2007年9月28日金曜日

ちょうど一ヶ月経った

レイオフの宣告を受けてから、ちょうど一ヶ月経った。

その間に新しい仕事を見つけ、シリコンバレーから出て行くことを決めたが、USやシリコンバレーって何なのか、なぜそこで働く必要があるのか、考えていた。日本から来たときは、USとシリコンバレーに対する探究心だった。

なぜUSに行ってUS企業で働く日本人が少ないのか、なぜ日本人は他のアジアの国よりも英語が苦手で、ビジネスにおいてもなぜうまく絡んでいけないのか。

一つ実感したのは、他のアジア諸国に比べて日本は恵まれているから。働ける会社が十分にある、給料もそこそこ、物もある。アメリカ人が他の国に移住しないのと同じだ。そういえば、日本の給料は額面的にはシリコンバレーよりも安く感じるかもしれないが、税金が違う。Income Taxとして、35%くらいは引かれ、消費税やその他も税ももちろん日本より高いのだ。例えば毎月の給料が$10,000だとして、税金だけで$6,500に減り、さらに他にも天引きされてもっと少なくなっているわけだから、半分しかもらってないような気分になる。額面だけ比較して嘆かない方がいい。

恵まれていると必死さが足りなくなるのだと思う。その必死さがないから、積極的になれないのだろう。

そして興味のあったもう一つは、多くのIT企業が立ち上がるシリコンバレーとはどういうところか。

私はエンジニアとして一年ちょっと働いただけで、会社を立ち上げたわけでもないので、そこまではわからなかった。ただ、ここで会社を転々としてエンジニアとして働き続ける彼らを見ていて、IPOで一儲けすることを夢見る理由がわかったような気がした。年齢に応じて徐々にエスカレーターを昇っていく日本企業と違って、会社を転々とするエンジニアのほとんどにはそんなエスカレーターはないのだ。せめてIPOにのっかって儲けたいと思うのは当然だ。彼らだって、給料はそんなによくなくても、いいポジションがもらえるならそこに行く、名誉欲のある普通の人間なのだから。

私はUSに残ってまだまだこの探求を続ける。

2007年9月27日木曜日

日本はどういう国かと聞いた

インタビューに行ったときに、彼らから見て日本はどういう国かと聞いた。

おもしろいことに、いきなり「男社会」という答えが帰ってきた。私が女だからかもしれないが、それにしてもそんな答えが返ってくるとは思わなかった。私から日本では女はたいへんだなんてことを言ったことはないが、向こうから何人もそのことを切り出してきたから驚いた。

よく考えてみれば、私が家族もなく単身USに働きに来た上、今回も日本に帰らずこちらで職を探している理由が、日本では女性は就職しにくいからと見えたのかもしれない。なるほど、と思った。

日本の会社では男が優先されるのは、話題にすることもないくらい、私にとっては当たり前のことだ。ただ、USの人間がそれを認識していることは意外だった。こちらに来て感じたのは、日本人女性と違って、特に中国人、インド人女性は自分で仕事を持って逞しく生きているということだ。

侵略されたり迫害されたりしたものは、強くなるということなのだろう。

2007年9月26日水曜日

アパートの解約をした

いよいよ引っ越すことが明確になったので、アパートの解約をした。

12ヶ月の賃貸契約を5月にしたばかりだったので途中で解除することになる。私の住んでいたアパートでは、解約の申請から一ヶ月は支払いしなければならないのに加え、二つ選択肢があった。
1.$2000払う。
  ただし、借りるときに受けていた割引サービス等はなくなる。
2.次に入るまで、そこの家賃を払い続ける
おそらく一ヶ月くらいでみつかりそうなので、下のほうが安そうだが、精算が面倒なので1にした。

一ヶ月以内にはここを出て行くことになった。

2007年9月25日火曜日

遂にオファーを受けた

やっと7日経ってオファーが来たので、遂にオファーを受けた。

正式な異動の日付が9月16日で9日前になっていたので、間違いかと思って電話した。

ところが、これは意図的だった。会社は2週間単位で給料を処理するため、異動もそれに従わなければならない。次の異動可能日は10月1日になるが、そうするとレイオフの予定だった9月21日を過ぎてしまうため、一度レイオフしなければならなくなる。それを避けるために、前の9月16日にしなければならなかったとか。

