2008年12月2日火曜日

高品質 → 長期耐用年数 → 環境に優しい

アメリカは、品質に対する感覚の緩い国だと思う。

アメリカ人に言われたことがある。「日本人は人の失敗をずっと覚えていて許さない。」何のことを言っているのか聞いてみると「うちの製品で一度不具合があったことがある。日本人の客はそのために、その後ももううちの製品は二度と使わない」ということらしい。そのときの客の状況・彼らの対応の仕方等、細かい状況を聞いてみないとよくわからないが、非常に腹が立つものだったのだろう。彼曰く「ドイツの客でさえアメリカに近い」と。以前、アメリカに住んでいるドイツ人に似たような質問をしたが、彼はドイツは日本とアメリカの中間だと言っていた。

再びアメリカに住んでいる別のドイツ人に聞いてみた。彼はそんなに日本の客を知っているわけではないので、日本との比較の信憑性はいまいちだが「その話の日本人ほどではないかもしれないけど、ドイツはアメリカよりも品質に厳しい。子供の頃から品質に厳しくなるよう教育されてきたんだ。安くて悪いものを大量に買うよりも、高くてもいいものを少し買うほうを選ぶ。車だって、一度買ったら大切にずっと乗り続けるんだ。安いものを修理しながら使うよりも、高くてもいいものを使い続けるほうが、長期的にはコストを抑えられるという教育をするんだ。でも、家は買わない。仕事が変わったりすると引っ越さないといけないから。」と、少なくともアメリカよりも品質はいいことを誇っていた。

アメリカ人にとって中国の客が接しやすいと感じる理由の一つが、品質に対する感覚の近さではないかと思う。品質に小うるさい日本やドイツと違って、アメリカや中国はあまりうるさくないので取引しやすいのだろう。言い換えれば、品質をあげるためにお金を払いたくないのだ。ゴミにお金を払わない国に住んでいるが故の感覚だろう。

では、お金をかけずに作った製品の品質に問題があったら、どうするのか?以前アメリカ人が自慢げに言っていたことがある。「うちの製品で問題があったことがある。でも、値段を下げると言ったら、そのまま使い続けたよ。」クレームを言う人にはお金で対処するのが当たり前なのだ。そういう私も、本を買うときにちょと汚れていたので「きれいなのはないの?」と聞いたら、安くしてくれたのでその汚れていたのを買ってしまった。日本なら「今在庫がきれていますので、新品を取り寄せます。」と言うところだろう。

日本では粗大ゴミを捨てるときはお金を払うのに対し、アメリカでは粗大ゴミは家の表に出しておけば誰かが持っていくし、チャリティのお店がひきとってくれるのでお金を払う必要はない。その結果、新興国でそのごみが問題を起こしている。アメリカから送られたe-Waste(家電ゴミ)が、新興国に有害物や発癌物質による問題を起こしているらしい。バンガロールの子供達が血中の鉛のせいで深刻な被害にあっていると聞いた。
ヨーロッパや日本はリサイクル等に厳しい。また、日本だって、私が子供の頃は、粗大ゴミを捨てるのにこんなにお金がかからなかったと思う。お金がかかり始めた頃は「なんでゴミにお金を払うんだ」と不満だったと思うが、リサイクルにはお金がかかるのわかるし、今では当たり前だ。アメリカも一旦始めてしまえば、それが当たり前になるだろう。

アメリカでは返品が簡単だ。壊れたり、何かが気に入らなければレシートと持っていけば、返金してくれたり新品と交換してくれる。だから、購入者にしてみれば、商品が簡単に壊れても取り替えればいいだけなので、あまり深刻にならない。深刻にならないだけであって、もちろん壊れるものがいいわけではないので、値段にあまり差がないなら、壊れないほうを買う。とはいえ、この返金・返品制度も品質を悪化させる原因のような気がする。製造者側にしてみれば、返金や新品との交換の代金の方が、クレーム対応のコストより安いのである。例え色が気に入らなかったとはいえ、返品された製品はどうなるかというと、もちろんごみになるのである。製造者にごみ料金を課せば、このシステムは変わって「返品お断り」になるに違いない。

こういった品質感覚の違いを作るものには、「生活環境の安定性」や「労働力のコスト」があるのではないかと最近思う。すぐに引っ越すかもしれない、またすぐに別の仕事に移るかもしれない、という生活環境では、高いものを長期で持つにはリスクがある。高く売れるかわからないものよりは、安いもののほうが売りやすいからだ。また、安価な労働力を持つアメリカや中国では、問題があればまた作ればいい。安いのだから。ところが日本は、終身雇用がベースにあった社会であり、基本的には頻繁に引っ越すわけではない。日本では引越し代が高いし、賃貸なら敷金礼金も高い。また、安価な労働力を持たないので、また作ればいいとは思えない。最初から高品質なものを作り、長く使うことが長期的には安く上がると考えるのだろう。ドイツではあまり家を購入しないというのならば、そのことが品質感覚において、ドイツを日本とアメリカの中間に位置させているのかもしれない。

高品質であるということは、壊れにくく、しかも耐用年数が長いことにつながる。耐用年数が長ければ、無駄なごみを抑えることになる。つまり、環境に優しい。この考え方は、グリーンテクノロジーが注目をあびる今の時代にとって強力な武器になるだろう。しかも経済悪化により製品サイクルが伸びている今、時間をかけて高品質な製品を少量開発する方が、開発しやすい。注目される市場も、PCや家電から、メディカルや車載、セキュリティ等高品質が求められる市場に移行してきている。いろいろな流れが、高品質を示しているように感じる。

この環境への影響の低さを売りに、高品質の製品を売り込んだらいいのではないだろうか?