2010年7月16日金曜日

円高の先

円高が進行している。

中国のGDPの伸び率の鈍化、アメリカ、ヨーロッパも回復していないなどの海外経済の状況、および、今回の経済危機の影響が他に比べて少なかったことが、円高をあおった。

つまり、他者のよくない結果による円高だ。
例えそうでも、もしもこれが、自ら経済危機を乗り越える方法を考えて実行したことにより導かれた結果であるならば、誇らしいことだ。ところが、実情は政治家を批判し、企業は国際競争力を失ってきている状況で、プラスの結果がでているわけではない。
良かったことは経済危機の影響が少なかったことだが、これは、過去のバブル崩壊の失敗時、バブル期のキリギリス精神を改め、アリ精神に心を入れ替えていたことだろう。無駄遣いや一攫千金思想を止め、堅実に生きることを考えるようになっていたからだと思う。

こう感じるのには理由がある。
私はバブル崩壊後に就職をしたので最初からアメリカ人と仕事をしていて、自分達は家族を犠牲にてアクセク働くアリのようであり、アメリカ人は昼間はずっとバイオリンを弾くが、夕方には家に帰り、休暇をたっぷりとって家族を大切にするキリギリスのような気がしていたのだ。「Don't work hard!」と言って帰る彼らを見て。
ところがこの景気悪化で状況が変わった。休暇を長くとってバケーションというよりも、疲れをとるために休みはとるが、その間もメールはチェックし続け、電話にも出るようになってきた。おそらくVPレベルはここ2年くらい休暇もとっていないだろう。もちろん、職を失うのだはという心配があるからそうしているのだろうが、彼らの仕事に対する距離感が、日本人に近くなってきたような気がする。
私にはこれが、かつての日本のように、彼らもアリになってきたように見えるのだ。それだけアメリカ人は危機感を感じて、必死で頑張っていると思う。

ここで問題なのは、逆に危機感も感じず、変わらずにいる日本だろう。
周りが神輿を担いで日本をその神輿の上に載せた。楽なのでその神輿の上に鎮座する日本。かたや、必死に神輿を担いで原に力を入れて走る他国。神輿を担いで走った分、力をつけてくるだろう。彼らが神輿を担ぐ必要がなくなり、各自で走った方がよく走れるようになったとき、誰も担いでくれなくなった神輿に座っていた日本はどうなるのだろうか?担ぎ手に居なくなりその場に取り残された神輿の上で途方にくれるなんてことがないよう、神輿から降りて、一緒に担いでいきたいものだ。そうでないと、他国が復活して成長しだした時、地面に置かれた分高さを失い、円が暴落、足が弱っていて走ることもできず、自分だけが取り残されるということになりかねない。
つまり、自分の意志で神輿に上ったわけでもなく、ただ担ぎ上げられたことに気づいていないことそして、そういう場合担いでいる人間の都合でおろされてしまうということが問題なのだ。

人間は失うのが怖い。だが、まず自分が神輿の上にいることを認識し、その楽さを捨て、降りて、一緒に腹に力を入れて走っていくべきだ。