そのために異動先の部署は、9月16日から給料の支払いをすることを承認してくれた。

システムいうのは融通がきかないものだ。

2007年9月24日月曜日

ちょっと振り返ってみた

期限の三週間が過ぎて落ち着いたので、ちょっと振り返ってみた。

会社に残るか、日本企業に移るしかないとわかったとき、「会社に残るため本社のあるところへ引っ越す」とすぐに決めた。
どうしてもシリコンバレーに残りたければ二つ選択肢があった。
 1.小ぢんまりと残った小さいチームに移って、
新しい仕事を初心者としてやる
 2.シリコンバレーの日本企業に移る

でも、自分のキャリアパスにとって有効かどうかが、次の職場を決める上で大事なので、それらは選択肢に入らなかった。
それに、よく考えてみれば、いい場所に住みたいなら、シリコンバレーに来ないで東京にいればよかったのだ。私にはシリコンバレーよりも東京の方が住みやすい。

USに来たのは、USの会社でキャリアを積みたいと思ったからだ。

今回の異動は、幸運にも、私のキャリアにとっていい方向に進む。

2007年9月21日金曜日

期限の日が来た。

遂に、期限の日が来た。レイオフの執行日だ。

朝8時半から、一人30分ずつ、人事との面接をして、バッジやPC、コーポレートカード、携帯を返却していった。意外にも延長もなく、時間通りに進んでいき、私の番が来た。

実は内々定はもらっているものの、正式なオファーのプロセスをふむため、それともう一つの方を断るために、今日は朝から電話で格闘していた。何件か断りの電話をすると、少しほっとした。
それと、オファーを受ける方の手続きがまたたいへんだった。

オファーを出す相手は決まっていても、求人情報を最低7日間はウェブに公開しなければならない。そして、7日間は誰にもオファーを出せないよう法律で決まっているらしい。
私の場合、公開されたのが19日だったので、来週の25日まで待たなければならないことがわかり、さらに、今日のレイオフのパッケージをどうするかをいろいろなところに聞かなければならなかったのである。結果的には、私が受ける予定のオファーのうち、どちらかを必ずを受けるという確認だけをして、パッケージは受け取らず、バッジも返さずにすんだ。

オフィスの雰囲気は暗く、また、今日に限って外もどんよりとしていた。
Posted by Picasa

2007年9月20日木曜日

ついに決めた

今日、ついに決めた。二つもらっていたオファーのうち、最初にオファーをもらった方に、ついに決めた。

最初にもらったからではない。全く違う環境で、インドのコントラクターを使って、新しいものを立ち上げるというところに惹かれた。働いている人達も、お互いを信頼しているようでよかったし、自分達が何をするべきかということについて、皆が同じことを言っていた。これには組織力の強さを感じた。驚いたのは、おそらく700-1000人はいるであろう部署のトップが、新しく入ってくる人間一人一人と必ずインタビューをして、自分達のビジョンを説明してくれるのだ。だから皆が同じことを言う強い組織なんだと思った。

この決断をするために、何人かの人に意見を求めた。いろんな人のいろんな視野からの意見は貴重だし、信頼されているからこそ意見を求められているんだと向こうはわかってくれる。だから、聞いておけば、後で困ったときにもまた助けてくれる。こういう頼るべきことは頼る。人間関係ってこうやって築くものだと思う。
彼らも50-100人くらいの自分の部下をかかえているのに、部下ではない私のために時間を割いて、真剣にえてくれる。ありがたいことだと本当に思う。

今回、仕事先を紹介してくれた人たち、私を推薦してくれた人達、そして私の将来を真剣に考えてくれた人達に感謝すると共に、いつか恩返しできたらなと思う。

2007年9月19日水曜日

また良い連絡があった

今日は、先週受けたもう一つの方からも、また良い連絡があった。

インタビューはぼろぼろだったが、おそらく周囲からの助けによるものだろう。オファーを出すことにしたらしい。さらに追加の電話インタビューが二つがあったが、これは難しいことではなかった。

