事業改変が日本企業で可能なのか?
××の事業を止めて○○の事業をするから××の人材を切って○○の人材を採る、と事業ベースに米国企業は考える。
一方、日本企業は、○○の人材があるから○○をしよう、××の人材がいないから××の事業はしない、と人材ベースに考える。
事業改変とは、事業を売り上げのあがる事業へと変更するものであって、人材をどう活用するかをベースに考えるものではない。運良くそれらが一致すればいいが、そんなことは稀であろう。
投資の選択と集中をする過程において、キャッシュカウとなった既存事業のリソースをどうするかという問題が生じる。新規事業にうまくフィットすればいいば、フィットしない場合、出て行ってもらうか、お金をかけて教育するかしなければならない。お金をかけて教育するなら、考え方が柔軟で先の長い新卒がいい。教育への投資資金が十分にある状況ならともかく、景気が悪いとなると、今まで貢献したが、頭も固く先のより短い人には出ていってもらうしかない。それがレイオフだ。転職のインタビューでその会社に決まらなかった場合、「その仕事が自分にフィットしなかった」という言葉を使う理由がよくわかる。
米国企業と日本企業、どちらが正しいということではないだろう。自分たちがどちらを選ぶかの問題であり、どちらもありなのだ。植物の成長過程において、間引きをするかどうかに近い。弱肉強食の世界では間引きが行われるのだ。
会社の存在意義は「お金を儲けること」だ。そして、社会が成長し続けるためには、会社が成長し続けなければならない。そうすることで、社会が成り立つ。間引きすることでその会社が成長できるかもしれないが、社会全体のバランスを崩してエコシステムを壊してしまっては、元も子もない。だから間引きして強靭になりすぎた企業は、独占禁止法によって罰せられることになる。そうやって、ほどよく競争し合えるよう環境のバランスを整えることが、必要なのだ。つまり、間引きしてひたすら強くなればよいということでもないと言える。
こう考えてみると、私たちは、ほどよく競争し合える場を与えられ、絶対安全圏に入ることは許されず、そのフィールドで常に戦い続けることを求められているということになる。だから、戦うこと、競争することを諦めてしまったらいけないのだろうか?
2010年1月14日木曜日
いい顔ってどんな顔?
38になって思うことがある。若さがなくなると、顔に自分本来の人格が出てくるんだな、と。
子供の頃は親からもらった顔が出やすい。10代から20代は、若さがでる。ここでいう若さとは、より良い遺伝子の子孫を残すため、異性を魅了し、同性と競うため、動物として与えられた本能による自己アピールの一種である。
ところが、40近くなると、今までの人生で作り上げてきた自分そのものが顔にでてくる。責任重大だ。
日本には、若い女性がいい女性のような文化がまだあると思う。生殖機能の高いものが優勢であるという社会は、未熟な社会と言えよう。短命だった昔ならいざ知らず、高齢化し、寿命の伸びた社会では、年をとったが故に美しく意味のあるものがあるという文化を育成する必要があるだろう。
女性に限らず、男性ももちろん、素敵な人生を送ることで素敵な年の取り方をしていってほしい。顔に刻まれたシワも、生え際から出てきた白髪も、髪の薄くなった頭部も、素敵な人生を送ることで、素敵に見えるのではないだろうか?それらを隠すのはもう止めて、それらをどうやって素敵に見せるかを考えていこう。
子供の頃は親からもらった顔が出やすい。10代から20代は、若さがでる。ここでいう若さとは、より良い遺伝子の子孫を残すため、異性を魅了し、同性と競うため、動物として与えられた本能による自己アピールの一種である。
ところが、40近くなると、今までの人生で作り上げてきた自分そのものが顔にでてくる。責任重大だ。
日本には、若い女性がいい女性のような文化がまだあると思う。生殖機能の高いものが優勢であるという社会は、未熟な社会と言えよう。短命だった昔ならいざ知らず、高齢化し、寿命の伸びた社会では、年をとったが故に美しく意味のあるものがあるという文化を育成する必要があるだろう。
