2010年3月17日水曜日

人とのコミュニケーションとは

人に必要とされること、人に頼りにされること。これらは人間に不思議な甘い感覚を与える。さらにその期待に応えられたりすると、満足感さえ生じる。

特に動物の本能なのだろう、男性は女性に頼られると、たいていうれしくなる。その甘美に酔いしれる人も多い。あるいは、上司は部下に、親は子供に、先生は生徒に頼られると非常に喜ぶ。性別のことも含めこれら特定の場合には、頼られる側が頼られるべきであると思っているところがポイントなのだ。つまり、頼られるべきであるということが潜在的なプレッシャーになっており、逆に頼られなかったらどうしようという不安もある。頼ってもらったことでそのプレッシャーから解放されると同時に達成感に近い安心感が生まれるのだ。

報連相という言葉があるが、上司も先生も親も、自分に忠実でよく話しかけてくる部下がかわいいものだ。そして、メールでやりとりしただけよりも電話、そして電話で話しただけよりも直接顔を合わせた方がだんぜん印象がよくなる。。私はこれがコミュニケーションなのだと思う。
ネットの発展は、人的つながりというネットワークを発展させるが、コミュニケーションは発展させないことをはっきり認識しておくべきだろう。特にアノニマスで好き勝手を言うようなサイトは、コミュニケーション能力を低下させる可能性がある。ここのように自分の好きなことを一方的に書いていることはコミュニケーションとは言わない。例えネットで顔と名前を出してもだ。人とのコミュニケーションとは、相手のことを考え、相手の気持ちになってする双方向の会話のことだ。コミュニケーション能力を上げるには、実際に人と話し、自分の言葉や表情に対する相手の反応を見て、相手のことを考えるということを学ぶしかない。

アメリカの教師は給料が非常に安い。給料が安いからいい人が教師になろうとはしない。鶏と卵だ。学校とはこのコミュケーションを学ぶ上で最も重要な場所であり、その教師の給料が安いということは問題なのではないかと思う。