2009年1月29日木曜日

争いは防衛によって起こるのでは?

動物には自己防衛本能、母性本能と、防衛本能が備わっている。多くの場合、争いの種はその防衛本能なのではないかと思う。

もちろん、攻撃と見るか、防衛と見るかは難しいところだが。例えば、ライオンがお腹を空かせた子供の餌として馬を襲えば、馬にとっては攻撃だが、ライオンにとっては子供を命を守ろうとする母性本能だ。いずれかのチームをレイオフすることが決まっているとして、チームの防衛のために自分のチームのパフォーマンスを他のチームよりも優れているとアピールすれば、他のチームから見れば攻撃なのだ。夫婦がお互いに自分の身内を守ろうとすると、相手にとっては攻撃に思え、夫婦喧嘩になる。

動物は防衛本能が働くとき、攻撃的な態度をとるからだろう。「攻撃は最大の防御なり」ではないが、防御と攻撃は表裏一体だということなのだろうか?では、守るべきではないのだろうか?自分はともかく、家族や仲間を守るのは良くないことなのだろうか?

強すぎる防衛本能は敵を作り、争わせる。敵を作らないためには、どうやって守ればいいのだろう?

男性のマネージャには、自分を偉く見せたいという虚栄心が強く出る人が多い。男は立て社会に生きるとよく言われる所以だ。一方、女性のマネージャには、自分は他人とは別格だと思ってしまう人が多いが、そうでなく、防衛本能が強く出る人がいる。その人のチームにいる時はいいが、そのチームの横にいると被害にあう。

サバイバルゲームや椅子取りゲームで勝ちながら敵を作らない方法は、勝ちをとりにいきながらもそれを表に出さず、勝ったことを喜ばず、目立たないようにすることかもしれない。つまり、感情を表に出さず、一定に見せ、おとなしくしていることなのだろう。

そういう人間になりたいだろうか?

2009年1月28日水曜日

インターネット電話の普及は?

家でインターネットを使っていればネットワークはつながっているのに、固定電話を申し込むと新たに電話料金を払う必要がある。インターネット電話なら、使っているインターネットを利用して安く電話が使える。

なぜ普及しないのか?第一の理由は、PC依存性だろう。PCにインストールし、使う時にPCをを立ち上げないといけない上、自分で問題は解決しなければならない。第二の理由は、固定電話に対する今までの意識の問題だろう。固定電話は様々なIDとして使われるもの、家族のもの、そして常に待ち受け状態でなければならない、非常時に使えなければならないという認識だ。

PC依存性については、解決は難しくないだろう。ただ、電話は買い替えサイクルが長いのでスカイプホンのようなただの電話機で買い替えを狙うのでなく、いっそテレビ電話のようなものにして新しい市場を開拓した方がいいだろう。

意識の問題の方が大きい。実際には、携帯電話の普及と、日本では販売奨励金の廃止と番号ポータビリティによる買い替え率の低下により、個人の固定された番号として使えるようになってきていると思う。ただし、米国では固定電話と市外局番は同じだが、日本では固定電話と区別されている。携帯電話の普及により、固定電話の必要性も変わってきているのだが、人の意識を変えるには時間がかかる。

では、今の段階での理想的な形とは?個人が携帯を持ち、その番号がIDとして機能し、家で長電話をするとき以外は携帯を使うことだろう。家で長電話するときのみインターネット電話を使えばいい。後は非常時だが、インターネットが普及しているエリアならば、それなりに人口密度もあって大丈夫ではないのだろうか?

2009年1月27日火曜日

今日のレイオフ

今日はとうとうレイオフが実行された。

月曜日の午後にレイオフのアナウンスがあることはわかっていたのだが、その日のランチのフォーチュンクッキーときたら
 Be prepared to receive something special within the week
だった。わざとこの時期に、そういう内容を作って製造しているに違いない。フォーチュンクッキーの当たる確立があがるからだろう。

月曜のアナウンスの後、帰り際にセキュリティの人が大勢いた。翌日の段取りの確認だろうか。
火曜にセキュリティの人が私の席の近くに立っていて、レイオフがあったが、今回は対象にならなかった。

ところで、なぜセキュリティの人は制服を着ているのだろう?