どちらかのオファーを受けて今の会社にい続ける以上、レイオフされなくなる。というか、正確に言えば、8月29日に、9月21日にレイオフをするという宣告を受けたのだ。だから、9月21日までに社内で仕事を見つければ、レイオフされるわけではない。見つけなかった場合、9月21日にレイオフのパッケージを受け取ることになる。

ちょうど三週間前の今日、そのレイオフ宣告があった。あの日、まさか三週間後にここまで進めるとは正直思ってなかった。だから、9月21日にレイオフのパッケージを受け取る覚悟ができていたし、すっかりレイオフされた気分になっていた。

ところが、実際は間に合いそうだ。たくさんの人にお願いしたが、彼らの助けがあってこその結果だ。

私も人が困っていたら助けられる人間になろう。

2007年9月18日火曜日

インタビュー慣れしてきた

今日も朝10時から4時半まで、お昼をはさんで計7人とインタビューしたが、インタビュー慣れしてきた気がした。

先週のところよりも、内容的にかなり得意な分野だったし、インタビューもリラックスした感じだったということもあるかもしれないが、慣れてきたせいもある。インタビューなので向こうも気をつかってはいるものの、その人がどういう人かというのも見えてきた。

選ぶ上で私にとって一番重要なのは、一緒に働く人がどういう人達かである。特に上の人間のカラーが下に影響するので、上の人間がすごく重要だと思っている。あと組織力のあるところがいい。

これらの点から、今日の二箇所は選択肢から外れた。

2007年9月16日日曜日

また月曜日には進展があった

相変わらず、また月曜日は進展があった。先週インタビューしたところから、内々定のようなオファーの連絡があったのだ。

それと、午後になって急に新たなインタビューの連絡があり、また急遽出かけることになった。

私は来週にしてほしかったのだが、人事は仕事を減らしたいのだろう。現地11:59pm着というフライトで出かけた。AVISのカウンターに着いたのが12時半頃だったが、暇なせいか、カウンターの人がいろいろと話をしたがった。

ホテルの部屋でネットにつなごうとすると、先週と同じく「Too many subscribers are logged in. Please try again later.」とでてきていっこうにつながらない。しょうがないので、先週と同じく、モデムでつないだ。何度トライしてもつながらないと一気に疲れた気分になったが、ピーピーピー、ガーガーガー、ピーッツー、、、、ピーッツーピーッツーという音を聞くとなぜか懐かしい感じがした。

さすがに最後の週はドタバタしそうだ。

2007年9月13日木曜日

渋滞で参った

飛行場まで急いで向かう途中、渋滞で参った。

全く動かなくなったので、一般道を抜けてTollwayから行った。お陰で時間は十分間に合ったのだが、焦っていたので、レンタカーの中にお財布を忘れてきてしまった。

セキュリティチェックもすませ、ふらっと買い物をしようとしたところ、お財布がないことに気づいた。慌ててAVISに持ってきてくれるように頼んだ。最初人手がないからだめだ、メールすると言われた。いろいろ考えたが、やはりお財布がないと空港の駐車場代も払えないので、しつこくお願いしたら、持ってきてくれることになった。

とはいえ、すぐには出会えず、親切なアメリカンの人がAVISに何度も連絡して落ち合う場所を確認してくれた。結局、そのフライトにはのれなかったが、次のフライトで帰ってきた。10時半に飛行場に到着して歩いていたら、日本で働いていたときの営業の人がポツンと座っていた。世の中は狭い。

朝9時から4時までお昼をはさんでずっとインタビューをし、17時間活動していたことになる。
とにかく長い一日だった。

2007年9月12日水曜日

どっと疲れた

今日は予期せぬインタビューがあった。どっと疲れた。

そんなインタビューがあるとは思ってもみなかったので、抜き打ちテストにあったような気分だった。そして何よりも内容が思ってもみなかったような内容だったので困ってしまった。

まずは、全く見たこともないようなものを書かれた為に、自分が考えてわかるのかどうかさえわからなくなってしまった。次に、技術的な質問なら知らないものは知らないので答えようがないが、そのことをどう取り扱うべきかわからなかったのだ。まさか教えてもらうわけにもいかないし、でも聞かなきゃ全くわからないし。プレッシャーを与えて反応を見るテストの意味もあったんだと思う。