女性に限らず、男性ももちろん、素敵な人生を送ることで素敵な年の取り方をしていってほしい。顔に刻まれたシワも、生え際から出てきた白髪も、髪の薄くなった頭部も、素敵な人生を送ることで、素敵に見えるのではないだろうか?それらを隠すのはもう止めて、それらをどうやって素敵に見せるかを考えていこう。
2009年11月25日水曜日
超能力か未来の技術か
技術の進歩は、人が超能力と考えたものに似ている。
携帯電話は遠くの人間に声が届く。数人に一気にユニキャストすることができないが。
テレビやビデオ会議や遠隔ホームセキュリティシステムは遠くのものが見えたり聞こえたりする能力だ。
3Dモーションセンサーは人間の動作に合わせてものを動かすことができる技術だ。さらに自動車業界は脳波を読み取って物を動かす技術を開発している。
人の考えを読み取ったり、空を飛んだりできるようになる日も来るのかもしれない。
そう考えてみると、超能力とドラえもんの未来の道具は似たような物なのだろう。ドラえもんの未来の道具が近未来で、超能力はさらにそのまた先の未来なのだろう。例えば、まずはタケコプターで空を飛べるようになり、その後タケコプターなしで飛べるようになるのだ。
そうだ。次元を超えて、もしもボックスと四次元ポケットも作らないと。
携帯電話は遠くの人間に声が届く。数人に一気にユニキャストすることができないが。
テレビやビデオ会議や遠隔ホームセキュリティシステムは遠くのものが見えたり聞こえたりする能力だ。
3Dモーションセンサーは人間の動作に合わせてものを動かすことができる技術だ。さらに自動車業界は脳波を読み取って物を動かす技術を開発している。
人の考えを読み取ったり、空を飛んだりできるようになる日も来るのかもしれない。
そう考えてみると、超能力とドラえもんの未来の道具は似たような物なのだろう。ドラえもんの未来の道具が近未来で、超能力はさらにそのまた先の未来なのだろう。例えば、まずはタケコプターで空を飛べるようになり、その後タケコプターなしで飛べるようになるのだ。
そうだ。次元を超えて、もしもボックスと四次元ポケットも作らないと。
2009年11月14日土曜日
人の変化の認識
私は知り合いに会っても、知り合いだと認識するのがすごく難しい。数ヶ月ぶりに会うだけで、「すぐにわかるだろうか?」と少し不安になる。さすがに毎日会っていれば問題ないのだが。
加えて、他人の顔色の変化、表情の変化、痩せたとか太ったとかの微妙な変化にすぐに気づく。何かおかしい感じというか、顔色が悪かったり赤くなっていたり、落ち込んでいたり、頬の張りが違っていると違和感がするのだ。
今までは、人が認識できない程あまり覚えていない私がなんで違いに微妙なのかピンとこなかった。ところが最近はっとした。たぶん逆で、細かく覚えすぎているために、少しの違いで認識しづらいのかもしれない。
セキュリティで顔認識の研究がすすんでいるが、まさにその、どこまでを特徴として捉えるかが難しいのだ。年齢による変化、体調不良による変化、あるいは天気等の環境による違いをどう組み込んでいくかだ。
なぜこんなことを思ったのかというと、最近職場でも職場外でもストレスで激やせして表情の思い人が何人かいる。私からすると激やせなのだが、周りの人はぜんぜんわからないらしい。あんなに明らかなのにわからないとは。それが不思議でしょうがなかったからだ。
加えて、他人の顔色の変化、表情の変化、痩せたとか太ったとかの微妙な変化にすぐに気づく。何かおかしい感じというか、顔色が悪かったり赤くなっていたり、落ち込んでいたり、頬の張りが違っていると違和感がするのだ。
今までは、人が認識できない程あまり覚えていない私がなんで違いに微妙なのかピンとこなかった。ところが最近はっとした。たぶん逆で、細かく覚えすぎているために、少しの違いで認識しづらいのかもしれない。
セキュリティで顔認識の研究がすすんでいるが、まさにその、どこまでを特徴として捉えるかが難しいのだ。年齢による変化、体調不良による変化、あるいは天気等の環境による違いをどう組み込んでいくかだ。
なぜこんなことを思ったのかというと、最近職場でも職場外でもストレスで激やせして表情の思い人が何人かいる。私からすると激やせなのだが、周りの人はぜんぜんわからないらしい。あんなに明らかなのにわからないとは。それが不思議でしょうがなかったからだ。
ブラックベリーの未来は?