2009年1月18日日曜日

パキスタンも緊張

ロンドンからの帰りの飛行機、隣がパキスタン人の親子だった。隣の人は今はアメリカのcitizenでアメリカに住んでいて、父親をアメリカに連れてくるためにパキスタンに行ったということだった。

彼は私がイスラエルに行ってきたという話をしても、最初イスラエルが戦争中だったことはすっかり忘れていたと言っていた。パキスタンもインドでの件以来、特に国境付近が緊張状態だからだと言っていた。飛行機もあまり飛ばなくなっており、ドバイ、ロンドンと二回乗換えだったらしい。セキュリティが厳しかったかと聞くと、彼は年寄りの父親を連れているので、簡単に通れたと言っていた。国自体は、イスラエルと同じで、いつもと何も変わらないということだった。

彼がガイドブックのようなものを持っていたが、よく見ると、12月のインドの件について書かれた本だった。こんなにすぐにガイドブック並みの本がでることにも驚いたが、中に一枚も写真がなく、ひたすら文章が書いてあるだけだった。彼自身も、この本はパキスタン寄りに書いてあるといっていたが、何とも複雑な感じがした。

いろいろな国でもめていると思うと、悲しい気がした。

2009年1月17日土曜日

日本人が無宗教な理由

以前は、宗教に頼るのは、許されたいからだと思っていた。懺悔することで神に許され、救われるのだと。だとすれば、相手が生きている限りは、神でなく、相手に直接言って謝って許してもらうべきだと思っていた。懺悔した人間は気持ちが楽になっても、腹を立ている方の人間の腹の虫は納まらないからだ。だから、人間同士でお互いに許しあうほうが健全だ。実は、そういうビジネスもありかなと思っていた。謝りたいけど声もかけられないという人の依頼を受け、うまく間をとりもって和解させるというビジネスだ。結婚相談所がありなら、和解相談所もありかなと。もちろんかなり難しいけど。

ところが、イスラエルに行く時に空港で小さなチャペルを見つけたとき、つい祈りたくなった。ここで祈ることで飛行機が無事に着くなら、と思ったのだ。そこではっとした。人は恐怖を取り除きたいときに、神を求めるのかもしれない。だとすれば、戦争している地域の人たちはより信仰心が強くなるだろう。

そう考えれば、戦争のない日本において日本人の信仰心がどんどん薄くなったのも納得がいく。無宗教だと答えるくらい、宗教に頼る必要のない平和で安定した国になったということなのだろう。

世界中が経済悪化によって不安が蔓延してきている。こういうときは、宗教に頼る人が増えるかもしれない。こういうときは宗教や占いを仕事にした方が儲かるかもしれない。

2009年1月16日金曜日

イスラエルでの公園のシンボル

前回イスラエルに行ったときには戦争中でなかったので、ツアーに参加してハイファに行った。そのときにガイドがおもしろいことを二つ言った。一つ目は、「紛争の理由は宗教ではない。水なんだ。」例え水が問題だとしても、実際の問題は、それを宗教に関係した民族間で取り合う点なんだと思う。
二つ目は、町の中心の公園にあった星のシンボルを指して「これはユダヤの星じゃない。町の景観をよくするための飾りだ。」と言ったこと。景観のためなら、花時計とかもう少し波風のたたないものを選ぶことができたはずだと思う。大事なのは、どういう意図で作ったかでなく、どういう意図に受け止められるか、なのだから。

なぜそんなにも公園に星を置きたかったのだろう? 
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2009年1月15日木曜日

戦争中のイスラエルにて

今週イスラエルに行ってきた。
ホテルでは毎日テレビでガザでの戦争について見ていたが、ホテルからの景色はこんなで、ヨットにのったり浜辺を散歩している人たちが不思議だった。ここはTel Avivからタクシーで20-30Kmくらい北に行ったところにあるHerzliyaという町とはいえ、ガザと同じ地中海に面している。 
みんな、ここは安全だという。レバノンからミサイルが来ると、タクシーの運転手さんも、「心配ない。レバノンが来ようとしてもイスラエルが許さないから大丈夫」と言う。タクシーのラジオはヘブライ語だが、しきりにハマスと言っているのは聞こえる。何といっているのかと聞くと、知らなくていいことだと言われた。どういう意味かはなんとなく聞けなかった。 
一方、これは帰りに寄ったロンドンでみかけたもの。 "ISRAEL GOVERMENT END THE VIOLENCE"。イスラエルの写真よりもよっぽど緊張感があるように見える。イスラエルのホテルでたまたま電気が止まった日があった。ホテルのフロントに「これは危険な状況なの?」と聞いたら、ホテルの人たち、通りすがりの客まで私を見て笑った。イスラエルには緊張感のかけらもなかった。 
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 そんな話を帰ってきてからアメリカ人にしたら、「自分たちには関係ないことだからアメリカ人は関心ないよ。イスラエルのニュースなんてローカル局ではやってないしね。」と言われた。ほとんどのアメリカ人というのは、非常にドメスティックな人たちなのだ。