でも、インタビューしていた3人のうち、一人はあからさまに途中から興味をなくし、二人はつきあってくれた。私が逆の立場のときには、私はちゃんと最後まで質問すべき内容はする。

背水の陣の状態で仕事を探すのはきついものだ。

2007年9月11日火曜日

インタビューに出発した

インタビューに出発した。

飛行機の隣に座っていた人が、私の本を見て話しかけてきた。実際には本に興味があったわけではなく、日本に4年程住んでたことがあるとかで、日本語が使いたかったのだろう。

今の会社がミリタリーで、中国に売りに行けと言われたが、それが嫌で仕事を探していると言っていた。

先週上海の中国と日本の合弁会社を見に行ったらしい。中国人の方が圧倒的に多いが、役員は日本人が多いとか。日本人は中国語がわからないので、社内で通訳を使っているが、関係がうまくいっていないと言っていた。
彼は「カルチャーが違うからうまくいかないんだ」とおかしなことを言っていた。別に、会社の中で、国と国との関係を改善しようとかいうわけじゃない。国の問題じゃなく、人として個人個人のつきあいができるかという問題なのだと思う。

相手を理解しようという気持ちがあればできるものだ。

2007年9月10日月曜日

朝会社に行った

今日は朝9時半に出社したら結構人がいて驚いた。そういえば私は、レイオフ宣告後、初めて朝会社に行った。

今回のレイオフの後、簡単に仕事を見つけられる人とそうでない人がいる。その人がどちらかは、顔を見れば一目瞭然だ。でも、実はそのどちらかは、レイオフされる前からわかっていたことなのだろう。

思い返してみると、他では今以上の仕事が見つけられないと思っていた人は、周囲の人に気を遣っていたと思う。ところが、仕事が見つけられる人達は、尊大な態度をとっていたと思う。
以前、お客とのミーティングで「この人がいるから私達はここで働けるんだ」と感じさせられたことがある。多分、彼自身が心の中でそう思っていて、それが態度にありありとにじみでていたのだろう。事実、そのミーティングで客とまともに議論できたのは彼だけであったが、あからさまに周囲に「役に立たない奴等だな」という態度をとっていた。

仕事を見つけられる人かどうかは、レイオフのない日本でもわかっていることなのではないだろうか? 日本では、仕事を見つけられない人でも、レイオフの心配がないから周囲に気を遣う必要はない。一方、仕事を見つけられる人は、「自分達のおかげで、お前達はここで働けるんだぞ」と思って態度に出ているかもしれない。レイオフできない日本にはけっこう余剰人員がいて、ワークシェアリングをしているのだから、できる人にとってはいらいらするのだ。

どうするべきか?「できる人が、そうでない人に仕事をわけてあげればいい」という考え方も、奢りだと思う。お互いが本当に必要だと思える関係を作ることが大事なんだと思う。

そういう職場を探したいものだ。

2007年9月9日日曜日

今週は良い連絡があった

月曜日は進展があるのでいい。特に、今週は良い連絡があった。

まず今週インタビューのために2泊3日ででかけることになった。そこで2箇所のインタビューを受ける。

それと今のチームのマネージャーから電話があった。「今のチームごと雇って、それでシリコンバレーにデザインセンターを立ち上げるという話がある。明後日ホテルにその会社の人間がくるが、行けるか?」という話だった。なるほど、おもしろい。チームのマネージャと、チームのリーダになりたかった二人にとって、ポジションを手に入れられるいい話だ。だが、他の人にとってメリットがあるように見えない。

私の場合はビザの問題があるのでお断りした。一旦日本に帰って戻ってくればいいと言われたが、来年の10月まで戻って来れないから無理だといったら、残念そうだった。

とにかく私は、自分のインタビューの準備をしなければ!