うちの会社の場合だが、ブラックベリーは買ってもたせてくれるが、iPhoneは買ってはくれない。個人でiPhoneを買えば、会社の電話として登録して使うことはできるが。iPhoneを買って、それを会社の電話として登録して使っている人が多い。
ところが、家の固定電話は個人で契約して支払う。家からネットでPCをつないで仕事をする場合、家のネットワークを使って会社にアクセスするため、会社が支払うことはない。
いつもこの違いは何なのかと思う。たぶん固定電話は家の必需品として存在していたのに対し、携帯は新しく現れたものであり、最初、自分の携帯を持っていない人が多かったため、会社が用意する必要があったからだろう。ところが、携帯は普及したため携帯を支給する必要が薄れてきた。しかし、そこにブラックベリーというものが誕生し、エンタープライズ向け携帯がそちらに移っていき、会社の支給対象がブラックベリーになっていったのだろう。
ここでiPhone, INQ Mobileの登場が携帯電話を、電話から携帯ソーシャルネットワーキング端末へとシフトさせている。電話は、音楽を聴いたりテレビを見たりするアクセサリの一部にすぎなくなる。これにより、エンタープライズ向けだったスマートフォンというものが、コンシューマ向けのソーシャルネットワーキング端末へと広がってきり、個人でそのその端末を持つようになる。ここで重要なのは、電話でなくインターネットに月額固定でつながるため、Skypeなど使う放題なら会社が電話代を払う必要などないということだ。家の固定電話と同じになる。
つまり、1)会社支給のブラックベリーでなく、iPhoneを個人で買って使う人間が増えていること 2)ソーシャルネットワーキング端末の出現と月額固定料金でそのインターネット通話が可能になったこと により、会社が電話やスマートフォンを支給する必要がなくなってきたということだ。
エンタープライズ向けスマートフォンとして伸びてきたブラックベリーは、これからどういう方向に進むのだろう。インテルの言うMIDという少し大きめの端末を目指した方がいいかもしれない。
ところが、家の固定電話は個人で契約して支払う。家からネットでPCをつないで仕事をする場合、家のネットワークを使って会社にアクセスするため、会社が支払うことはない。
いつもこの違いは何なのかと思う。たぶん固定電話は家の必需品として存在していたのに対し、携帯は新しく現れたものであり、最初、自分の携帯を持っていない人が多かったため、会社が用意する必要があったからだろう。ところが、携帯は普及したため携帯を支給する必要が薄れてきた。しかし、そこにブラックベリーというものが誕生し、エンタープライズ向け携帯がそちらに移っていき、会社の支給対象がブラックベリーになっていったのだろう。
ここでiPhone, INQ Mobileの登場が携帯電話を、電話から携帯ソーシャルネットワーキング端末へとシフトさせている。電話は、音楽を聴いたりテレビを見たりするアクセサリの一部にすぎなくなる。これにより、エンタープライズ向けだったスマートフォンというものが、コンシューマ向けのソーシャルネットワーキング端末へと広がってきり、個人でそのその端末を持つようになる。ここで重要なのは、電話でなくインターネットに月額固定でつながるため、Skypeなど使う放題なら会社が電話代を払う必要などないということだ。家の固定電話と同じになる。
つまり、1)会社支給のブラックベリーでなく、iPhoneを個人で買って使う人間が増えていること 2)ソーシャルネットワーキング端末の出現と月額固定料金でそのインターネット通話が可能になったこと により、会社が電話やスマートフォンを支給する必要がなくなってきたということだ。
エンタープライズ向けスマートフォンとして伸びてきたブラックベリーは、これからどういう方向に進むのだろう。インテルの言うMIDという少し大きめの端末を目指した方がいいかもしれない。
2009年11月5日木曜日
すべてのポータブルがネットにつながる
MIDとは何か、ちょっとわかったような気がする。
昔、家の家電はすべてネットワークにつながりお互いにコミュニケーションできるようになると言われていた。そしてホストは電気を大量に使える冷蔵庫だと。冷蔵庫は置いておいて、この「ネットワークにすべて家電がつながる」がヒントだったのかもしれない。
