2010年2月25日木曜日

優越感という悪

どこの国も、人間に順位をつけてきた歴史を持つのではないだろうか?
生まれで決めるカースト制度は有名だが、そういうランクに限らず、ユダヤ人迫害のような宗教、先日のモンゴルのような民族、言うまでもなく人種、肌の色で優劣を決めたがる。なぜ他人を下に見る必要があるのだろうか?

動物も、宗教はないにしても、同じ種類の動物の中で生まれや種類や色で優劣を決めるのだろうか?例えば岩とびペンギンと冠ペンギンや、ドブネズミと野ネズミの間に優劣はあるのだろうか?力の差による優劣はあり得るが、その力関係を明確にするために人間のように群れ同士で陣地争いはしなそうだ。

ではなぜ人間だけが群れを作って戦い、力関係を明確にし、その後その力関係を維持しようとするのだろうか?優越感というおかしな感覚のせいだろう。この優越感という感覚さえなければそんなことはきっとしない。他人に対して優越感を感じることは悪いことだとなぜ教育しないのだろう?他人に暴力を振るうのは悪いことだ、他人から物を盗むのは悪いことだと教えるのに、優越感という他人に視覚できる危害を与えないことは許されるのだろうか?遺伝子自体が優勢/劣性という性質を持ち、それによって優れた遺伝子で子孫を残す生物である以上、優劣を決めることからは逃れられないのだろうか?だとすれば、より強い遺伝子である方を優性と認識すべきではないのだろうか?

今日一緒に食事をした黒人の女性がレストランで明らかに機嫌が悪くなった。明るい席がいいと言ったのにレストランの人間が開いてないと言って譲らなかったからだ。空いている席は今日客が150人ほど来るから使えないということだった。私はそれでしょうがないと思ったが、彼女にはそう思えなかったようだ。ダラスは他の地域から来たMBAを持つ黒人にとっては耐え難いところなのだろう。シリコンバレーで黒人を見かけることはほとんどなかったので以前はあまり考えなかったが最近は思う。彼女たちが今までに受けた屈辱は私の想像以上に違いない。
そこでふと思ったのだ。「なぜ優劣を決める必要があるのだろうか?」と。