2007年9月6日木曜日

10日経ってしまった

10日経ってしまった。考える時間だけはたっぷりあった。

今回のレイオフでは、200人近くいた部署全体がなくなった。半分を売り、残り半分を社内で処理したが、売ったところの中にも、社内で処理したところの中にも、他に引き取られたところとレイオフされたところがある。
評価の高いマネージャのグループは他の部署に行けたが、そうでないグループはレイオフされたのだ。

特に、部下や周囲とうまくやっているかという評価が大切になる。マネージャとして不適格な人間もいるが、そうでないが敵ができる場合もある。ビジネスを成功させるために強引なやり方をすれば、敵をつくることもある。
逆に、ビジネスよりも周囲とうまくいくことを優先して業績があがらなければ、そのポジションから追い出される。

二つのバランスをとるというよりも、それらは矛盾することなのだと思う。

その矛盾する二つを解決する力を身に付けたい。

2007年9月5日水曜日

やりたいことが見えてきた

一週間たって、徐々に自分がやりたいことが見えてきた。

履歴書を書いたり、オポチュニティがあるところの人たちからどういうポジションを探しているかを聞いていると、それを自分がやりたいか考える。それで見えてきたのだろう。逆にシリコンバレーに来てから今まで、そういうこともしなかったから、今の部署で何をしたいかを考えていて、広い意味で自分が何をやりたいかがぼやけていたのだ。視野が狭まっていた。

また、ここから、自分のキャリアのために、仕事内容の転換が必要な時期であることも見えてきた。

レイオフとはいえ、こういう機会を与えてくれたことに感謝している。

2007年9月4日火曜日

週末明けは連絡が多かった

やはり週末明けは連絡が多かった。悪い知らせも、ないよりいい。

いろんなオポチュニティを見ていて思うことの一つに、自分は「地位」と「名誉」と「財産」のどれが一番大事か、ということがある。

シリコンバレーのエンジニアが一つの会社にいる平均年数は5年以下らしいが、そうして会社を転々としても地位は得られない。代わりに、IPOを期待するか、それなりの給料をもらって実作業をする。
特にコントラクターとして働けば時間給なので、正社員として働くよりも稼げる上、上司のことを気にする必要もなく、さらに、気に入らなければやめればいい。上司に限らず、同僚達にも気を遣う必要はない。
そうやって、ずっとエンジニアとして労働力をお金にするのだ。

正社員はコントラクターよりも給料が安いが、一つの会社に正社員として長くいれば、それなりの地位が得られる可能性がでてくる。もちろん、社員ならば、会社から保険等のBenefitも与えられるので、その辺は金銭面的なトレードオフにもなる。

ITバブルの頃は会社を替わることで給料も上がったが、今はそんなでもない。
それでも若いうちは転々としていてもいいが、人はある程度の年になると、地位がほしいし、人の上に立ちたいと思うようになるようだ。だから、ある程度経験を積んで稼げるようになったけど地位が得られなければ、コントラクターとしてその高い労働力をお金に変えることになる。

私は名誉がほしいが、これは難題だ。

2007年9月3日月曜日

進展のない週末だった

こういう時にきついのは、進展のない週末だ。おまけにLabor dayのおかげで3連休だったので、食べて寝まくった。

平日には人とお互いの進捗状況を話したりして、他の人の良い状況を聞くと自分も大丈夫だと感じられる。週末でもウェブでいろいろ職探しをしたりはできるはずだが、やる気がしなかったので私も休むことにした。休み中は返事がないのでストレスを感じる。そういえばレイオフ説明会で、社内の仕事を探すページの使い方の説明があったのだが、そこに書いてあった。「(人事はたくさん履歴書を受け取るので処理に時間がかかる。履歴書を送った後)返事を待つ間、辛抱すること」笑ってしまった。

ところで、ふと思った。USはレイオフすることで不要な部署を潰してしまう。ところが、会社全体を縮小したい場合、レイオフできない日本はその人員をどうするのだろう?その答えの一つは、ワークシェアリングかもしれない。ワークシェアリングという言葉は決して使わないが、大勢でビジットや出張に行くイメージがある。別の答えとしては、早期退職プランを推奨したり、天下りさせたりする。今はどうか知らないが、窓際族にして居辛くするなんてことも以前はあったのだろう。

日本もレイオフするようになったら、日本の平均寿命が短くなるのではないかと思う。

平日はしっかり仕事を探すことにしよう。