つまりは、何でもネットにつながるのであり、それこそがMIDなのだ。特定のMIDという端末など存在しない。つながるものすべてがMIDとなる。すべてというと言い過ぎだが、ポータブルなものはすべてMIDになりうる。iPodがネットにつながればMIDになり、NintendoDSがつながればMIDなのだ。
つまり、MIDというものの形を追い求めるのでなく、それらがつながった状態でのアプリケーションを考えた方が先の市場が見えてくるかもしれない。
昔、家の家電はすべてネットワークにつながりお互いにコミュニケーションできるようになると言われていた。そしてホストは電気を大量に使える冷蔵庫だと。冷蔵庫は置いておいて、この「ネットワークにすべて家電がつながる」がヒントだったのかもしれない。
つまりは、何でもネットにつながるのであり、それこそがMIDなのだ。特定のMIDという端末など存在しない。つながるものすべてがMIDとなる。すべてというと言い過ぎだが、ポータブルなものはすべてMIDになりうる。iPodがネットにつながればMIDになり、NintendoDSがつながればMIDなのだ。
つまり、MIDというものの形を追い求めるのでなく、それらがつながった状態でのアプリケーションを考えた方が先の市場が見えてくるかもしれない。
「人と人」より「人々と人々」のコミュニケーション
メールや電話は、返事を期待するものなので、受けた方はすぐに返事をしないと友達を失うなどの変な強迫観念が生まれる。また、出した方は返事がないとストレスを感じるという、リアクション中毒にかかってしまう。その結果、ストーカー状態になる。
こんなお互いにストレスとプレッシャーを掛け合うコミュニケーションは不健全であり、定着するものではない。ビジネス上も、返事の遅さによって客からの信頼を失うことになり、客とうまい信頼関係を築ける手段とは言いにくい。客が一人、二人と特定であれば可能だが、不特定多数相手だとすべてに即答するなど無理なのだ。
問題はどこにあるのか? 最初の問題は、相手が見えないことなのだ。見えないからイライラする。だから見えるようにする。相手が無視している訳ではなく、忙しいだけで返事をする気持ちがあるということさえわかれば、待てるものだ。次の問題は、受信者が一人であることだ。ある一人の相手に送った場合に返事がないと、人間はイライラする。ところがブログのように相手を特定せずに書いて誰からもリアクションがないとイライラでなく、不安になる。不思議なことに、皆が無視していると怒る気分にはならないのだ。人間とはおもしろい生き物だと思う。
では、どうすればいいのか? やはり、SNS,Twitterのようなゆるくて多数の人間が参加できるコミュニケーションが望ましいのだろう。他の人が返事しても構わないわけだし、その人が他のことに返事をしてももちろん構わない。それがごく普通のフェースツーフェースの会話でなされることなのだ。
結局、人間のコミュニケーションは、「人と人」というよりも「人々と人々」なんだと思う。
こんなお互いにストレスとプレッシャーを掛け合うコミュニケーションは不健全であり、定着するものではない。ビジネス上も、返事の遅さによって客からの信頼を失うことになり、客とうまい信頼関係を築ける手段とは言いにくい。客が一人、二人と特定であれば可能だが、不特定多数相手だとすべてに即答するなど無理なのだ。
問題はどこにあるのか? 最初の問題は、相手が見えないことなのだ。見えないからイライラする。だから見えるようにする。相手が無視している訳ではなく、忙しいだけで返事をする気持ちがあるということさえわかれば、待てるものだ。次の問題は、受信者が一人であることだ。ある一人の相手に送った場合に返事がないと、人間はイライラする。ところがブログのように相手を特定せずに書いて誰からもリアクションがないとイライラでなく、不安になる。不思議なことに、皆が無視していると怒る気分にはならないのだ。人間とはおもしろい生き物だと思う。
では、どうすればいいのか? やはり、SNS,Twitterのようなゆるくて多数の人間が参加できるコミュニケーションが望ましいのだろう。他の人が返事しても構わないわけだし、その人が他のことに返事をしてももちろん構わない。それがごく普通のフェースツーフェースの会話でなされることなのだ。
結局、人間のコミュニケーションは、「人と人」というよりも「人々と人々」なんだと思う。
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