社会が作っていくことが大切なのだ。