2010年2月1日月曜日

成長から貢献へ

人間は成長し続けなければならないと書いたが、それはなぜか?生物の本能みたいなものだと思う。人間も含め生物は、変化を嫌う。だが、進化、成長を望む。

例えば、ロールプレイングゲームというのは見たことがないが、聴いた範囲で理解する限り、成長することによって人間の本能が満たされるのだと思う。現実社会では、努力をしたって結果が出ない、報われないことが多い。いきなり難題を言われたり、適切な導きがないとなかなか成長というのは難しいのだ。それが、ゲームでは適切な導きのもと、確実に一歩一歩進んでいくと、成長感で満たされていく。学校で数学の問題を解くとき、いきなり応用問題を出されたら解けない。まず例題を示し、練習問題をさせてから、応用問題を解かせる。すると、不思議と解けるのだ。人間の脳に学習させているのだ。

ゲームはよくわからないが、子供の頃、エースを狙えを見ていて、岡ひろみがものすごい速さで上達し、どんどん強い相手を倒していき、最後には憧れのお蝶婦人まで倒すことに気持ちが晴れ晴れしたことを思い出す。すっかりその気になって中学で硬式テニス部に入ったが、結局選手にすらなれずに終わったとき、現実を知るということを学ぶことが来出た。

自分の無限の成長の可能性を夢見る時期は過ぎたものの、それでもなお、成長し続けたいと思う。最近、以前の勢いがなくなってからというもの、周りの人間の学習意欲が極端に落ちている。もちろん、中国は今でも意欲的に学んでいるだろう。だが、明らかにアメリカ、日本の人たちの学習•成長意欲が低下した。この仕事•勉強を続けたところでそれが生きるという感じがしないのだろう。今いる業界自体の問題もある。しかし、仕事そのものへの不安が邪魔をしていると思う。親が離婚の話をしている家庭で子供が勉強に集中するのが難しいのと同じだ。直接関係なかろうが、集中などできるはずがない。

では、成長本能および欲求は満たされなくていいのか?人間はある程度年をとると物理的に成長しなくなる。そのとき成長本能も弱まるのだろう。では、そのときに人間は何を求めるのか?例えば、成長できないなら働くことを止めるのか?そんなことはない。人間が働く理由は物理的にはお金を稼ぐためが基本だが、それと同じくらい精神的に満たされることも大切なのだ。どうやって満たされるのかというと、「他人から必要とされる」「他人から感謝される」ということで満たされるのだ。自分一人では生きていけない、自分を他人に映し、その映った姿がいい自分であることを確認することで、自分の存在意義が感じられ、満たされるのだ。

だから私は、55歳までは自分のために働き、55歳以降は他人の為に働くと決めている。55までは自分がどこまで成長できるのかその可能性を試してみたいが、それ以降は他人が必要としていることを社会のためにやって貢献していきたい。もちろん、55までも社会で働く以上しっかり貢献するのだが、少し方向性が違う。

さあ、あと17年間、どこで何をしてみようか?