2010年2月18日木曜日

鶏口となるも牛後となることなかれ

社会のステータスといえば、今まで大学名や会社名をプランドとしてステータス化してきた。でも、実はこれからは以前程意味を持たなくなるだろう。

理由としては、少子化で大学に入るのが私たちの時代と比べたら断然簡単になったからだ。それに、日本の大学名は外資系では意味をもたない。そして、一流企業にいるからと言って、その会社がずっと潰れない保証はないし、つぶれたらその社員がすべてまた他の一流企業に入れるわけではない。前の会社が一流企業であったかよりも、その会社での個人の経験の方がはるかに価値がある。
転職市場とは「経験価値マーケティング」だと思う。自分の経験を如何に相手に売り込めるかのマーケティングだ。その人の表情、話し方、反応の一つ一つが、その人間の経験を物語る。

一流大学の学生は、日本での知名度は低いけど給料の高い会社には入りたがらない。名の知れた一流企業に入りたがる。他人からの羨望やステータスがほしいのだろう。大企業故の大きいものを任せてもらえるころには、その地位を守るために責任をとりたくない年齢になってしまっていて、思い切りやるなんてできない。小さい会社に入った方が若いうちにその会社にとって責任のある仕事を任せてもらえて経験できるチャンスはいろいろあるだろうに。

一流企業でトップまで行ける人は数えるほど。ほとんどの人は牛後。自分はそこでトップに行ける程の人間ではないと思う。だから分をわきまえて、鶏口を目指そう!!

2010年2月17日水曜日

捨てることの勇気

20代の人はまだ会社を辞めやすいのに、30代、40代、50代、と年を重ねるにつれて辞めにくくなる。なぜか?

もちろん家族の問題が大きいだろう。では、なぜ家族がいると辞めにくいのか?まずはお金と体裁、家族達の精神的な不安の問題だろう。家族がいないとしても、お金の問題がないわけではないし、体裁が悪いという問題は残る。その給料と福利厚生、さらには会社での地位を失うのが怖いのだ。年を取れば取るほど、失う給料の額、社会の地位は高くなってて余計捨てにくいから、年齢とともに辞めにくくなる。
人間は自分が今現在もっているものを持っているとはあまり意識しない。それなのに失うとなると急に怖くなるのだ。恋人や家族と同じだ。

最近思う。人間は過去にとらわれて生きる生き物なんだと。なぜかはわからない。悪いことだとトラウマにもなりかねず、その場合捨てたいのに捨てられない。いいことも忘れられない。一度成功した人は、その過去の成功体験が捨てられず、なかなか先に進めない。過去の成功という亡霊から逃れられない。目に見える物ならば無くなったと認識せざるを得ないが、目に見えないものというのは捨てるのが非常に難しい。他人からはたいしたことでなくても、本人にとって甘美な成功というのはたくさんあり、捨てられないのだ。
そして、過去に自分はこうしてできたんだから、また同じようにやればうまくいくんだと自分で思い込んで安心する。そうやって考え続けるからそこの神経回路がしっかりつながりすぎてしまって忘れられないのかもしれない。感情を伴う記憶というのは、記憶に残りやすいということもあるが。両方だろう。

今の仕事にせよ、過去の成功にせよ、持っているが故に前に進めないのならば、一度捨ててみればいい。もちろん、それだけの精神力が必要かもしれないが。失ったことで必死になれば、なんとかなるものじゃないのだろうか?

2010年2月16日火曜日

国民の雇用を守るとは

今朝は会社に行って、机を片付け、少し挨拶をして、帰ってきました。

わざと唐突に、人事に「H1-B雇用者を減らしてるの?」と聞いたら「減らしてないわよ。ガバメントはそう言ってるけど、うちはポリシーを変えないの」と即座にそこまで答えてくれました。用意されたような回答にびっくり。実はダラスは典型的な保守派の人たちの塊で、会社が議員にロビー活動をすれば相手議員は当然ばりばりの保守派。アメリカ人の雇用を大切にしないわけはない。何か対策をしなければ、議員とやってはいけないのだろう。

