2010年1月14日木曜日

会社による間引き

事業改変が日本企業で可能なのか?

××の事業を止めて○○の事業をするから××の人材を切って○○の人材を採る、と事業ベースに米国企業は考える。
一方、日本企業は、○○の人材があるから○○をしよう、××の人材がいないから××の事業はしない、と人材ベースに考える。

事業改変とは、事業を売り上げのあがる事業へと変更するものであって、人材をどう活用するかをベースに考えるものではない。運良くそれらが一致すればいいが、そんなことは稀であろう。

投資の選択と集中をする過程において、キャッシュカウとなった既存事業のリソースをどうするかという問題が生じる。新規事業にうまくフィットすればいいば、フィットしない場合、出て行ってもらうか、お金をかけて教育するかしなければならない。お金をかけて教育するなら、考え方が柔軟で先の長い新卒がいい。教育への投資資金が十分にある状況ならともかく、景気が悪いとなると、今まで貢献したが、頭も固く先のより短い人には出ていってもらうしかない。それがレイオフだ。転職のインタビューでその会社に決まらなかった場合、「その仕事が自分にフィットしなかった」という言葉を使う理由がよくわかる。

米国企業と日本企業、どちらが正しいということではないだろう。自分たちがどちらを選ぶかの問題であり、どちらもありなのだ。植物の成長過程において、間引きをするかどうかに近い。弱肉強食の世界では間引きが行われるのだ。

会社の存在意義は「お金を儲けること」だ。そして、社会が成長し続けるためには、会社が成長し続けなければならない。そうすることで、社会が成り立つ。間引きすることでその会社が成長できるかもしれないが、社会全体のバランスを崩してエコシステムを壊してしまっては、元も子もない。だから間引きして強靭になりすぎた企業は、独占禁止法によって罰せられることになる。そうやって、ほどよく競争し合えるよう環境のバランスを整えることが、必要なのだ。つまり、間引きしてひたすら強くなればよいということでもないと言える。

こう考えてみると、私たちは、ほどよく競争し合える場を与えられ、絶対安全圏に入ることは許されず、そのフィールドで常に戦い続けることを求められているということになる。だから、戦うこと、競争することを諦めてしまったらいけないのだろうか?