2010年5月26日水曜日

自己防衛しすぎない

子供のとき喧嘩して親に怒られたとき「謝りなさい!」と言われ「私は悪くないもん」とか「○○ちゃんだって謝ってない!」と言い返したことはないだろうか?そのとき、「いいから謝りなさい!」とさらに怒られなかっただろうか?あるいは「先に謝った方が勝ちよ」と言われたことはなかっただろうか?

自分は悪くないから謝らなくていいんだとか、相手が謝らないんだから謝らなくていいんだと自分の中で謝らなくていい理由を作ってしまうのは、自分を正当化しているからだろう。謝るというのは自分が悪かったということを認め許しを請う罰の悪い行為であり、それを避けるために自己正当化するのだ。これが人間の本質のような気がする。

ところが私たちが子供の頃はとにかく謝ることを教育されたような気がする。親だって理由なんてわからないから説明はできないが、そう教育されてきたから自分も子供にもそうしたんだろう。

お互いが自己正当化して謝らない社会じゃ、争いが絶えず、その争いに勝つ強さを持った者が勝者となっていく。お互いが謝る社会ならば、自己正当化の必要はなく、争いを避けられる。謝るとなぜか自分が悪かったと思わされるから不思議だ。悪かったから謝るはずなのに逆の現象が起こる。でも、これはいいことだ。争った場合は両者とも悪いのであり、謝ったことで両者とも反省することが大切だからだ。お互いが自己正当化して争い続ける世界では反省しない者が出てくる。

自己正当化は自己防衛本能の結果であり、その点では自己主張と似ていると思う。自己防衛しすぎると周りとの摩擦と争いを生む。人間だけではない、国もだ。周りを信じることで自己防衛しすぎないことがうまくいくこつなのではないだろうか?