私の頭に浮かんだのは、あばら屋に住む母と3人の子供と預かった隣のうちの子供。子供達が2日何も食べれず3日目にパンが1欠片手に入ったが、分けても3人分にしかならない。母親はどうするか?自分のうちの子供にあげるだろう。3日食べなくても死なないだろうから。

実は、12月に同じグループの人間に突然言われた。「ダラスどう?」何を今更聞くのかわからなかったが「アメリカと日本どっちがいい?」聞かれたので、「今はアメリカにいたい」と答えた。すると「日本は仕事探せるの?」と聞くから「そうでもない。たいへん。アメリカと同じくらいじゃないかしら」と回答すると「そう。」とがっかり気味だった。意味がわからなかったのでこのやりとりを友達に言うと、「アメリカ人の職がないから、日本に帰れって言ってるんだよ。頭数が一つでも減れば自分たちが安全だから」と言われた。なるほど。天然ポジティブシンキングの私はてっきり「アメリカを気に入ってくれてうれしいよ」と言っているんだと思ってしまった。

景気の悪さが人間の生活のみならず、人間関係、そして人間の性格までも変えてしまう。人間社会がネガティブな方向に進むこの状況を変えていかなければ。

ところで余談だが、「頭数」を訳すと「ヘッドカウント」。偶然じゃないとしたら、外来語を訳したものなのだろうか?

2010年2月15日月曜日

サバイバルゲーム!!

さてさて、サバイバルゲームスタート時の目的に戻りましょう。

明日会社を辞めることに決まりました。
契約上、パッケージをもらえなくなるので詳細は書けないのですが、とにかく明日が最終就労日です。
実は退職は二度目。日本の会社と比べると、驚くほど簡単。なぜ日本の会社はあんなに書類が多かったのでしょうね?

そして、2月15日から8月14日までの6ヶ月間、H1-Bのサバイバルゲームの開始です。

用意、スタート!!!

2010年2月8日月曜日

緊張感と超えるべきハードル

それは2008年の秋に始まった。まずはWirelessのグループを大きくレイオフした。続けて年末に早期退職者を募った。表向きは募集だが、止めてほしい人には強制するのだ。2009年になり、2月のCEOのブロードキャストのビデオの直前にレイオフがあるという噂を流し、噂通り2月に決行した。この時期、ほとんどの会社がレイオフをしていたので、目立って業績が悪いという印象を世の中に与えることはなかった。

このことで、会社は社員に「パブロフの犬」の条件付けをした。それは社員に「クォーターに一回のCEOのブロードキャストの直前にレイオフをする可能性がある」という条件付けだ。毎回、ブロードキャストの度に次のブロードキャストの日程を教えておき、緊張感を持たせ、ブロードキャストではCEOの話に集中させる。以前は、ほとんどの人が聴いてなかっただろうが、今ではその数週間前から緊張が走り、当日は真剣に聴いている。しかも安心させるようなことは言わない。「今はレイオフの予定はない。だが、状況は厳しいので、注意深く状況を見ている必要がある」ということを毎回言って、さらに緊張感をあおる。

もちろん脅しだけでは、人間たるんでしまう。だから、口だけではない。クォーターに一回、実際に人が消えていく。よそのグループまではあまり見えないが、まず去年5月には隣の部の課長が辞めさせられた。8月には別の隣の部署の部長が他の部署の平社員へ異動し、また同じ部のエンジニアが辞めさせられた。11月には統括部長が他部署へ異動、代わりに全く新しい人が昇進して統括部長になった。そしてこの2010年2月には、別の隣の部長が辞めさせられ、全く新しい人が他から来た。それと同時に組織変更があり、人がごそごそと異動させられるのと同時に数人の名前が消えていた。

この緊張感のおかげで、たるみだしてい体と頭がしゃきっとしてきた。ありがたい。そう、私は楽して生きたくてアメリカに来たわけじゃない。逆で、敢えて困難な道を進んでみたくて来たのだ。正に望んだ通りの状況というわけだから、今の状況に感謝したい。超えるべきハードルがあるからこそ燃えるのだ。

2010年2月6日土曜日

ポジティブシンキング

突然思い出した。多分私は自分に都合のいいようにものごとをとらえるのが得意だ。

昔学生だったときに憧れていた人から彼のライブのチケットを買わされたことがある。そのとき一緒にいた友達に、「私から花束がほしいのかな?」と言ったら「ほんと自分の都合のいいように考えるのが得意よね。ただチケット売りたかっただけでしょ」と教えてもらった。なるほど、その通りだと思った。ついつい自分のいいように考えすぎてしまったが、勘違いしたまま、勝手にそう思って花束を渡してもよかったかもしれない。彼はチケット売れて満足だし、私は自分の役目を果たせて満足なのだから。ここで、私が正しく彼の意図を理解することが重要ではないのだ。正しくない方が結果がいいことはよくあるのだ。

世の中は、「正しいこ=いいこと」ではない。理由は勝手に思い込んだものであれ、結果がでればそれで十分なのだ。逆に正しく理解しない方がいいことだってたくさんある。重要なのは、本人がこうだと納得できる理由があることであり、それをもとに行動できるかなのだ。

例えば、親や先生が子供のために必要だと思ってコミュニケーションをとろうとする。これは、本当に必要かどうか、本人がありがたいと後で思えるか、それらを考えることはあまり重要ではない。大切なのは親自身が必要だと思って子供のためにコミュニケーションをとる行為そのものなのだ。

こういう勝手な思い込み思考回路も、ある意味ポジティブシンキングで、いいと思う。

2010年2月1日月曜日

成長から貢献へ

人間は成長し続けなければならないと書いたが、それはなぜか?生物の本能みたいなものだと思う。人間も含め生物は、変化を嫌う。だが、進化、成長を望む。

例えば、ロールプレイングゲームというのは見たことがないが、聴いた範囲で理解する限り、成長することによって人間の本能が満たされるのだと思う。現実社会では、努力をしたって結果が出ない、報われないことが多い。いきなり難題を言われたり、適切な導きがないとなかなか成長というのは難しいのだ。それが、ゲームでは適切な導きのもと、確実に一歩一歩進んでいくと、成長感で満たされていく。学校で数学の問題を解くとき、いきなり応用問題を出されたら解けない。まず例題を示し、練習問題をさせてから、応用問題を解かせる。すると、不思議と解けるのだ。人間の脳に学習させているのだ。

ゲームはよくわからないが、子供の頃、エースを狙えを見ていて、岡ひろみがものすごい速さで上達し、どんどん強い相手を倒していき、最後には憧れのお蝶婦人まで倒すことに気持ちが晴れ晴れしたことを思い出す。すっかりその気になって中学で硬式テニス部に入ったが、結局選手にすらなれずに終わったとき、現実を知るということを学ぶことが来出た。

自分の無限の成長の可能性を夢見る時期は過ぎたものの、それでもなお、成長し続けたいと思う。最近、以前の勢いがなくなってからというもの、周りの人間の学習意欲が極端に落ちている。もちろん、中国は今でも意欲的に学んでいるだろう。だが、明らかにアメリカ、日本の人たちの学習•成長意欲が低下した。この仕事•勉強を続けたところでそれが生きるという感じがしないのだろう。今いる業界自体の問題もある。しかし、仕事そのものへの不安が邪魔をしていると思う。親が離婚の話をしている家庭で子供が勉強に集中するのが難しいのと同じだ。直接関係なかろうが、集中などできるはずがない。

では、成長本能および欲求は満たされなくていいのか?人間はある程度年をとると物理的に成長しなくなる。そのとき成長本能も弱まるのだろう。では、そのときに人間は何を求めるのか?例えば、成長できないなら働くことを止めるのか?そんなことはない。人間が働く理由は物理的にはお金を稼ぐためが基本だが、それと同じくらい精神的に満たされることも大切なのだ。どうやって満たされるのかというと、「他人から必要とされる」「他人から感謝される」ということで満たされるのだ。自分一人では生きていけない、自分を他人に映し、その映った姿がいい自分であることを確認することで、自分の存在意義が感じられ、満たされるのだ。

だから私は、55歳までは自分のために働き、55歳以降は他人の為に働くと決めている。55までは自分がどこまで成長できるのかその可能性を試してみたいが、それ以降は他人が必要としていることを社会のためにやって貢献していきたい。もちろん、55までも社会で働く以上しっかり貢献するのだが、少し方向性が違う。

さあ、あと17年間、どこで何をしてみようか?